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from: 21世紀さん
2011年08月29日 18時45分55秒
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池田大作の実像
池田大作の「履歴書」
【幼少期】
●生れは大森のノリ屋です。3歳くらいの時蒲田に移り、それ以後東京に住んでいるわけです。小学校では栄養不良で3・4回も死にそこない、がんらい身体が非常に弱かったんです。終戦の年には6回目の肋膜をしていましたし、肛門(コウモンネンマクビラン)性のもので、耳や鼻などみんな悪く、血痰がでてたんです。(池田発言/小口偉一編『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』河出書房、1956年57頁)
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池田は昭和22年8月の入信だが、戸田は学会を戦後再発足させた後、早い時期に宗教学者の調査を受け入れ、池田にもインタビューに答えさせている(『フォーラム21』H14.7.1)。
●「子之吉さんの家族は、大森(現・東京都大田区大森北)の池田本家が所有する"学校に似た木造2階建て"の海苔作業場(現・大田区東糀谷)に仮住まいのような感じで暮らしていました」池田大作さんの幼少期を知る深沢さん(年上の女性)はそう語る。太作少年(1953年25歳のとき大作へ改名)の父・子之吉さんと母・一(いち)さんの間には8人の子がいた。太作さんは5番目である。貧しかった。(『フォーラム21』H15.1.1)
●子之吉さんは太作少年が尋常小学校2年生のとき(1935年)、リューマチで寝込むようになってしまった。おまけに、ほどなく「池田様」と呼ばれていた本家の海苔づくりが傾き、これに依存していた子之吉さんの家族は極貧に陥った。子之吉さんは寡黙かつ強情だった。彼を知る女性が「(妻の一さんとは)別の人に手を出し子どもを産ませてしまった」と話す。(『フォーラム21』H15.1.1)
●昭和17年に萩中国民学校を卒業する時、池田君は4組にいました。彼はとにかく印象のない男だったね。勉強も目立たないし、身体も強くない。それに海苔漁師はみんな貧乏だった。彼の家はたしか分家で、生活は特に苦しかったはずです。後で創価学会会長があの池田だなんていう話になって、みんな驚いたものですよ(小学校時代の同級生『週刊新潮』H15.12.18)-
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コメント: 全44件
from: 21世紀さん
2011年09月26日 12時11分06秒
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「Re:池田大作の実像」
<勤行>
●ねェ、朝勤行してない人、ずいぶんいるかも知れないけどさァ、いいですよ、お題目1ぺんでいいんです。(H4.4.26・第53回本部幹部会/『慧妙』H16.8.16)
●学会の内部資料(学会が裁判の際に証拠として提出した"池田大作の行動記録")によれば、池田は昭和45年当時より、五座三座の勤行もまともにしていなかったことが明らかです。
・「十四時二十五分 勤行 十四時三十五分 手紙二通書く」→勤行10分
・「十三時十五分 勤行 十三時二十分 食事 広間 原稿」→勤行5分
・「十一時〇〇分 勤行 十一時〇〇分 離れに行かれる」→勤行0分
・「十四時〇四分 勤行 十四時一〇分 終了 おそば」→勤行6分
(学会が「月刊ペン」裁判の際に証拠として提出した"池田大作の行動記録")
池田の朝の勤行というのは、ほとんど、5・6分、あるいは0分(おそらく題目三唱のみ)といった、呆れ果てた体(てい)たらくなのです。
それ故(ゆえ)、かつて、池田大作が総本山大石寺の法要に参詣(さんけい)した折など、わずかな時間の正座で、すぐに足がしびれて立てなくなるのを、多くの僧俗(そうぞく)が目の当たりにしています。(『慧妙』H16.8.16)
[画像]:学会が、自ら裁判所に提出した池田の行動記録
●池田が、多勢の会員の導師となって読経・唱題(むろん短い時間ですが)することもありますが、その内容・実態を見ると、さらに呆れさせられます。というのは、池田の前にある経机の上には、常に茶托(ちゃたく)と茶碗(ちゃわん)が置かれており、池田は茶を飲みながら勤行の導師を行なっているのです。経机を卓袱台(ちゃぶだい)の代わりにし、茶を飲みながら勤行する―池田の行体の弛(ゆる)み様(よう)には、もはや開いた口が塞(ふさ)がりません。(『慧妙』H16.8.16)
[画像]:経机の上に茶托と茶碗を置いて読経・唱題する池田大作
<本尊>
●本門戒壇・板本尊、何だ!寛尊(かんそん)は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(H5.9.7・本部幹部会/『慧妙』H16.11.16)
●(三大秘法総在の大御本尊のことを)やっぱり、曼荼羅はいつかなくなっちゃう。物体だから(H5.5.3・池田発言/『慧妙』H16.11.16)
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from: 21世紀さん
2011年09月26日 12時02分07秒
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「Re:池田大作の実像」
【信心】
<矯慢(きょうまん)>
●私の話が高尚(こうしょう)で、そしてわかりやすく、そいで哲学的で、そいで文学調で、詩的で、そいで会話的である。頭がそうとう聡明でないと追っついていけないんです。そいで、行き詰まったところでコーラスやって、皆なでウップン晴らしをすると。それが、芸術的、SGIの本当の仏法の行き方なんです。その反対が日顕(上人)の行き方なんです。(H5.1.27・アメリカSGI&関西合同総会)
●法華経第4の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては私だ!総じては学会員――を、たとえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の仰せです。(H4.4.26・第8回中部総会)
●心から、全世界の創価学会を代表して、中部の壮年部にご苦労さまと申し上げます。アリガト。(※参加者、拍手して手を振る)もォ、手の振り方もやっとだしね。それから、今、手を振った人、中風になりません!! 顔色がいい。ね。もう少し景気よく振ればねェ、福運つくんだけど……(H4.4.26・第8回中部総会)
●"師弟血脈"という観点から大聖人の仏法の本因・本果の流れを見るならば、大聖人のお立場は本因妙の仏法の上の本果妙であり、第2祖日興上人が本因妙ということになる。(中略)今度は私が本果、北條理事長をはじめ副会長が本因の立場になるのである。(池田大作『前進』S52.6/『慧妙』H16.8.16)
●なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく。(池田大作・第40回社長会・S45.11.19/『慧妙』H16.8.16)
●私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(池田大作『前進』S45.5/『慧妙』H16.8.16)
●皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊(こわ)れていてはだめだ。(池田大作『前進』S44.10/『慧妙』H16.8.16)
●私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ。(池田大作・第15回社長会・S43.8.3/『慧妙』H16.8.16)
●私から幹部の任命を受けることは、記別(仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けること です。会合もただ列座しているのと、記別を受けて出るのとでは違う。記別とは信心の血脈です。これなくしては「法華経を持つとも無益なり」である。私は現在の仏法の指導者です。私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ、「霊山(りょうぜん)に近づく鳥は金色になる」との御金言のごとく、幸福境界を確立することができるのです。(池田大作『前進』S42.2/『慧妙』H16.8.16)
●そばにいても、会長の心を知ることは難しい。雖近而不見 (すいごんにふけん)である。(池田大作『前進』S42.2/『慧妙』H16.8.16)
●私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(池田大作『前進』S41.1/『慧妙』H16.8.16)
●大信者に対して失礼じゃないか(第2回正本堂建設委員会 於妙光寺S40頃)
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所化が会議の座配を作っていたのかな?最初は、会議の席は当然一番正面が猊下の席で、その次が総監さんで、要するに池田の席が最上席でなかったらしいんだね。それを作っている時に観妙院さんが来られて、「これではダメだ」と言って、(池田は慶讃委員長だから)正面の席を猊下と池田と並べるように作り替えたんだよ。しかし、それを学会の青年部が見ていて、最初に作った座配のことを逐一池田に報告をしたのが事の起こりらしい。それで、池田が怒ったんだ。彼は「●」と言ったんだけど、彼は非常に発音が不明瞭な点があって、始め何を怒っているのか、末席にいたからわからなかったんだ。何はともあれ、会議の時に猊下と並んで池田も座ったんだから、なんら問題はないにもかかわらず、それを2時間ぐらい会議はそっちのけにして文句を言い続けていたんだ。本当に蛇みたいにしつこかったよ。(前川慈肇御尊師『富士の法統妙教編集室』)
●私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合(きょうちみょうごう) していなければ、異体同心とはいえない。(池田大作『前進』S40.6/『慧妙』H16.8.16)
