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反創価学会

反創価学会>掲示板

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月21日 22時43分58秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」
    <法華講員S>

    ************************************************************
    ・偽書「通諜」(昭和52年頃に出まわったコピー)
     この「通諜」のコピーが世に最初に出回ったのは、昭和52年のことであった。この昭和52年は、戦後第2次檀徒活動である正信会活動の胎動の年でもある。そして第3次檀徒活動ともいえる「C作戦」発動にあたり「通諜」が再び浮上した。創価学会切り崩しをめざした檀徒活動のたびにクローズアップされる「通諜」。(『地涌』第668号)
    ------------------------------------------------------------
    ・偽書「通諜」を書いた法華講員・S(故人)の自筆文書(※「S文書」と呼ぶ=法蔵)。
     Sは昭和20年代、法道院より発行されていた『大日蓮』編集部に勤務していた。
     偽書「通諜」とS自筆文書の筆跡の一致は瞭然。
     この文書が作られたのは、書面のコピーが出まわりはじめた昭和52年当時であると判断するのが妥当ではないか。なぜならばニセ物を作った者は、必要性があるからデッチ上げたのだ。それを何年も放置するとは考えにくい。(『地涌』第61号)
    ------------------------------------------------------------
    以下の点について明らかにされるべきであろう。

    ・S氏とは誰か。

    ・「S文書」がS氏のものである証拠は何か。

    ・「S文書」が昭和52年頃出回った証拠は何か。
    -----------------------
    学会が公開した現物が、実際に昭和52年頃までに出回ったという証拠がない限り、当該文書は、「通諜」公開後に学会側によって作成された可能性が残る。

    ・「通諜」と「S文書」の筆跡比較/[資料]:「通諜」の筆跡
    -----------------------
    「一、」の右上がりの具合など、一見したところ、文書全体から受ける感じは筆跡が似ているようでありながら、1つ1つの文字を丹念に見比べてみると、大分特徴に違いがある。「外」「殿」「月」「日」「と」など、素人目にも異なる筆跡と分かる。とくに「域」「城」「義」「誠」など、「S文書」ではしっかりとはねているが、「通諜」ではそれほどでなく、両者の違いは明白である。

    ・「S文書」が「通諜」より先に書かれたものであるならば、同文書は「通諜」の原案であり、これを写したのが「通諜」だと考えるのが自然である。しかし、そうであれば、「通諜」と同じく縦書きで、字体も昭和18年当時のままにするはず。だが、「S文書」は横書きであり字体(「価」「職」など)も異なる。また、「S文書」が「通諜」の原案であれば「昭和18年6月本山より下山した直後の公式文書(ワラ半紙のガリ版刷)」(「S文書」)という記述は有りえない。

    ・「S文書」が、「通諜」作成よりも後に書かれたものであるとすると、何のために、自分の文書(「通諜」)を書き写したのか?しかも、自分で「通諜」を作成しておきながら「昭和18年6月本山より下山した直後の公式文書(ワラ半紙のガリ版刷)」(「S文書」)などと書くのもおかしい。まったく不自然というべきである。

    ・「S文書」の作者と「通諜」の作者が同じならば、むしろ「通諜」(またはそのコピー)そのものを最初から世に出すはずであるし、"戦時中の「通諜」を戦後になって第三者が書き写した"という体裁になっている文書を、「通諜」と同じ作者が自分の意思で世に出すとは考えられない(筆跡が同じであることが簡単にバレてしまうから)。「S文書」が公表された経緯を明らかにすべきである。

    ・「通諜」が偽物であるならば、その作成目的は、世に出すこと以外考えられない。そうであれば、常識的には偽物を作って程なく世に出回ったと考えるべきである。とすれば、何故に「通諜」は、わずかの期間で周辺部がボロボロになるほど腐蝕してしまったのか?まったく不自然である。

    ★以上のように"「通諜」偽作説"には、筆跡その他、不自然な点が多く、信用できない。いずれにせよ、日亨上人の「会長の応急策」(下記1●『富士宗学要集』第9巻431頁)が神札受け取りに関するものであることは否定しようもないのである。



