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  • from: 坪井さん

    2009年05月21日 21時12分45秒

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    矢切の肥舟

    写真集「目で見る松戸の100年」に昭和7年の肥船の写真があった。肥船を4連結し松戸の平潟まで蒸気船で引いている。これなら船頭は臭いを浴びない。その船は船頭の名前から宇田川船と呼ばれた。江戸川区の酒屋には宇田川姓が多い◆矢切の村は東京市と契約して肥料を共同購入し、野菜の栽培に使用していた。畑1反部には30荷から50荷必要であり、肥舟は1杯で50荷くらい運んだ。写真の宇田川船はもっと大きいようだ。人が担ぐ量は、肥槽(たんご)へ入れた下肥2杯であり、これを「1荷」と数える。リヤカーなら4荷、牛車は7荷乗せて運んだ。◆肥船は、江戸川下流から下肥を売って行き、減った分だけ川の水を汲み上げて水増しする舟もあり、上流で下肥の中に水草が混じっていて農家にばれ、騒動になったとか◆船橋では効き目がよくなるとして、河口で海水を汲み水増ししていた。糞尿は淡水より比重が重く、海水よりは軽い。河口付近は淡水、海水が混ざって比重が同じとなり、ばれにくかったのか。海水を混ぜて塩害はなかったのかと謎は尽きない◆海神のおばあちやんの話しでは、仕事帰りの若い衆の背中は蝿がビッシリ付いていたという。辛くても金になる仕事だったのか、松戸の平潟も、船橋の海神も遊郭が大いに栄えた。

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    坪井

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