●私のそばにいたら私になんでも言えるように境智冥合しなさい。それ以外にないよ。私は信心の指導者だ。私しかいないよ。(池田大作『前進』S40.6/『慧妙』H16.8.16)
●池田会長は、モダンな本部応接室のアームチェアーにアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気でいった。 「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」 同席の大幹部数人は深く肯(うなず)き、息をのんだ。(池田大作インタビュー=評論家・高瀬広居『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』S40/『週刊新潮』H15.12.18)
本仏気取りで弟子檀那(だんな)に成仏の記別を与え、三世十方を見通すがごとき大風呂敷を広げ、自らを福運の当体と言って憚(はばか)らず、自分が功徳を与える、自分と境智冥合せよ、と説く池田大作―まさに"池田本仏論"は、他ならぬ池田大作自身が作出した大謗法であることが、これらの慢心発言から明らかであります。
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from: 21世紀さん
2011年09月25日 11時14分49秒
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「Re:池田大作の実像」
[画像]:最後は、会員の歓声にオーバーアクションで「ビックリしたなァ、もー」(『慧妙』H18.8.1)=まともなスピーチもせず、会員を小馬鹿にしたパフォーマンスだけで帰ってしまった池田大作―彼が、会員のことなど全く大事にしていないことが、このビデオを見るとよく判(わか)ります。
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from: 21世紀さん
2011年09月25日 11時03分49秒
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「Re:池田大作の実像」
<奇行>
[画像]:壇上の幹部を皮肉って、進軍ラッパを吹く真似(『慧妙』H18.8.1)=スピーチの冒頭で、いきなり、アメリカSGI名誉理事長となったジョージ・ウイリアムス氏の批判を始めました。驚くべきことに、本人が幹部席にいるにも拘(かか)わらず、です。ウイリアムス氏には人望がなかった、と言いたい池田は、「1人で進軍ラッパ吹いていた」とラッパを吹く真似(まね)。要するに「笛吹けど踊らず」だった、と言いたかったようです。
from: 21世紀さん
2011年09月24日 12時43分25秒
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「Re:池田大作の実像」
<奇行>
[画像]:弓を引く真似をして「バーン!」(『慧妙』H18.8.1)=「御本尊にピシャッと願いが通じるような、真剣勝負の勤行……」と語りながら、ピストルを撃(う)ったり弓矢を射(い)る真似をして見せるのです。
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from: 21世紀さん
2011年09月24日 12時31分26秒
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「Re:池田大作の実像」
<物欲>
●正本堂の御供養。5年間であれだけ。10年間はあの倍。あの発表の外に百億はやった。又、かせぐよ(第44回社長会S46.1.26)
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池田は、正本堂建立御供養(学会では、355億円が集まったと発表していました)においても、公式発表した以外に百億円を稼いだばかりか、宗門を恫喝して、納めた御供養の中からも13億7千万円を拠出(きょしゅつ)せしめています。
さらには、今や年間2千億円以上を集金する狂乱財務。昭和56年には150億円だったものが、今では10倍以上。平成2年などは3千9百億円集めたといわれます。(『慧妙』H18.2.1)
●本山の全T・V報告。東洋(東洋物産)でやらせようね、いいね。どれ位儲(もう)かる。10%かそれでは少ない、15%位儲けなさい。かまわないよ(第53回社長会S46.10.13)
●本山のCATV予算はいくらだ。2億1千万か。その見積はそれとして、1千750万技術料として加算しなさい(第56回社長会S46.12.31)
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学会の系列企業に「●」と命じ、あらゆる機会を通じて日蓮正宗からも不当な搾取(さくしゅ)を続けてきました。(『慧妙』H18.2.1)
●皆んなは公私混同、公私混同と云うが、私は公私混同で全部公だよ。仏法に私はないよ(第20回社長会S44.1.22)
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かくして集金された金銭は、いったい、どこへ消えて行ったのでしょうか。いみじくも、池田は次のように(●)言いました。
全国の学会施設のうち約百ヵ所に池田専用施設が設けられ、国家元首も及ばぬような、贅(ぜい)を尽くした風呂、トイレ、ぶ厚いジュータン、壮大なシャンデリア等々が用意されたことは、すでに多くの証言、証拠写真によって明らかといえましょう。それぞれの専用施設が、数億から数十億かけて作られ(しかも、土地代を除いて、です)、調査を受けそうになれば一夜にして取り壊し、また作る―まさに池田発言のごとく、池田は「公私混同で全部公だ」との信念(?)のもと、学会に集まる巨額の金を好き放題に使ってきたのであります。
かの1億7千万円入り金庫が捨てられていた事件(平成元年7月)にしてもしかり。中西治雄総務(当時)が犠牲となり、全てをかぶって記者会見しましたが、"中西氏個人の商売で得た金が、金庫に入って聖教新聞社の地下にあり、それも昭和46年当時で現在の6億円にもあたる大金を、20年近く忘れていた"などという釈明を、いったい、誰が信じるというのでしょうか。
この事件発覚の際、『聖教新聞』は、「今度は廃品金庫から1億7千万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画(ぎが)・縮図か」(「寸鉄」欄)などと酷評(こくひょう)していましたが、"捕えてみれば我が子なり"で、まさに「欲ボケ」池田学会の「縮図」ともいうべき事件でありました。(『慧妙』H18.2.1)
●(※日達上人に)おい、金があるだろ。金を出せ!(正本堂の落成1周年記念の後S48)
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創価学会は正本堂の御供養に全力をあげたのだから、今度は宗門が、その返礼として創価大学の建設に金を出せということだと聞いていたけど(前川慈肇御尊師『富士の法統妙教編集室』)
<名誉欲>
◆池田大作氏の理論の精髄(せいずい)は「哲学」です。ゆえに、人種や国境という違いを超えて、平和を伝播(でんぱ)することができます(東北師範大学の「池田大作哲学研究所」所長『聖教新聞』H19.6.2/『慧妙』H19.8.1)
◆池田先生の哲学こそ東洋思想の真髄(しんずい)であり、人類にとって最も必要とされる思想であることを証明するには、本格的な研究活動が不可欠です(東北師範大学長『聖教新聞』H19.6.2/『慧妙』H19.8.1)
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中国その他の国において"称賛"されている池田であるが、その称賛の中身は「哲学」であり、とくに「平和の伝播」に関するものであることが分かる。"大聖人直結"を自認する者が、大聖人の教えを広めずに「池田大作氏の理論」「池田先生の哲学」を広めているのだから、呆れてしまう。
中国では「池田」の名前を知っている者はいても「日蓮大聖人」の御名前を知っている者はいないであろう。また、池田を知っている者にとってのキーワードは「哲学」「平和」であって決して仏法ではない―こんなことが容易に推測できる。
してみれば、池田の"海外旅行"の真の目的は、「池田大作」の名前と「平和」をセットで浸透させることであり、その先にあるものは……と簡単に池田の野望が透けて見えるではないか。(法蔵)
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from: 21世紀さん
2011年09月23日 22時26分54秒
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「Re:池田大作の実像」
<臆病>
●池田氏の本質は神経質、はっきり言うと臆病なのだ。これは悪口の類ではない。あの猜疑心の強さと臆病さがあって、今日の創価学会と池田氏があるのである。(元公明党委員長・矢野絢也『G2』/<YAHOO>H22.1.25 13時35分配信)(【「内弁慶」の発露「言論出版妨害事件」】【出廷拒否の「月刊ペン事件」】参照)
●池田大作はN君の行動を見て、身構えながらも余裕の態度で「おう!君か!」(※池田はN君とは創価学園の校友会で会っている)と言いながらも、後ずさりし、突然、脱兎(だっと)のように逃げ出したのである。驚いたことに池田は、大事な来客の存在も忘れ、ただ、ひたすらN君に背を向け遁走(とんそう)した。その光景は、大指導者を装う威厳など全くなく、むしろ滑稽(こっけい)な喜劇役者のように写った。 池田は、よほど気が動転したのか、いつも利用している本部正面玄関と文化会館来客用玄関との区別ができず、文化会館に間違って飛びこみ、あわてて、そこから飛び出してきた。(元学会本部職員・小多仁伯『慧妙』H15.12.1)
<コンプレックス>
●長男・博正氏が生まれた時、正式に「大作」と改める。「たいちゃん」「たっちゃん」と呼ばれていた年少時代に触れられることをひどく嫌う。(戸口浩著『創価学会の真実』日新報道200頁)
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名前にコンプレックス?