    ************************************************************
     今回の『慧妙』同様、日顕宗時局協議会資料収集班1班が、「通諜」を本物と断定して、平成3年の3月と5月に、それぞれ「『神札問題』について」と「日蓮正宗の戦争責任」と題する文を宗内に配布した。
     このとき、創価学会側は、谷川佳樹男子部長名で日顕宛に抗議文を送り、文中、
     「(中略)しかも、私どもは単に戸田理事長の筆跡ではないというだけでなく、その筆跡が、戦後に入信し、戦前の創価教育学会とは何らの関係もない、ある特定の法華講員の筆跡であるとの確実な証拠を入手しております。
     このことは、『通諜』なる文書が戦後に偽造された謀略文書であるということを、見事に証明して余りある事実であります」(『地涌』第666号)
    ------------------------------------------------------------
     本紙からの「ならば、その根拠と法華講員の名を明かせ」との責めに対し、(『慧妙』H5.7.16)↓



    ************************************************************
     たしかに、「通諜」の筆者の名を明かせばこと足りる。だが、それをしない。理由はただ一つ。言い訳にもならぬ言い訳を、『慧妙』編集部に代表される日顕宗の「非学匠」の者らにさんざんさせ、自らの"屁理屈"によってガンジガラメになるのを見て楽しみたいのである(『地涌』第672号)
    ------------------------------------------------------------
    余程、カッコ悪い言い訳であることに気づいたためかWSには掲載されていない。↓
    http:/www.houonsha.co.jp/jiyu/chap18.html

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月20日 09時31分25秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」
    <代々の天皇への報恩>

    ************************************************************
     『慧妙』がこの文章を本物というならば、「皇祖天照大神皇宗神武天皇」およびそれに連なる代々の天皇への報恩、そして神を敬い「國運の隆昌」「武運長久」を祈ることが、初座の祈願目的であると「御本山の御指示」が出ていたことを認めることになる。
     これは、国家神道を支える皇国史観に額づくものである。宗門は明らかな謗法を犯していたことになる。(『地涌』第666号)
    ------------------------------------------------------------
     昭和16年8月22日改訂の御観念文においては、初座は
     「謹みて、皇祖天照太神・皇宗神武天皇肇国以来御代々の鴻恩(こうおん)を謝し、併せて皇国守護の日月天等の諸神に法味を捧げ奉る」
    となっており、学会文書「通諜」の第1項は、明らかにこの文を引用したものである。(このことは、むしろ、「通諜」が当時に作られたもの、という傍証になっている)。
     『地涌』は、これを指して「国家神道」「明らかな謗法」というのだが、「皇祖天照大神」云々については、『神国王御書』に
     「神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身のごとく・あがめ給う」(『神国王御書』御書1298、全集1518頁)
    とあるように、国王(天皇制の時代なら天皇)が崩御(ほうぎょ)して善神となるのだから、天皇家の祖先(皇祖)が、天照大神等の諸神として、善神につらなることは、法義上あたりまえのことなのである。
     次に「皇国守護」という表現については、もとより諸天善神には、法華守護の働きと国土守護の働きとの両面があり、また、天皇制であった当時の我が国は「皇国」と称していたのだから「皇国守護の日月天等の諸神」とは国土守護の諸神の別名にすぎない。
     いったい、どこが「明らかな謗法」であるというのであろうか(※ただし、「通諜」中の「敬神の誠を致し、国運の隆昌・武運長久」云々は初座の御観念文にもなく、宗門とは無関係である)。(『慧妙』H5.7.1)

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月19日 22時37分10秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」
    <「天拝」>

    ************************************************************
     創価学会員にとって、戦時中に入信した者であっても「天拝」というのは聞き慣れない言葉である。「天拝(初座)」として後に初座と断り書きがしてあるが故に、初めて意味が通じるのである。
     「天拝」は、かつて日蓮正宗の僧侶においてよく使われた言葉である。この偽書を作りあげた犯人が、凝りすぎて馬脚をあらわしたのである。単に「初座」としておけばよいものを、わざわざ「天拝(初座)」と凝ったために、逆に偽造犯人がしぼられることになった。
     この「通諜」の偽造犯人は、日蓮正宗の僧侶かあるいはその周辺の者の可能性が大である。かつ旧字の使い方、文章の表現もボロを出しているとはいえ巧みであり、戦時中の状況を体験として知っている年齢の者であると推測される。(『地涌』第61号)
    ------------------------------------------------------------
    ◆「天拝」は、かつて日蓮正宗の僧侶においてよく使われた言葉
    -----------------------
    御僧侶においてよく使われた語であれば、御僧侶と交流のあった信徒が使用しても不思議はない。「日蓮正宗の僧侶かあるいはその周辺の者」とは、まさに戸田城聖(城外)氏のことではないか(爆笑)