●オウムの麻原もそうでしたが、私もやはり池田氏を考える場合にこの言葉(※コンプレックス)が第一に浮かびます。大森海岸の海苔屋に生まれ、学歴もない彼が、社会的に認知されている人をコントロールできる快感を覚えたのではないでしょうか。彼らの共通点はエリートを支配することに喜びを感じることです。池田さんは実は非常に小心で、自信のない人だと思います。自信あるリーダーというのは、相手を一方的に支配しようとはしません。気が小さいからこそ、怖いのです。しかし、問題はそのリーダーに率いられ、肥大化した集団が信者どころか、日本全体を支配しようとしていることです。宗教、教団が持っている暴力性、排他性、差別性というものは物凄く強い。ヨーロッパの歴史を見れば分ると思いますが、肥大化したこういう集団を動かした時には無限の力が働き、人間一人一人を蹂躙していくことは歴史が証明しています。排他、除外というものは、宗教によって美化されます。普通の組織、政治とは違った、宗教自身の持つ恐ろしさを忘れてはなりません。(宗教学者・山崎龍明=武蔵野大学教授『週刊新潮』H15.12.18)
<嫉妬>
●池田大作が欲しくても貰(もら)えない「勲一等」の勲章を竹入氏が受けたことで、激怒した池田大作は、竹入氏が『朝日新聞』に回顧録を連載し、日中国交回復の裏話を明らかにした中に、池田大作のことを一言も触れなかったことで、またまた激怒して、『聖教新聞』と公明党による〝竹入バッシング〟を徹底的に行ないました。
それでも腹の虫が治まらなくて、公明党に
「竹入氏が、委員長時代に党の金を使って妻に高価な宝石を買った。その金を返せ」という訴訟を起こさせたようですが、先日、東京地裁で、公明党全面敗訴の判決が下りました(記事参照)。
作り話をデッチ上げ、子飼いの弁護士達を使って裁判を起こし、大勢で口を揃(そろ)えて証言していたものと思われます。(『慧妙』H20.5.1)
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銀河、
from: 21世紀さん
2011年09月23日 21時43分32秒
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「Re:池田大作の実像」
<我儘>
●なんだ、こんなケチ臭いもの(第2回正本堂建設委員会 於妙光寺S40頃)
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その次にお弁当が出た。するとまた彼は「●」なんて言う。池田は呼ばれているのだよ。たとえおにぎり1個でも、お寺で出してもらったものは、御本尊様からいただくんですよね。ありがたくいただくのが礼儀じゃないですか。しかも、猊下も同じものを召し上がるのですから。
それで、観妙院さんがとうとういたたまれなくなって、「これは猊下の思し召しです」と言ったら、池田は「あっ、それは失礼しました」って慇懃無礼(いんぎんぶれい)な謝り方でしたね。(前川慈肇御尊師『富士の法統妙教編集室』)
●メロンが小さい(第2回正本堂建設委員会 於妙光寺S40頃)
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それからデザートにメロンを出したところが、今度は「●」って、怒るんだよ(笑)。(前川慈肇御尊師『富士の法統妙教編集室』)
<品性>
●処女のお嬢さんが、輪姦(りんかん)されたあと、さらに蹴(け)とばされているような気分(インタビュー『週刊文春』)
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これは、かの言論出版妨害事件につき、池田大作が『週刊文春』のインタビューの中で語った言葉だが、いったい、どういう顔をして、こんな台詞(せりふ)を語れるのだろうか。たぶん婦女暴行魔しか使わない(?)ような、この異常な台詞は、世間に対して美辞麗句(びじれいく)を並べる池田の正体が、いかに品性下劣であるかを雄弁に物語っている。まさに宗教者云々以前の問題であろう。そもそも「輪姦」とは、「多人数の男が次々に一人の女性を強姦すること」であり、世間のほとんどの人間には、日常において、まったく縁のない言葉である。ところが池田にとっては、雑誌のインタビューという、おおっぴらなところで、簡単に口をついて出てくるほど、生活に即した言葉であるようだ。「御里が知れる」とは、こういう姿を指して言うのであろう。心底は、女性蔑視(べっし)と人権軽視そのものでありながら、"口八丁、手八丁"で、「人格高潔」な「世界の指導者」を演出し、学会員たちを洗脳し続ける希代の詐欺(さぎ)師・池田大作。(『慧妙』H16.11.16)
●金のタマゴ、キン○マじゃないよ
●んもー、糸満平和会館なんて、名前変えた方がいいんじゃないか、うまく、ダメか、ウーマンぽい、ウーマンぽい、イトマンなんてウーマンぽい、ダメか、ダメか、もっといいねー、もっといいその、キンマン、イトマン、キン○○コだよ(H5.7.7・第66回本部幹部会)
●ニューヨーク!ニューヨークの人は、毎日身体を洗っているからきれいです。(※外人には全くウケない)(H5.1.27・アメリカSGI&関西合同総会)
●ハワイ!(中略)マハロー! マハロー! バカヤロー! バッハロー!(H5.1.27・アメリカSGI&関西合同総会)
●皆さん方もねェ、もうションベンしたいから早く(※会合を)終わりたいな、って思っているよねェ。(H4.4.26・第8回中部総会)
●私がアメリカに行く2年くらい前、学会本部でセンセーと会食を共にする機会がありました。海外から来た婦人部のメンバーも交えた、6人ほどの席でした。
その時、第1庶務の若くて綺麗(きれい)な女性にいろいろと世話を焼いてもらっているセンセーの姿を見て、私は素朴(そぼく)に、「どうして、ご飯を食べるくらい自分でできないのか」と不思議に思ってしまいました。
しかも、間近でセンセーが食べる姿を見ていると、何だかとても下品なのです。平気で口を開けたままゲップはするし、音を立てて食べるし、という感じでした。(元学会公認通訳・後呂聖子『慧妙』H21.2.1)
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from: 21世紀さん
2011年09月19日 20時29分57秒
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「Re:池田大作の実像」
<傲慢>
●平成7年には、来日したネルソン・マンデラ南アフリカ共和国大統領(当時)と会見した池田大作が、いかにも親密ぶって同大統領の頬(ほお)をなでつける、という"暴挙"を犯した。これに対し、「あまりにも非礼だ」との批判が相次いだ。(『慧妙』H18.8.1)
[画像]:マンデラ大統領の頬をなでる池田(『フォーカス』H7.7.19)=この一件は、マスコミも大きく取り上げた。
●池田氏の話し方は、傲慢かつ他に恐怖心を与えるもので、彼が話を進め、他の人がそれにうなづき従う、といったものでした。 時として、彼が予期しない、一般的でない意見が述べられると、途端に彼の目には厳しい反応が現われ、警告にも似た冷たさが浮かぶのです。 私達は、形だけの会話をしながら、この男を観察いたしました。彼は、頭の先からハンドメイドの靴のつま先まで、俗人そのものであり、崇高さのひとカケラも見えませんでした。「彼の職業が何か。当ててみろ」と言われても、"宗教家"と答えられる人は、ほとんどいないでしょう。 私は、多くの有力者と会ったことがあります。それは、首相をはじめ、さまざまな分野の指導者達ですが、しかし、池田氏のように、絶対的権力者の雰囲気をにじみ出させた人物と会ったことはありませんでした。 彼は、おそらく長年にわたり、あらゆる自分の気まぐれを押し通し、すべての命令に従わせ、そして、それに対する反論や軋櫟に触れないよう、守られてきた人間なのでありましよう。 私はめったに恐怖を感じることはないのですが、彼の中にある何かに、私は体の芯までゾッとさせられました。 夕食は苦しい体験でした。私達は、伝統的な日本間に通されました。畳に座布団を敷き、池田氏を中心にテーブルを囲みました。テーブルの中央には料理人が入り、熱い油の鍋から天ぷらを揚げてくれるのです。 「あまり堅苦しい話は、今夜はやめにして、ともかく楽しみましょう」と、池田氏は命令口調で言いました。 私達は、耐えがたい、くだらない会話を、まだ続けなければならないのかと、沈痛な気分になりました(ポーリー・トインビー=トインビー博士の孫娘『ガーディアン』S59.5.19/『フォーラム21』H17.1.1)
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昭和59年、ポーリー・トインビーさんは創価学会の招待で来日し、池田氏と面談。未発表の対談部分の出版を依頼されたのだが、その際の感想を帰国後、手記として『ガーディアン』紙(S59.5.19)に発表した。
●紹介する写真(①②③)は、昭和40年代、創価学会本部内で撮られたものです。『月刊ペン』裁判の記録によれば、池田によって顔に落書きをされた被害者は、当時、創価学会第1庶務に勤務していたYさんの娘。プライバシー保護のため被害者である幼児の目を隠していますが、少なくとも原版写真を見るかぎり、幼児が喜んでいるようには見えません。否、むしろ、困惑の表情をしています。(『慧妙』H18.9.1)
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親としては、たとえ相手が誰であっても、自分の子供が慰(なぐさ)み者にされるのを見て平常心でいられるわけがありません。
にも拘(かか)わらず、池田大作は、平気で幼児を慰み者にしたのです。これぞ"自分は何をしても許される"という慢心の極みでなくして、いったい何でしょう。
[画像]:幼児の顔に落書きする池田
●私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である。(『池田大作―その思想と生き方』S40/『慧妙』H17.4.1)
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会長就任の5年後、37歳の池田会長にインタビューした評論家・高瀬広居氏の『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』(65年)(『週刊新潮』H15.12.18)
from: 21世紀さん
2011年09月17日 19時54分41秒
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「Re:池田大作の実像」
【人格】
<憎悪>
●怒りの炎を燃やして「戦闘」する!「叱咤(しった)」する!「攻撃」する!「追撃(ついげき)」する!これこそが仏法であり、正しき人間の道である。(池田大作『聖教新聞』H11.10.11/『慧妙』H17.5.1)
●師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ。(平成8年11月3日「創価同窓の集い」にて/『週刊新潮』H15.12.18)
●2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい(中略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい(池田大作『聖教新聞』H6.9.2/『大白法』H14.8.1)
●あっ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんていうのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会/『慧妙』H17.1.1)
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池田大作は、アメリカ大統領との会見を何度も企てたものの、これまで1度も実現していない、という。その腹いせに、当時の大統領だったクリントン氏を"嘘つき"呼ばわりし、クサして見せた!?
●あのー、まぁ日顕(※日蓮正宗管長・阿部日顕上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね。(平成4年12月13日・全国青年部幹部会)
●このあいだ、オバサン、オバサンジョだ。2つ字を加えなきゃオバサンだったが、男だったんですよ(※ナイジェリアのオバサンジョ元国家元首のこと)。アフリカ全体の中心的人物だ。じつを言えば頭がいいんです、なかなかねェ。アフリカっていうと、少しねェ、黒くてねェ。そう、そんなもんじゃない、先入観がよくない。1番バカなのは日顕(上人)!(平成4年4月26日・第8回中部総会)
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「人権」「人権」と騒ぐ池田大作こそ、じつはアフリカの人々を偏見の目で見ている、という本音がポロリ!