    ◆「天拝(初座)」として後に初座と断り書きがしてあるが故に、初めて意味が通じる
    -----------------------
    その辺のことを知悉していたが故に「(初座)」と書き加えたのであろう。つまり作者は、当時使われていた「天拝」の語を知っていて、さらに、それが会員の間ではあまり知られていないことも知っていたのである。これこそ、僧侶と交流のあった当時の学会員が作者であるという証拠である。

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月18日 19時22分19秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」
    <「天皇」の語>

    ************************************************************
    「天皇」という語句を文中にそのまま続けて書くのも、時代を考えれば非常識である。当時の公式文書でこのような書き方をすることはない。「天皇」という語句の前を1文字あけるか、改行して最上部に書いていなければならない。(『地涌』第61号)
    ------------------------------------------------------------
    この「通諜」は緊急の内部通達用であり、公式文書ではない。少なくとも対外的な文書ではない。逮捕も時間の問題、という緊急を要する状況下において作成された「応急策」なのだ。また、「天皇」の語は公式出版物である『大善生活実証録』にも文中に記載されている。

    ◆答 左様な事にはならないと思います。私は学会の座談会等の席や又会員其他の人に個々面接の度々 陛下の事に関しまして、
     天皇陛下も凡夫であって、皇太子殿下の頃には学習院に通はれ、天皇学を修められて居るのである。(「訊問調書」/『牧口常三郎全集』第10巻202頁)
    -----------------------
    この文書は内務省警保局保安課『特高月報』の末尾に摘録されたものである。「陛下」の語の前は1字空白にし、「天皇」の語の前では意識的に改行されている。尚、文中「天皇陛下も凡夫」という発言については、<牧口常三郎の戦争観>参照のこと。

    ◆吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。(中略)即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。(昭和17年『大善生活実証録』/『牧口常三郎全集』第10巻363頁)
    -----------------------
    この文書は創価教育学会の公式出版物である。「天皇」の語は、現在同様、文中にそのまま書かれている。

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月17日 13時55分34秒

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    脱会者を自殺に追い込め!


    From: れいな
    日本を牛耳る巨大組織の虚と実 (宝島社)

    『創価学会  文・ルポライター割石哲也氏

    創価学会は、「他の宗教はすべて邪教である」という原理主義に基づき、他宗教を論破(破折)することを是とする集団だ。
    熱烈な信者によって、それはしばしば法を超えた行為に及び、刑事事件に発展するケースも過去に数多く見られる。
     初代会長の牧口常三郎の時代から、伝統仏教である日蓮正宗とは一線を画し、創価教育学会(当時の名称)は「立派な一個の在家的信仰団体である」
    と公言していたのだから、91年に日蓮正宗から破門宣告を受けた要因は、初期から内包していたとも言える。
     あまりにも強引な「折伏大行進」と称された勧誘活動、電話盗聴事件、言論・出版妨害事件などで学会が非難され、両者は袂を分かったのだが、
    この後から現在に至るまで、創価学会の日蓮正宗への攻撃は凄惨を極める。
     紙面では日顕法主から名を取りつつ「日顕宗撲滅」をスローガンに会員を募り、
    全国の日蓮正宗系の寺院への嫌がらせの電話(多いときで1日に800本)、放火未遂、集団暴行などが相次ぐ。
     その様は外部から見れば、かつての新左翼セクトの内ゲバさながらであるが、これらに嫌気がさして、脱会をしようと目論む会員たちもすんなりと辞めることは難しいようだ。
    事実、これを契機に数十万人もの学会員が日蓮正宗の法華講へと流れ込んだのだが、
    “”池田大作氏は「(脱会員を)自殺に追い込め」と言い放ったことが、元公明党福井県議員の田賀一誠氏の証言で表沙汰となっている。“”
     一方、創価学会が持つその攻撃性は、政界への進出においてもいかんなく発揮されている。最も悪質な事例としては、68年の衆議院選挙で起った「集団替え玉事件」が名高い。
     投票率の低い都内の新宿区や世田谷区などで、アパート・マンションの郵便受けから投票用紙を抜き取り、替え玉の学会員が票を投じるという前代未聞の事件だった。
    しかも、この所業は男子青年部などの指導による組織ぐるみの犯罪だったため、多数の有罪者を出す始末となる』