●脱会者は自殺するまで追いつめろ(『諸君!』H4.5/『妙観』H4.5.15/『大白法』H15.1.16)
●全員が「勝つ」と強く決めていけ!勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ!私は恐れなど微塵(みじん)もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気でいけ!強気で勝つんだ!強気、強気、強気…でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。(中略)なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴(どな)っていけばいいんだ!(中略) 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ!(H1.3.12・埼玉指導での池田大作発言/『慧妙』H17.5.1)
●私は、戸田先生から〝あいつを殺せ〟と言われれば殺す気で、お仕(つか)えしてきた。君は私が「殺せ」と言ったら人を殺せるか
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と言われ、ためらうことなく「ハイ」と答えて弟子に加えられ、「新弟子証」を与えられました。(〝新弟子〟は、池田の門下生であり、牧口・戸田氏の門下は、〝本弟子〟とされました。池田は、日蓮大聖人が「本六・新六」の弟子を定められたのを真似〈まね〉したのです。)(創価学会元顧問弁護士・山崎正友『慧妙』H20.5.1)
from: 21世紀さん
2011年09月17日 19時52分26秒
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「Re:池田大作の実像」
思想と人格
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池田大作の思想と人格
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http://www.toride.org/real/real.htm
自前の機関紙誌をフルに使い、日蓮正宗誹謗(ひぼう)に明け暮れる創価学会は、この世の中に存在する野卑(やひ)な言葉の全(すべ)てを集めたような俗悪記事を、相も変わらずタレ流し続けている。こんな下劣な記事を掲載できる感性は"異常"と断定せざるを得ないが、そもそも教祖からして"異常"な人物である故、学会内部においては、"異常"も"正常"と受け止める者が大半なのであろう。(『慧妙』H16.11.16)
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from: 21世紀さん
2011年09月11日 19時27分23秒
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「Re:池田大作の実像」
戸田会長の7回忌を機に池田教に転換
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―全権握り衆院を目指した池田―
―"「戸田」の威"を借りた池田―
(元創価学会本部広報部副部長・小川/頼宣『慧妙』H22.4.1)
前述のとおり、『水滸会記録』中の「衆議院」に関するわずか230字の記述から、創価学会に巨大すぎる負荷がかかった。
この負荷が学会に歪(ゆが)みをもたらした。
幹部も会員も、寝食を惜しんで衆議院選挙を戦った。多くの会員が会社をクビになったり、選挙違反で捕まったりした。当選責任者の総司令は、落とせば池田大作の逆鱗(げきりん)に触れ、左遷(させん)された。
学会は、衆議院議員を増やすため、「全ては広宣流布のためである」と称し、犠牲者を切り捨て、死の行進を始めたのである。それは池田大作の、原稿用紙1枚にも満たない粗雑な記述から始まった。
こんな虚構の大義が、なぜ昭和39年から表看板にしゃしゃり出てきたのか。
団結の年と名付けられたこの年は「広布本門の時代」とも位置づけられた。その性格は、戸田城聖の7回忌法要における話で明らかである。すなわち、
●過去7年間は恩師戸田城聖の遺命と構想を実現し、飛躍的発展を遂(と)げた時代であったが、それはもはや夢に過ぎない。いよいよこれからは、第3代池田会長の類(たぐい)なき独創力と指導力、構想力をともに呼吸しつつ、広布、世界平和の大事業を、独自に、思う存分展開せんとするとき(聖教新聞社刊『革命の大河』より)
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だという。恩師戸田城聖の霊前で、戸田の遺命を実現するのは夢に過ぎず、これからは池田大作が独自の路線を展開すると言っている。
恩師を蔑(ないがし)ろにすること甚(はなは)だしい内容だ。少なくとも弟子の言うことではない。
4月1日、戸田城聖の7回忌の「お逮夜法要」で、最高幹部にありうべからざる右の発言をさせて、池田大作自身は「私ども戸田門下生は、本日をまた第一歩として、再び第三文明、世界平和建設への第2の目標へ向かって、勇敢に、力強く大勝利の進軍を開始したい」と述べた。
当時大学1年の私は「迹門から本門の時代になったのだ。本門とは理ではなく事である。事とは実践である」との指導を受け、素直に折伏に励んでいたが、「しかしどうして戸田城聖先生の構想を実現するのが迹門なのか?」釈然としなかった。
では、池田大作は、戸田城聖が逝去(せいきょ)してからの7年間で、何をしたのだろうか。
・昭和36年5月3日、文化局の設置。
文化局は、政治、経済、教育、言論の4部からなる。局長には辻武寿参議院議員が就(つ)いた。ことに政治部は
●混乱した日本の政界を浄化するため、学会精神に育(はぐく)まれた優秀な政治部員を養成し、日本の政治に正しい方向を示していくとともに、本質的な国立戒壇建立という大業の必要性を、政界に理解させようというものである(『聖教新聞』S36.5.6)
●創価学会は政党ではない。したがって衆議院にコマを進めるものではない。あくまでも、参議院、地方議会、政党色があってはならない分野に議員を送るものである(『大白蓮華』S36.6)
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と公言した。しかし、その後の動きは、明らかに衆議院進出を目指した政党結成の布石を次々と打っている。
・昭和36年11月27日、公明政治連盟を発足。
・昭和37年4月2日、『公明新聞』を創刊。
・昭和37年7月20日、参議院の院内交渉団体・公明会を結成。公政連の15議員を無所属クラブから独立させる。事実上の政党結成である。
・昭和37年9月13日、公政連の第1回大会で、池田大作は次のように言う。
●もし10年先、20年先、(略)大政治団体になり、皆さん方が一流の名士になって、派閥やそれから反目があるような事が、もし毛筋でもあったならば、即座に我が政治連盟は、大衆の政治団体ではない、そういう資格はないものとして、解散を私はすべきであるということを、本日第1回の大会において、言い残しておきたいのであります。(『公明新聞』S37.9.16)
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これは、公政連のオーナーである池田大作に解散権がある、と言っているようなものだ。
右の動きと対応する形で、創価学会の規則も大幅に変貌(へんぼう)を遂げている。
池田大作は、戸田城聖の「ゆずる会長は1人でありますが、その時に、分裂があってはなりませんぞ」との遺訓を盾(たて)に、会内支配を強め、創価学会規則の改定を繰り返し、独裁体制を完成させていく。
・昭37年6月の創価学会規則の改定では、
会長は4年の任期と定められ、理事会によって罷免(ひめん)されることがある
と定められていた。
・それが昭和41年5月の規則になると、会長は、
①創価学会の責任役員である
②総務を統括する
③幹部会を招集する権限を持つ
④責任役員を任命し罷免する
⑤副理事長、理事、その他の必要な役員を任命し罷免する
⑥任期は終身とする
⑦会長の後任を選ぶことができる
と変わっている。
運営権、人事権、財産処理権、全ての権限が池田に集中しており、これは改定という域を超えている。まるで「宮廷クーデター」による革命か、下剋上(げこくじょう)による主(あるじ)殺しの国盗り物語である。
通常、革命政権とは、政府軍と革命軍が堂々と戦場で渡り合って雌雄(しゆう)を決し、革命軍が勝利して新しい政権を確立することをいう。
これに対し「宮廷クーデター」とは、大統領以下の閣僚を少数の部隊が殺戮(さつりく)し、軍を掌握(しょうあく)した後、自らが大統領であるという宣言をマスコミによって発表する。
当然のことながら政治体制に変革はない。選挙によらず、武力によらない政権交代だと思ってもらえればよい。暗く卑怯(ひきょう)な政権との印象が
強い。
余談ながら、池田大作は、マムシとあだ名を取る斎藤道三を主人公にした、司馬遼太郎の『国盗り物語』の例をよく引いた。自分によく似ていると思ったからなのか、一度聞いてみたいものである。
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from: 21世紀さん
2011年09月11日 19時23分07秒
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「Re:池田大作の実像」
池田は「仏法西還」の先駆にあらず
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―功労者に箝口令(かんこうれい)布き"実績"独占―
(『慧妙』H16.4.1抜粋編集)
<虚構だった池田による"仏法西還">
―池田渡印の前年、すでに正法は到達―
池田大作が第3代会長に就任した翌年、「仏法西還」と称し、日達上人と共にインドを訪れ、日達上人御書写の『三大秘法禀承事』や、池田の揮毫(きごう)を彫りつけた石版などをブッダガヤの地に埋めた時のことである。
************************************************************
1◆今回の山本伸一のアジア訪問の目的は、日蓮大聖人の御予言である、"仏法西還"の第一歩を印し、東洋の幸福と恒久平和への道を開くことにあった。(中略)
もしも、創価学会がなければ、この仏法西還の御本仏の御予言も、虚妄(こもう)となってしまったにちがいない。
その先駆けの歩みを、伸一は会長に就任して迎えた新しき年の初めに、踏み出そうとしていたのである。それは仏法の歴史を画し、東洋に生命の世紀の旭日を告げるものであった。(『新・人間革命』第3巻)
2◆この渡印にさいしては、さきのアメリカのように、現地に学会員がいて組織づくりをしてきたような事情とは違い、インドのようにひとりも会員がいない所もあり、この未開拓の分野に先駆をきって戦ってくるわけである。(『聖教新聞』S36.1.18)
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"月氏国すなわちインドへ正法が流布していく歴史的先鞭(せんべん)は、このオレがつけた!"そんな池田の得意顔が目に浮かぶようではないか。
この記事(2◆)にしてからが、池田宣揚のために事実を曲げている。
というのは、その当時、インドにはすでに正宗信徒(学会員)がおり、しかも熱心に信仰に励んでいた。その事実は創価学会としても充分に承知しており、『大白蓮華』(S35.8)誌上にも、その事実を述べていたのだ(写真参照)。
[画像]:海外広布の進捗状況を伝える『大白蓮華』S35.8=そこには、「昭和35年4月調べ」として、「インド2世帯」と明確に
しかして、そのうちの1人で、インドの最初の「一粒種」であるT・プラサド氏は、何を隠そう、三宅妙子さん(<恋文に認めたお粗末な「詩」>参照)の夫君、伊藤監英氏が折伏した人物であった。
●私が、夫・伊藤監英と結婚したのは、昭和34年9月のことでした。
その頃、私たち夫婦の新居を座談会場に、もっぱら外国人を対象にして折伏を進めていました。その際、当時、アジア各国との技術交流を推進する、アジア協会(※「アジア協会」とは、「国際協力事業団」の前身の1つである「海外技術協力事業団」の旧称)というところに勤めていた央洋一さんという学会員が通訳を担当していました。
T・プラサド氏は、アジア協会で技術研修を受けるために来日していたインドの高級官僚で、彼を連れてきたのは央さんです。
プラサド氏が入信するに至る大きなきっかけとなったのは、来日中に体調を崩したプラサド氏を、約1ヵ月にわたって、私の家で看病したことです。その間、折にふれては仏法の話をしたことで、氏は入信を決意したのです。
昭和35年、プラサド氏は、御下附いただいた御本尊様をしっかりと捧持(ほうじ)し、インドヘと帰っていきました。(三宅妙子)
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かくして、日蓮正宗の御本尊は、池田が渡印する前に、すでにインドの地に到達していたのだ。昭和36年以降、池田はその事実を隠して、自分が先駆者であるかに脚色してきたのだが、それはとんだ嘘っぱちだったわけである。
<記念品埋納が成功した背景には・・・>
―功労者たちの口封じた池田ら首脳―
●池田大作が日達上人と共に渡印し、『三大秘法禀承事』などを埋納する、という話を聞き及んだ私たち夫婦と央さんは、昭和35年12月、学会本部に池田大作を訪ねました。そこには秋谷と森田もいました。
私たちは、インドの高官であるT・プラサド氏のことなどを話し、仕事を兼ねてインドに行くので、何かお手伝いさせてほしい、と申し出ました。
すると池田たちは、仏頂面で、「何かしたいというなら、行って勝手にやればいい。ただし、それが成功したからといって、表には絶対出てくるな!出てきたらクビだぞ! 」と言い放ったのです。それでも主人たちは、インドヘと旅立っていきました。
日達上人と池田らの一行が帰国した後、主人たちも帰国しましたが、ブッダガヤのことについては私達にも語ろうとしませんでした。唯一、「T・プラサドはよくやってくれた」と語った以外は―。また、央さんは、インドから帰国して間もなく、創価学会をやめてしまいました。
後に、私の弟で、池田一行に通訳として同行した三宅建夫が、「埋納が終わった後、なぜ、皆で一行の宿泊先のホテルに顔を出さなかったんだ」と言ってきましたが、出発前にあれだけ厳しくクギを刺されていれば、主人たちがホテルに行かなかったのも当然だと思います。(三宅妙子)
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昭和36年当時の創価学会といえば、海外では全く無名。その団体がいきなり、後年、世界文化遺産に登録されるような外国の聖地にモニュメントを埋めるなど、よほどの後ろ盾がなければ不可能なのは、誰の目にも明らかだろう。だからこそ、アジア協会に勤めた関係で、アジアの諸事情に通じていた央洋一氏と、インド高官のT・プラサド氏の存在は、実際に大きな影響を与えたはずだ。
ところが『新・人間革命』には、伊藤氏も央氏も、そしてT・プラサド氏もいっさい登場せず、ただただ、寸暇(すんか)を惜しみ、飛行機の中でも、空港の待合室でも、移動中の車の中でも、「行く先々で、地涌の菩薩の出現を願い、大地に題目を染み込ませる思いで、唱題し続け」た山本伸一の姿を述べるばかりなのである(この件で池田は、ブッダガヤにほど近いパトナ空港において「カルカッタにいる日本人のメンバーが迎えてくれた」などと書き、万一指弾されてもお茶を濁せるよう準備している。が、そうなると、前掲の『聖教新聞』の記述はウソだ、と、自ら白状したことになる)。
<ブッダガヤには埋納品すでに無し>
―学会はこの現実をどうするのか!?―
●伊藤は池田の"忠告"を忠実に守り、インドでの出来事は何も語りませんでしたし、記録の類も残しておいてはくれせんでした。
ところが、インドから帰国した伊藤が入院している時に、私の家に、インド政府の公式文書が郵送されてきたのです。
それを読んだ私はビックリ仰天し、入院中の伊藤に相談するのももどかしく、急いで文書を翻訳(ほんやく)し、公式文書と共に学会本部に届けました。その手紙には、「ブッダガヤの地を整備するため、埋納された品は他所に埋め直しました」と書かれていたからです。(三宅妙子)
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ちなみに、埋納当時の『聖教新聞』にも、また『新・人間革命』にも、池田らが現地の責任者に確認し、「埋納品が掘り返されることはない」とのお墨付きをもらって安堵したこと、東洋広布の暁(あかつき)にはじめて、これらの埋納品を掘り出す、ということが明記されている。
それが、埋納からいくらも経たないうちに掘り出され、別の場所に移されてしまっていた、というのは、創価学会にとってはまさに重大事。
そんな重大な連絡が伊藤氏になされたということは、インド政府は、伊藤氏こそ件(くだん)の埋納に拘(かか)わる中心的人物だと理解していたからに他ならない。
●学会本部に着いた私は、そこにいた白木薫次さん(池田大作の義父で、当時創価学会理事)に手紙を見せて事情を説明しました。ところが、白木さんはそれを聞いて慌(あわ)てるでもなく、むしろ迷惑そうな顔をするばかりで、手紙も「いらない」というから、そのまま持ち帰ってきてしまいました。
伊藤たちが、命をすり減らすような思いで行なったことが、学会にとってはそれほど軽いことだったのか、複雑な思いにかられ、私はこのことは誰にも話さず墓石の下まで持っていこう、と決意しました。学会の言う「東洋広布」というのがいつのことか知りませんが、いずれブッダガヤを掘り起こしたときに慌てればいいんです。
それが私の、いえ、池田に踏み台にされた伊藤・央・プラサドの無念を晴らす、ささやかなお返しだと思いますから。(三宅妙子)
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今まで、身内にもこの手紙のことを語ったことのなかった三宅さんは、本紙からの取材申し入れを受けようと決意した時、「全てを墓石の下に持っていっては独り相撲で終わってしまう。今こそ口を開いて、池田の欺瞞(ぎまん)ぶりを多くの人に知らせなければ」と考え直したという。
●創価学会が、日蓮正宗誹謗(ひぼう)の非を悔(く)いた上で、礼を尽くして「埋め直された場所を教えてほしい」と言ってきた時には、教えてもいいと思っています(三宅妙子)
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またしても『人間革命』の虚構は崩れ去った。心ある学会員よ、今からでも遅くはない、「池田大作」という虚像に訣別し、正法に帰依せよ。
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from: 銀河さん
2011年09月10日 18時38分45秒
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「21世紀さんお疲れ様」
私ねぇ、21世紀さん、集める情報90%真実だと、確信している。10%は、21世紀さんの体験談で無い事です。池田を信じている。学会員に何を話しても、通じないはず、又日顕を信じている法華講も同じです。私が信ずる故に、此れを敵対するは、全て悪との、論法ですよ、この理論でいけば、ブログ批判など、余り意味がないのかと思う心有りますよ。池田と日顕は、同じ穴のむじな、元品の法性は、梵天・帝釈と顕れ、元本の無明は第六天の魔王と顕われたり。
御書997-07 治病大小権実違目。日顕と池田の天魔破旬同時に現れれば、我ら凡夫じゃ、いくら気張っても、打つ手なし、でもささやかな、抵抗でも、誰か一人でも目を通し、役に立てればと、願うばかりだ。ただ命、終末近し二人とも、人は騙せても、死に顔は、隠せない。学会池田の側近よ、本山能化の坊主ども、万死に勝る罪積すると覚悟しろ。池田、日顕のデスマスク。広く信徒、檀徒に、別れ、さすように。私今から二人目に浮かぶ、二人とも、太った体に骨が浮き、目はカッパと見開いて、口は閉じるに、閉じられず。両手は、助けを求めて空つかむ。学会の原田他、私の憶測遠からずであろう日顕も池田の後追いだ。能化坊主は、腹くくり、本山・学会を宜しく願う計です。二人の天魔暴露駆る。日顕は大御本尊鑑定の結果、贋作と断定。池田は、御本尊なんて只の物です、信心の2字に、御本尊は収まれり、大聖人が云っていると。此れ又大御本尊否定。此の天魔破旬の為どれだけ広宣流布が遅れる事か。21さん又
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from: 21世紀さん
2011年09月09日 18時50分45秒
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「Re:池田大作の実像」
池田神話のひとつ「大阪事件」の真相
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―「勾留」は刑罰にあらず!「法難」は大ウソ―
―有罪会員を切り捨て何が「正義の証明」か!?―
(『フォーラム21』H14.7.1/『慧妙』H15.10.16編集)
平成15年10月1日付『創価新報』を見た。刮目(かつもく)すべきは、「昭和37年(1962年)1月25日、大阪事件の裁判で池田会長(当時)が無罪となり、無実が証明された」と息巻いている点だ。いったい事実はどうだったのか?