    池田大作氏は「(脱会員を)自殺に追い込め」と言い放ったことが、元公明党福井県議員の田賀一誠氏の証言で表沙汰となっている。“”

    ■■■■■■■■■■

    その他、矢野純也氏の著書、元公明党議員、福本潤一氏の著書からも明らかである。


    日蓮正宗 立正安国論、正義顕揚七百五十年 -
    http://www.c-player.com/ac56004/thread/1100104415770

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月17日 12時47分46秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」

    <天皇中心主義>

    ************************************************************
     決定的な間違いがある。2項目の「天皇中心主義」という言葉は、現在から考えれば、戦時下において使われていたもののように思うが、意外にも、その当時は使われていないのである。
     この言葉は、当時の右翼のなかでも、最も過激な数団体のみが使った、きわめて特殊な用語で、一般では使うことのないものであった。従って、教職に従事している者の多い創価教育学会の通達文書で使用することは考えられない。この語句を使ったことは偽造犯人にとって致命的な過ちである。(『地涌』第61号)
    ------------------------------------------------------------
    もともと学会にも宗門にも「天皇中心主義」などという思想も言葉もない。しかし、天皇を国家の中心・要とする思想は、既に牧口氏の指導にあるから、それを端的に言い表した語が「天皇中心主義」だったのであろう。↓また、当時は「日蓮主義」「全体主義」「共産主義」などの語も多用されており、その影響で「天皇中心主義」という語がでてきたのであろう。

    ◆吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。(中略)即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。(『大善生活実証録』/『牧口常三郎全集』第10巻363頁)
    -----------------------
    この内容を仮に「天皇中心主義」と名づけたのであろう。

    「極右」というが、彼等は、当時の国策を強力に推進しようとする立場であったはず。そうであれば、むしろそのような者の用いる語を用いた方が、特高対策としては都合がよい、という計算もあったかも知れない。また、元直達講(牧口氏が所属していた)副講頭・竹尾清澄氏の『畑毛日記』によれば、当時、極右の人間が大石寺に出入りしていたようである。だから、戸田氏らも彼らと何らかの交流があり、「天皇中心主義」なる語も、その影響で出てきたのかも知れない。可能性としては十分ある。

    ●極右の朝日平吾も大石寺に参篭したことのある人である。 また他面、牧口氏の側にも次のような事情があったことが、ご隠尊と山峰氏のお話から感じられた。・・・(元直達講副講頭・竹尾清澄『畑毛日記』/『慧妙』H6?)
    -----------------------
    朝日平吾は大正時代の人であるが、牧口氏の入信が昭和3年であるから、あるいは入信前(内得信仰時代またはそれ以前)に、折伏親の三谷素啓氏らを通じて交流があったのかも知れない。上記記述は、別のテーマ(牧口氏らが日淳上人を誹謗し、宗門と疎遠になった経緯)で紹介された『畑毛日記』の記事の端っこに偶々掲載されたものでる。そのため残念ながら、前段の内容は不明である。しかし、「極右の朝日平吾も大石寺に参篭・・・また他面、牧口氏の側にも」とあるから、朝日平吾についての記述は、牧口氏との関連で書かれたことは間違いない。
    [資料][画像]:『畑毛日記』

    ●28(昭3)年に目白商業学校校長の三谷素啓に出会い日蓮正宗に入信。(『現代日本-朝日人物事典』/<牧口常三郎・戸田城聖とその時代>WS)

    ●設立当初の創価教育学会は、元々大日本皇道立教会(※南朝を正統として両統の融和を計ることを目的として大正3年に設立された団体)の教旨・目的を根本として国民に新たな皇道を教育する団体として結成されました。(<芳野朝廷研究会>WS)
    -----------------------
    牧口氏や戸田氏は日蓮正宗に入信する以前から、天皇(制)に対して深い思い入れがあったようである。そのような牧口氏や戸田氏であれば、「天皇中心主義」なる語は知っていたであろう。