<「大阪事件」とは>
昭和32年4月、参議院大阪地方区の補欠選挙において、当時の学会本部長の小泉隆と渉外部長の池田大作らがこの選挙運動を指揮し、学会組織として公職選挙法に違反した事件である。具体的には、小泉理事長は、主として"実弾作戦"を、池田渉外部長は戸別訪問をそれぞれ担当、現地で指揮に当たり、府下の5支部に「選挙係」を設け、6万の会員のほとんどを戸別訪問に動員したというもの。投票数日前には"タバコ戦術"として職安十数ヵ所で、日雇(ひやと)い労務者に候補者名を書いたピースなど約4千個をバラまいた(『朝日新聞』S32.7.29夕刊の取意)容疑であった。
結果的には、翌年に小泉が無罪となり、4年後の37年1月に池田が禁固10月の求刑を受けたものの、検察側は公判で戸別訪問の指示を立証できず、無罪を判決されて解決した。
しかし、では大阪事件は、学会として本当に「無実」だったのか、というと、小泉・池田以外の、選挙運動に参加して起訴された学会員41人は、学会より除名され、さらに、このうち20人の創価学会員については戸別訪問で罰金1万円から3千円、うち10人に公民権停止3年、7人に公民権停止2年の判決が言い渡されているのである。
つまり、当時から現在に至る創価学会における「大阪事件」の勝利は、証拠不十分で指示を立件できなかった池田大作に限ったもので、その陰には、多くの末端会員の切り捨てという、限りなく非情な真実があるのだ。
<池田顕彰に利用>
池田大作が公選法違反で逮捕され、大阪東署と大阪拘置所に15日間勾留された。いわゆるブタ箱入りであり、酔っ払って乗車拒否のタクシーを蹴(け)っ飛ばすぐらいでも、間と運が悪ければ、あり得る事件である。
勾留は刑ではない。警察署内の留置場(ブタ箱)と、れっきとした刑務所とは大いにちがう。勾留とは本来、刑が確定する前の被疑者・被告人の逃亡・証拠隠滅を防ぐために行なわれる「未決拘禁」であって、刑罰としての意味はまるでない。
だが、池田はこの大阪事件に連累(れんるい)したことで、初代・第2代と続いた名誉ある「投獄=法難」を第3代会長でもある自分もまた受けたとして、池田自身の神聖化に活用し、自己顕彰の根拠にしている。
また、これまで、この大阪事件の詳細については、創価学会側の都合のよい宣伝のみがなされ、末端会員には真実が明らかにされていなかった。
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●創価学会幹部45人起訴
[大阪発]大阪地検は、去る4月行われた参議院大阪地方区補選での創価学会幹部らの公選法違反事件について、29日、同学会本部理事長、東京都議小泉隆(48)=東京都大田区蒲田五ノ一一=ら45人を買収で、(うち2人は略式請求)同渉外部長池田大作(29)=同区調布小林町三八八=ら3人を戸別訪問で、それぞれ起訴した。起訴状によると、この選挙で、小泉理事長は主として「実弾作戦」を、池田渉外部長は戸別訪問をそれぞれ担当、現地で指揮に当り、大阪、船場、松島、梅田、堺の5支部に「選挙係」を設け、府下約6万世帯の信者のほとんどを戸別訪問に動員したもの。 投票日前日には、「タバコ戦術」として職安十数ヵ所で、日雇労務者に候補者名を書いたピースなど約4千個をばらまいたという(『朝日新聞』S32.7.29夕刊/『慧妙』H22.7.1)
また、学会は7月3日と言っているが、実際は7月4日に大阪東署へ出頭、その後、拘置所入りしていた池田大作は、7月17日に大阪市中央公会堂で開かれた大阪大会に姿を現わした。
ここに大きな疑問が出てくる。犯行を否定し続けている容疑者の拘留期間は21日間のはずだ。7月4日に出頭して17日に出てきたのならば、計算が合わない。池田大作は拘留期間中に自白したことになる。
学会員にとって、「永遠の指導者」池田大作が検事の取調べに対し、ペラペラと自白する姿を思い浮かべるのは、不快であろう。だが事実は、
「検事のいうがままの調書に署名し、7月17日(小泉は15日)保釈出所した。」(『池田大作「権力者」の構造』溝口敦著)
と取る以外にない。
学生運動家でさえ、逮捕されても完全黙秘を貫(つらぬ)き、仲間を売るような真似(まね)はしない者が多い。だが、池田大作は、この時転(ころ)んだのだ。
余談がある。この事件の裁判費用は本来、池田大作個人の事件である以上、池田が負担すべきものである。戸田城聖の学会葬の費用をも戸田夫人に負担させたくらいだから、それが筋だ。だが、
「最初から結審まで学会が全額を負担した。昭和37年の判決後、池田氏は分割払いででも、学会へ返済すべきものなのだが、返した話は聞いていない。」(『内外一致の妙法』石田次男著)
それならば横領だ。
この裁判のために、自民党元代議士である大瀧弁護士を核にした強力弁護団が結成されたが、池田大作が3代会長にならないと、この弁護団が崩壊する。少なくとも無実化する。
「〈総務〉就任(昭和33年6月)を急いだのも理由は同じだ。と言うのは、大瀧弁護士は戸田城聖先生の旧友でしかなく、池田氏を厄介(やっかい)視していた人物だから……。(略)有罪当然を承知の池田氏としては、まず会長にならないと裁判で無罪を勝ち取ることも難しくなる。(略)この選挙違反が有罪であれば学会内での池田株は暴落する。無罪ならば〈法難だった〉という箔(はく)が着く。有罪無罪の落差はあまりにも大きい……と見た池田氏は、事件からくる学会内での失脚を恐れて、拘置所入り以前から心にあった会長就任意思を、事件後に決定的に固めてしまった…と石田は観ている。」(前出同書)
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from: 21世紀さん
2011年09月09日 18時48分25秒
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「Re:池田大作の実像」
【的場事件】
昭和33年3月28日、池田は大石寺の境内で、大石寺の所化頭である的場正順師に対するリンチ集団暴行事件を引き起こした。
この事件は、日蓮正宗宗門に対する威嚇・威圧のために池田氏が、側近の星野義雄登山部長らの青年部員と立案、実行したもので、大石寺内事部で修行している所化・小僧を統括する立場にある所化頭の的場師を、大石寺境内を流れる潤井川の水に沈め、暴行を加えたというものである。
<的場師暴行事件>
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毎日、酒を飲み、お小僧さんを虐待するこの僧侶に対し、青年たちの誰もが義憤を感じた。(中略)伸一は、所化頭に反省を求める必要があると考え、総本山の内事部を訪ねた。
伸一は、青年たちが怒りのあまり、口調が詰問調になるたびに、「まあ、待ちなさい」と、制止することを忘れなかった。
所化頭はよほど酒を飲んでいたと見え、青年部員の言うことさえ、理解できないようだった。伸一は僧侶の無惨な醜態を前にして、憤りを通り越して、むしろ悲しさを覚えていた。戸田が宗門の興隆のために、外護の赤誠を貫いてきたことを潮笑うかのように、僧侶の腐敗、堕落は、限りなく進行していたのである。
青年の1人が言った。
「酔っているのなら、顔を洗ってきたらどうですか」
所化頭は衣を脱ぐと、川に入り、顔を洗いはじめた。戻ってくるのを待って、伸一は込み上げる激情をこらえ、諄々と諭すように語りはじめた。(中略)
伸一は忍耐強く、噛んで含めるように所化頭の非をただした。真心をつくしての説得であった(『人間革命』第12巻)
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事件があった日は、戸田先生の病状はさらに悪化し、理境坊の2階にふせっておられました。小泉隆理事長らは戸田先生を東京の病院へ移送するために帰京していました。
そうした大石寺に突然、池田が腹心である北条(浩・後に理事長、会長)や森田(一哉・現理事長)、秋谷(栄之助・現会長)、星野登山部長らを連れて登山してきたのです。池田は重篤の戸田先生を理境坊に見舞うこともなく、いきなり「これから所化頭の的場を徹底的にやっつける。彼は大変素行が悪い、小僧さんをいじめる、こんなことではこれから学会員の子弟は僧侶に志願しなくなってしまう。だから断固として粛正するのだ」と言って、大石寺の内事部に押し掛け、「的場を出せ」と怒鳴り散らし、3時間後に、出てきた的場師を六壷において大勢で吊るし上げたのです。
その後、的場師を潤井川の川原へと連行していき、自ら裸になった的場師を青年部員に担ぎ上げさせて冷たい水の中に頭を何回も押し込ませたのです。午前8時に始まり午後5時に終わった一連の暴行事件の指揮をとった池田の形相は、これまで誰にも見せなかった険悪なものでした。(龍年光『フォーラム21』H15.2.15)
<戸田会長の「追撃の手をゆるめるな」発言>
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その言葉は、しばしば途絶えたが、ただならぬ気迫にあふれていた。
「…衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。……ことに、宗門の経済的な基盤が整い、金を持つようになれば、学会を切り捨てようとするにちがいない……。戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処にならないとも、限らないのだ」
戸田は、最期の力を振り絞るように叫んだ。
「そのためには、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。……いいか、伸一。1歩も退いてはならんぞ。……追撃の手をゆるめるな」
それは、炎のような言葉であった。瞬間、戸田の眼が燃え輝いた。これが、彼の最期の指導であり、愛弟子への遺言となったのである。伸一は、その言々句々を命に焼き付けた。(『人間革命』第12巻)
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事件後、池田は1人で理境坊の2階にあがって行き、しばらくして降りてくると、下で待っていた北条、森田、秋谷らに対して「戸田先生が、追撃の手をゆるめるなといわれた」と、さらに宗門を攻撃するよう戸田先生が指示したかのように告げたのです。しかし戸田先生は、所化・小僧さんを、「この中から将来の猊下がお出ましになるんだ」と言って、毎年、理境坊に招待し、御本尊様の前の上座に並ばせ、自らは下座から、1人1人に恭しく新調の衣を差し上げるほど、若い修行中の僧侶を大事にされていました。
ですから戸田先生が僧侶暴行事件の報告を受けて、「追撃の手をゆるめるな」などと発言されるはずがありません。
実際、戸田先生を4月1日、東京の病院に移すため付き添った小泉隆理事長に対して戸田先生は「猊下に申し訳ない、猊下に申し訳ない」と何度も繰り返しながら、下山されていったのです。
後に小泉は私に「あの豪毅な戸田先生が、あの時はまるで子どものように、何回も何回も『猊下に申し訳ない』と謝られていた。どうしてなんだろう」と語りました。小泉は事件当日、東京に行っており不在でしたので、池田が引き起こした暴行事件を知らなかったのです。(龍年光『フォーラム21』H15.2.15)
●また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。(戸田会長・関西本部入仏落慶式S30.12.13)
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唯授一人の法水写瓶を信仰の根本だと考えていた戸田会長が「衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。」などと発言するはずがない。もし、そんなことを発言していたとすれば、会員に対する指導と正反対となり、妄語の罪を形成する。世法上も信仰上も許されない大罪となってしまう。現在の創価学会は日顕上人を、衣の権威で、学会員を奴隷のように扱い、切り捨てた「天魔」と非難しているが、『人間革命』第12巻の戸田発言は、まるで今日の創価学会の主張を先取りするような内容になっている。この『人間革命』第12巻が執筆、刊行されたのは、日蓮正宗が創価学会を破門した後の平成4年から5年にかけて。おそらく池田は戸田会長の言を利用して、創価学会の日蓮正宗攻撃を正当化しようとしたのだろう。
from: 21世紀さん
2011年09月07日 17時59分51秒
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「Re:池田大作の実像」
【後継者指名】
<エレベーター相承/3月1日>
『人間革命』12巻に記載された、昭和33年3月1日に行われた日蓮正宗総本山大石寺の大講堂落慶法要において、戸田会長から池田氏に対して「広布の継承」すなわち後継指名がなされたとの場面は、以下の通り。
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そのあと、午後1時から祝宴となった。戸田城聖は、日淳上人とともに、来賓を招いて行われる6階の貴賓室での祝宴に、出席することになっていた。また、5階の大会議室では寺族の祝宴が、講堂の大広間では学会員の祝宴が、それぞれ行われた。
山本伸一は、戸田の腕をとって言った。
「先生、まいりましよう」
戸田の腕は温かかった。伸一は、体内に脈打つ師の鼓動を感じた。しかし、その腕は元気だったころと比べ、1回りほど細くなっていることに気づいた。
清原かつ、森川一正もやって来て、戸田を囲むようにしてエレベーターに向かった。
エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。そして、静かだが、力をこめて言った。
「さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ」
伸一の体に電撃が走った。伸一は、緊張した面持ちで戸田を凝視した。2人の眼と眼が光った。
「はい!」
自らを鼓舞する、深い決意を秘めた声であった。それだけで、言葉はなかった。静寂のなかに、戸田のやや荒い息遣いが聞こえた。師と弟子は、無限の生命の言葉を交わすかのように、沈黙したまま互いの顔を見つめ合った。それは厳粛な瞬間であった。
清原と森川も、緊張した表情でこのやりとりを見ていた。2人は、戸田と伸一の厳粛な姿のなかに、師から弟子への広布の継承を鋭く感じとったに違いない。
それから戸田は、大きく頷くと、にっこりと微笑を浮かべた。エレベーターは6階に着いた。
(『人間革命』第12巻)
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●3月1日、落成法要を終えて、戸田先生は祝賀会に向かうためにエレベーターに乗られ、柏原ヤスさんと森田一哉さんと私が同乗しました。(山浦千鶴子『大白蓮華』H18.3)
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この"証言"が事実だとすれば、いわゆる"エレベーター相承"の現場には、柏原ヤス・森田一哉の両名が同座していたことになる。
ところが、この両名が、『大白蓮華』昭和35年6月号の「特集・第3代会長就任」と題する記事に寄せた文。その内容は、それぞれの言葉で"戸田会長が意図したとおりに青年部の中から3代会長が生まれた"ということを喜び、池田へおべんちゃらを贈ったものだが、両名とも、「大作、お前が全部やるんだ」との重大発言のことどころか、「大講堂落成法要」にも、「3・16」にも触れていない。当然のことながら、「エレベーター」の「エ」の字もない。
そればかりか、この特集記事には、総勢10名の創価学会最高幹部が名を連ね、それぞれ自分の知る、戸田会長と池田大作のエピソードを披瀝(ひれき)し、池田大作こそが戸田会長の後継者に相応(ふさわ)しい、と持ち上げているが、そうしたエピソードにおいても、「大講堂落成法要」「3・16」に関するものは皆無である。
このことからも、"「3・16」は広布後継の儀式だった"というのが、後から強引にコジツケたものであることが窺(うかが)われる。(『慧妙』H18.3.16)
この大講堂落慶法要という重大な行事に際しても、池田や北條、森田、秋谷らは戸田先生の側にいなかったのです。
戸田先生はジリジリして待っておられました。しばらくして池田がやってくると、いきなり「大作、なぜ、大事な時に俺の側にいないんだ!俺とお前しかいないんだぞ。それなのに、お前はどうしていないんだ!」と大声をあげて池田を怒鳴りつけられたんです。
ところが池田は悪びれる風でもなく、シレッとして「いえ、私のような者はこんな晴れがましい場に出るより、外で案内係りをしているほうがふさわしいと思いましたので」などと言い訳したのです。しかし、その面貌には、怒鳴りつけられたことに対する反感の色が浮かんでいました。(中略)
池田の様子を見た戸田先生は何もおっしゃらず、池田をその場に残してエレベーターに乗り込み、祝賀会に向かわれました。
それまで戸田先生は、池田を公衆の面前で公然と怒鳴りつけるようなことはしませんでした。それだけに戸田先生の激しい怒りに、居合わせた幹部は、皆、驚きました。
池田は『人間革命』第12巻の「後継」の章で、この大講堂落慶法要祝賀会のエレベーターの場面を取り上げ、戸田先生とともにエレベーターに乗り込み、その中で戸田先生から、後継の指名を受けたかのように記載していますが、そもそも池田はエレベーターに乗っていないのですから、後継の指名などあろうはずがありません。
もし、『人間革命』の記載のように、戸田先生から後継の指名があったとすれば、どうして戸田先生の逝去後、創価学会の会長職は2年余にわたって空席だったのでしょうか。この事実1つ見てもわかるように、戸田先生から池田に後継の指名などというものはなかったのです。(龍年光『フォーラム21』H15.1.15)
●「さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ」 伸一の体に電撃が走った。伸一は、緊張した面持ちで戸田を凝視した。2人の眼と眼が光った。 「はい!」 自らを鼓舞する、深い決意を秘めた声であった。(『人間革命』第12巻)
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池田自身が執筆したとされる『人間革命』によれば、戸田会長は他の弟子の見守る中で、「伸一、あとはお前だ。頼むぞ」と"後継指名"をしたことになっている。しかもそのとき池田は「深い決意を秘め」て「はい!」と言い、後継指名を受けたのだそうだ。師匠の生前に後継者指名を深い決意をもって受諾しておきながら、何故、学会は2年間もの間会長職が空白だったのか?この一事をもってしても『人間革命』のいう「エレベーター相承」なるものが如何にイイカゲンであるかが分かろう。
<敵は内部>
************************************************************
ある時、報告にやってきた参謀の滝本欣(※龍年光氏)が、戸田にたずねた。
「先生が1日の落慶法要で言われましたように、御書も発刊され、大講堂も建立されたいま、学会は身延をしのぎ、もはや、敵はなくなったと思います。これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでしょうか」
戸田はよこになっていたが、質問を聞くと、布団の上に起き上がった。そして、滝本の顔を見て言下に答えた。
「敵は内部だよ」
自己の利益のために学会の組織を利用しようとする者は、今後、学会が大きくなればなるほど、さらに、出てくるであろうことを、彼は予見していた。それゆえに、今後の学会の敵は何かという滝本欣也の質問に、即座に「敵は内部だ」と答えたのである。
しかし、それは同時に、滝本自身に対する戸田の警鐘でもあった。滝本をよく知る戸田は、彼の生き方に対して人知れず心を痛めてきたのである。
戸田城聖は、いま理境坊の2階にあって、滝本欣也を前に、この一青年の来し方を思い起こした。そして、滝本をまじまじと見つめて、もう1度、言った。
「敵は内部だよ……」
彼は、私生活にだらしなく虚栄心の強い滝本が、最後まで心配でならなかったに違いない。(『人間革命』第12巻)