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  • from: 22世紀さん

    2011年07月16日 18時52分46秒

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    池田大作「権力者」の構造

     権力の王権神授説風脚色

     池田は昭和37(1962)年3月に法華講大講頭、39年4月に、戸田でさえ死後に贈られた法華講総講頭に就いて、本仏・日蓮の宗教的権威を、日蓮正宗の法主を通じて一身に具現したが、この有徳王のはめこみによって、法主よりも上位者、創価学会・日蓮正宗内での最高権力者となった。
     だからこそ、池田は、「諸君は、会長になろうなどという気持ちをもってはならない。なぜかならば、会長という役割を全員が目的にすることは、あまりにも愚かです。会長というのはご仏意なのです」(『池田会長全集』3)と公言出来たのであり、また教授である大幹部に試験を課して、その更迭をほしいままにする権能を授けられたのである。
    「教学部長が先日、私に対して『・・・・・いつも試験官である教授全員も、いっぺん試験をしてためしていただきたい』と、このような殊勝な考えをもらして下さいましたもので、私も同じ教授として、涙をのんで許しました。それを、それで会長だけは教授であるけれども試験を受ける必要はないという教授会の決定になりましたもので(笑い)。会長は馬鹿でも脇士がしっかりしておれば、絶対安定であることは仏法の原理でありますから(笑い)。私はやらなくてもいいことを、仏法の上から自覚しております」(『聖教新聞』昭和36年9月2日)
     こうして池田は大幹部、末端を問わず、およそ全員とは比較すべくもない、超越的な権勢を手中におさめた。
     また彼はそれを背景に、さきに述べた入信神話をはじめとする戸田との関係の聖化につとめ、さらに先輩幹部、ことに石田次男の功績を奪って、意地汚いまでに自己の戦歴表に書き加え、ペテンによる理想化によって、彼の権力を王権神授説風に脚色した。
    「(昭和25年の暮れ)恩師(戸田)と私と二人きりで、(聖教)新聞作製の構想を練った。その時、恩師はこう言われた。
    『おれが社長になる。おまえは副社長でやれ』と。この時を期して聖教新聞は創まったのである』(池田「創刊十周年に寄せる」、『聖教新聞』昭和36年4月22日)
    「池田先生は当時(26年)、第四部隊の一班長であったが、信心半年たらずで聖教新聞編集長、男子部隊長となった石田さんに対して、あらゆる面で忠告を与え、進路を示し、あたたかく守っていらっしゃった」(『大百蓮華』昭和38年12月号)
     これらが事実と相違することは、今さらいうまでもない。戸田は側近の誰彼を問わず、同紙の構想を話していたし、池田が副社長だったこともない。同紙の作製は石田を編集長に、森田一哉、岩本他見男、広告部長は原島宏治の編成で出発した。また当時、あらゆる面で石田の下位にいた池田が、石田に「忠告を与え、進路を示」すなどは、あり得ようもなかった。池田は昭和32年においてさえ、まだ、石田を、「信頼出来るといって、これ程立派な人はいない。俺の兄貴だもの」(『聖教新聞』昭和32年10月4日)と、評していたほどである。
     さらに北条浩は『大百蓮華』(昭和39年2月号)の池田の「闘争日誌」に、「(昭和27年)3・26 キリスト教討論」との一項を記しているが、これも事実は、「有名なキリスト教法論で、戸田先生が石田さんを指名されたのも、その実力を買っていらっしゃったゆえであろう」(『大百蓮華』昭和38年12月号)というのが真相で、池田の戦功ではない。
     石田次男のかつての存在は、池田の跡目相続の神性を損なう目の上のタンコブだったから、池田の石田からの収奪は、とりわけ甚だしかった。が、功績の書き替えは石田からにとどまるものではない。
     例えば昭和27年2月、池田は蒲田支部員の折伏を督励して201世帯の折伏を記録し、「2月闘争」という言葉を残した、と自らいう(池田『人間革命』5)が、このとき池田は同支部の一幹事に過ぎず、それも一月に就いたばかりであり、これはとりもなおさず支部長・小泉隆の功績を奪うものである。
      




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  • from: 21世紀さん

    2011年07月16日 18時27分02秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」
    <誤字>