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仮に『人間革命』に書かれているように、戸田会長が龍氏の姿勢を心配していたとするなら、当の本人が眼前にいるのである、その場で注意をしたはずである。婉曲な「敵は内部」との表現で自らの亡き後の創価学会の課題を吐露したのは、むしろ誰よりも目をかけてきた池田氏を死の1カ月前に「学会の敵」であることを龍氏に告げなければならなくなった戸田会長の、婉曲な表現でしか示し得ない苦衷が投影されていると見る方が自然である。
この『人間革命』第12巻は、龍氏が池田、森田、秋谷の各氏に最終勧告と最終通告を出して創価学会と絶縁した平成3年10月12日以後、創価学会ならびに池田氏が日蓮正宗から破門ならびに除名となった後の平成4年から5年にかけて執筆され、刊行されたものである。絶縁宣言した生き証人の龍氏を、池田氏は『人間革命』誌上で、戸田会長の言葉を借りて中傷し、自己弁護を図ったのである。(『フォーラム21』H15.2.1)
●会議(※昭和33年3月17日の第1回最高会議)では、辻が、戸田先生に対して、「先生、次の会長は誰にするんですか」と単刀直入に質問しました。 すると戸田先生は、「それは、お前たちで決めるんだ」とハッキリと答えられたのです。 当然、「池田」という指名があると思っていた辻はビックリしたようで、あわてて「先生、先生、3代会長はどうするんですか」と息せき切って聞き直しました。 すると戸田先生は再び、「それはお前たちが決めるんだ」と、強い口調できっぱりと述べられるとそのまま横を向いてしまい、以後、なにもおっしゃらなかったのです。そのあまりに決然とした姿勢に、最高会議のメンバーは誰1人として何も言えないまま戸田先生の部屋を後にしましたが、この時、戸田先生はハッキリと池田は後継者ではないという意思を明確にされたのです。(龍年光『フォーラム21』H15.2.1)
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この最高会議の事実は、『人間革命』には1行も記載されていない。『人間革命』によれば池田氏は3月16日夜に東京に帰京し、2、3日して再び大石寺に戻ったとある。 ただし3月22日に理事室と参謀室の合同会議があり、その席上、戸田会長から「学会の組織は戸田の命だ」として、不純な幹部の追放、粛正の指示があったとの記載がある。 いずれにせよ、戸田会長から池田氏を後継会長とするとの指名はなかった。否、指名がなかったばかりか、当時を知る生き証人の龍氏の証言によれば、当初、池田氏を後継者にと考えていた戸田会長が、死の1カ月前には、池田氏を後継者にするとの考えを放棄し、逆に池田氏は後継者ではないとの意思を明確に示していたことが明白である。(『フォーラム21』H15.2.1)
<車駕/3月15・16日>
************************************************************
<1>3月15日
3月15日の午後、車駕が出来上がった。それは、大きくがっしりしていた。制作費は、4万円になってしまった。まだ、高校卒業者の初任給が1万円に満たないころである。澤田良一は、車駕が出来上がると、輸送担当の青年たちと一緒に、理境坊の中庭に運んだ。山本伸一は車駕を見ながら、澤田の労をねぎらい、心から感謝の意を表した。
「ありがとう。立派にできたね。これなら、戸田先生のお体に負担をかけなくてすむ」
そして、制作にかかった費用を聞くと、伸、は財布をはたいて、自分ひとりで全額を支払った。
澤田は、師の戸田城聖をどこまでも思う伸一の姿勢に、熱いものが込み上げた。
それから、伸一は、理境坊の2階に行って、戸田に報告した。2階には、理事などの3、4人の幹部がいた。
「明日の式典で、先生にお乗りいただこうと、車駕をつくりました。御覧いただければと思います」
戸田は伸一に支えられ、窓のところへ行くと、しばらく車駕を見ていた。そして、思いもかけぬ厳しい言葉が、戸田から発せられた。
「大きすぎる。これでは戦闘の役にはたたぬ!」
体は衰弱していても、戸田には縦横無尽に広布の戦場を駆け巡ろうとする気概が、熱く脈打っていたのだ。また、戸田は伸一に、常に実践に即した立案、計画が必要であることを、教えておきたかったのである。(中略)澤田は、2階のやりとりを聞きながら、体から血の気が引くのを覚えた。
―参謀室長のせいではない。あの形も大きさも、私が考案したものだ。責任は私にある。
<2>3月16日
戸田城聖は、山本伸一に手を取られて、理境坊の玄関に降り立った。玄関前には周囲を白い布で巻いた車駕が置かれてあった。戸田は車駕を見ると、また、大きな声で言った。
「大きすぎて、実践には向かぬ。戦いにならんぞ!」
2度にわたる戸田の叱責であった。その時、伸一が1歩前に進み出て言った。
「先生、よくわかりました。申し訳ございません。しかし、この車駕は弟子が真心でつくったものです。どうかお乗りください」
自らの命の燃え尽きんとするまで、戦いの極意と闘将の気迫を身を以て教え伝えようとする師の厳愛。その師の体を気遣い、いたわろうとする弟子の真心―それは、師と弟子の熱い生命交流のドラマであった。
戸田は、伸一を見てにっこり頷くと、弟子たちに体を預け、車駕の中央に固定された肘掛け椅子に座った。(『人間革命』第12巻)
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理境坊の2階から小泉理事長らに両腕を支えられて降りてきた戸田先生は、その「車駕」を一目見られた途端、渾身の力を振り絞るようにして、再び、公衆の面前で、「何だこれは、これでは戦場を駆け回ることはできんじゃないか。大作!お前はなんという奴だ、俺の心の分からん奴だな」と池田を激しく怒鳴りつけられたのです。
この時の戸田先生の怒りの形相はすさまじいものでした。その場に居あわせた幹部は、皆、首をうなだれていましたが、池田だけは平然としており、後日、北条(浩氏・昭和54年に池田氏が会長辞任した後の創価学会会長)たちに「あれは5万円もかけてつくったのだ。戸田先生こそ俺の気持ちが分からなかったんだ」とうそぶいていました。
3月1日の大講堂落慶法要の祝賀会に向かわれる際のエレベーター前での叱責に続き、理境坊の玄関先で大勢の幹部を前に、「大作、お前は何という奴だ、俺の心の分からん奴だな」と言われたことは、「池田は後継者に非ず」ということを大勢の学会幹部の前で宣言されたのです。(龍年光『フォーラム21』H15.2.1)
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from: 21世紀さん
2011年09月30日 21時37分20秒
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「Re:池田大作の実像」
<折伏>
●名誉会長は、父・子之吉、母・一の五男として出生。兄弟は一応、10人。妻妾同居とも言われ、実子を養子に出したり、養子にもらったりの複雑な家庭環境にあった。 父・子之吉は「強情さま」とも言われるほどの真言宗の強信者。葬式も真言宗で行っている。名誉会長は、学会に入ってからは、ほとんど実家に出入りしていない。勘当同然だった。名誉会長が折伏した家族・一族は、兄弟2人だけだという。(戸口浩著『創価学会の真実』日新報道200頁)
●「折伏しろ」っていうから、私は自分の友だちを10人ぐらいよんだのです。・・・会長先生がわざわざ、私のおよびした会合に出て下さったこともありました。しかしだれも信心しないのですよ。一生懸命やってもね。みな友だちがはなれっちゃうんだよ。(池田大作『聖教新聞』S34.2.6/戸口浩著『創価学会の真実』日新報道200頁)
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名誉会長は、1対1の折伏が苦手。「人間・池田太作」を知る人の大半は、入信していないようだ。幹部として立場を得たときは成果を出しても、名誉会長が紹介者となる個人折伏は、ご本人が次のように語る如くあまりない。(戸口浩著『創価学会の真実』日新報道200頁)
[画像]:池田の実家の墓
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/SHIRYO2/ikedake.jpg
<御供養>
●サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。(H5.1.27・アメリカSGI&関西合同総会)
<僧侶蔑視>
●おい!そこの眼鏡。一回やっつけてやろうかと思ったのに、要領がいいもんだから…(第2回正本堂建設委員会 於妙光寺S40頃)
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と突然恫喝(どうかつ)されてね。(前川慈肇御尊師『富士の法統妙教編集室』)
●こんな所で乾杯するのはやだけど、しようがない乾杯してやろうか(第2回正本堂建設委員会 於妙光寺S40頃)
-----------------------
昼食の時に、池田は「●」って、隣に日達上人が座っていらっしゃるにもかかわらずそういう無礼なことを言うのだよ。(前川慈肇御尊師『富士の法統妙教編集室』)
●私が御開扉に出る時にはあの住職は出さないでほしい
-----------------------
当時は御開扉が奉安殿だったろ。それで御開扉の時に池田が入口で猊下をお待ちしている。そこへ猊下がご出仕なされ、一往池田に会釈をされる。塔中の住職たちも何となく会釈はするのだが、中に挨拶をしない住職がいた。
この方は、むかし堀上人のお供をされた時に「わしが代表で挨拶をするのだから、お供で来ているお前たち後の者はいちいち挨拶をしなくてもいい」と言われたというんだ。だから御開扉の入場の時には池田に挨拶しなかった。するとそれが池田には気にいらなくて、「●」と宗務院へ申し入れたというのだ。
又その逆に、あるとき総坊へ池田が来たので、某塔中の住職が挨拶をしたら、側近が「先生の足を止めた」と言って、雪山坊(池田の宿坊)まで謝りにやらされた人もいた。まったく池田という人間は、この上ないわがままで増上慢な人間だったな。(前川慈肇御尊師『富士の法統妙教編集室』)
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