    ************************************************************
    そもそも、いまコピーで出回っている「通諜」なるものは、字が間違っています。正しくは「通牒」ですよね。こんなひどい間違いを、戦時中、厳格な教育者であった牧口先生や戸田先生が・・・(元学会教学部長・小平芳平『創価新報』H5.6.16)
    ------------------------------------------------------------
    非常時下、慌(あわ)てふためいて作った文書(それも、ガリ版の原紙を書くのは、牧口・戸田両氏が直接ではなく、担当者がいたことだろう)であれば、字の間違いがあっても何ら不思議ではない。それよりも、むしろ後年の偽作だとした場合には、時間の余裕もある中で、念入りに作るであろうから、字の間違いなど起こりえぬであろう。したがって、逆に、この単純なミスが「通諜」の信憑性を高めている、とすら感ぜられるのである。(『慧妙』H5.8.16)

    ◆給う(ママ)(ふ)(『大善生活実証録』/『牧口常三郎全集』第10巻130頁)、賞罰(ママ)(読点カ)(同132頁)、準基(ママ)(基準カ)(同132頁)、怯ぢず(ママ)(怖)(同133頁)、言語同断(ママ)(道)(同134頁)
    -----------------------
    これは、『大善生活実証録』の中の「大善生活法実験証明の指導要領」の項にあった誤字脱字の訂正である。わずか6頁中に5ヵ所も間違いがある。公式の出版物でさえ、これほどのミスがある。慌てて校正する暇もなかったであろう手書きのガリ版印刷であれば、これ以上の誤字脱字等があっても不思議ではなかろう。

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月16日 00時22分16秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」
    <戸田氏の筆跡>

    ************************************************************
     今回の『慧妙』同様、日顕宗時局協議会資料収集班1班が、「通諜」を本物と断定して、平成3年の3月と5月に、それぞれ「『神札問題』について」と「日蓮正宗の戦争責任」と題する文を宗内に配布した。
     このとき、創価学会側は、谷川佳樹男子部長名で日顕宛に抗議文を送り、文中、
     「すなわち、まず何よりも、『通諜』なる文書の筆跡は、戸田理事長の筆跡とは似ても似つかないほど全く異なるものであり、明らかに第三者の筆によるものであるということであります。」(『地涌』第666号)
    ------------------------------------------------------------
    ●ワラ半紙にガリ版刷りの「通諜」があったのである。その数、およそ30枚―。(『慧妙』H5.6.1)
    -----------------------
    ガリ版の原紙を書くのは、牧口・戸田両氏が直接ではなく、担当者がいたことだろう(『慧妙』H5.8.16)

    ●印刷原稿を作る仕事は、通称「ガリ切り」と呼ばれ、ヤスリ板の上にロウ原紙をのせ、鉄筆で枠の中をひたすら文字で埋めてゆく実に根気のいる仕事だった。ガリ切りで内職をする人もいて、早い話がその道の「プロ」までいた。(<ガリ版印刷機>)
    -----------------------
    このような、単純だが根気のいる作業を理事長自らが行ったと考える方が、不自然であろう。戸田理事長がメモ書きし、それをもとに印刷原稿を作る仕事は、身近にいた人が行ったと考えるべきである。従って、「通諜」の筆跡は戸田理事長のものでなくて当然である。

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  • from: 21世紀さん

    2011年07月15日 19時24分28秒

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    「Re:牧口常三郎の実像」
    <理事長名>

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    なにゆえそのような重大な方針転換を会長の名で出さないのか?応急処置がこれだというのなら、会長名で出すのが自然である。弾圧を避けるためというのなら、牧口会長を守るという観点からもそれが当然である。(旧sf:2075)
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    緊急のことでもあり、原稿の作成や印刷の手配など、戸田氏の責任で行ったのであろう。戸田氏と牧口会長が一体の関係であったことは、会員の間に広く浸透していたであろうし、立場上も「理事長」であるから、会内の重要事項を理事長名で出すことに何ら問題はない。現在の学会の会則では理事長が「代表役員」の地位にあり、「臨時に会長の職務を行う」とある。世間的にも理事長が、緊急時その他において代表者として行動することは不自然とはいえない。

    ◆第14条 理事長は、会長を補佐し、会務を掌理し、会長に事故のあるときまたは会長が欠けたとき、臨時に、会長の職務を行なう。(現在の学会会則)

    ◆第15条 理事長は、宗教法人「創価学会」の代表役員を兼務する。(現在の学会会則)

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