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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2015年07月18日 13時51分16秒

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    美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館


    1288年から1796年までの約500年、モデナを支配したエステが収集した作品が展示されてます。14世紀から18世紀の作品が展示の中心です。

    18世紀に建てられたPalazzo dei Museiです。

    Palazzo dei Museiと一体化したサンタゴスティーノ教会は、この日も開いていませんでした。私は一度も拝観したことがありません。

    エステンセ美術館はこのPalazzoにあります。

    美術館として一般公開されたのは1884年のことですから、もう130年以上の歴史があります。

    建物の修復が終わったようです。

    切符売り場

    切符売り場の横後ろにロッカーとトイレがあります。

    美術館は2階(日本の3階)にあります。

    館内に入りました。
    この部屋は最終展示室です。ここから見始めたら? (実は写真を撮りに来ました)第一室から見ろと煩いこと煩いこと!仕方がないので、お勧めに従いました。

    Ambito di Wiligelmoの「男像柱」(1090‐1110c)

    13世紀末から14世紀初頭に活動したヴェネトの無名画家による「磔刑とキリストの埋葬」(1290‐1310c)

    Wiligelmoの「聖母子」(1100‐1120c)

    Maestro di Torre di Palne(14世紀ヴェネツィアで活動)の「聖母子と死せるキリストと聖人たち」

    三幅祭壇画になってます。


    パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイの「聖母子」

    ジョヴァンニ・ディ・パオロの「幼きキリストへの崇拝」(1430‐1440c)

    フランチェスコ・ディ・ネーリ・ダ・ヴォルテッラの「玉座の聖母子と天使たち」(1350‐1355c)

    パオロ・ダ・モデナ(パオロ・セラフィーニ)の「ウミルタの聖母」(1370)

    アルカンジェロ・ディ・コーラ・ダ・かメリーノの「聖人の殉教」(1430-35c)

    左から「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」、「十字架降下」

    左から「十字架降下」、「聖ザノービの葬儀」、「聖アンドレアの殉教」

    左から「聖アンドレアの殉教」、「福音書記者聖ヨハネの殉教」

    ジョヴァンニ・アントニオ・ダ・ペーザロの「洗礼者ヨハネ」(1460‐1470c)

    バルナーバ・ダ・モデナの「聖母子と2聖人と磔刑」(1350‐1360c)

    シモーネ・デイ・クローチフィッシ「玉座の聖母子と天使たち」(1390‐1399c)
    (つづく)

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コメント: 全29件

from: シニョレッリさん

2015年08月18日 09時17分52秒

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ぐら姐さん、

お役に立てたようで嬉しい限りです。

旅の後半ですね。
引き続き、お元気で旅を楽しんでください。

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from: ぐら姐さん

2015年08月18日 01時59分45秒

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シニョレッリさん、

今日(17日)、エステンセ美術館に行ってきました。
けっこうじっくりと見てきたので、とても疲れました。
このトピックで予習し、戻ってきて今度は復習して。

それにしてもこれだけの写真を全部撮っていらしたなんて、
本当に頭が下がります。
グイド・レーニの絵など、ものすごく大きいものもあって、
こんなにきれいに撮るのは大変だったことと感じました。
お陰さまで、大変勉強になりました。

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from: シニョレッリさん

2015年08月09日 13時37分13秒

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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館 (その11 最終回)

ルーカ・フェッラーリの「小アグリッピナの遺体を前に驚くネロ」(1644-49)
この作品ですが、塩野七生さんの「ローマ人の物語」をご愛読の諸兄ならば、お分かりでしょうね。
小アグリッピナは、皇帝ネロの母親です。ゲルマニウスと大アグリッピナとの間に生まれた娘ですが、母親と同じ名前だったので、母の方を大をつけて、娘の方に小をつけて呼ぶことになってます。
息子のネロの命令によって、濡れ衣を着せられた小アグリッピナは、近衛兵によって殺されました。
この辺の所はローマ帝国史の中で面白いところですが、この経緯を知らないと、この作品の意味が分からないと思います。

フラミニオ・ドッリの「栄光の聖母子と聖カルロ・ボッロメオと洗礼者ヨハネと聖ジローラモとトレンティーノの聖二コラ」(1645c)

アレッサンドロ・ティアリーニの「十字架に架けられようとするキリスト」(1622c)

アレッサンドロ・ティアリーニの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1630-33)

レオネッロ・スパーダの「聖フランチェスコの幻視」(1637-38)

ルーカ・フェッラーリの「聖ピエトロ・マルティ―レの殉教」(1642-48)

ルーカ・フェッラーリの「聖母被昇天」(1649c)

エルコーレ・ジェンナーリの「グエルチーノ作品の複製画」(1636)

ポマランチオの「磔刑」(1620-21)

ダニエーレ・クレスピの「聖母戴冠」(1622-23)

カミッロ・プロカッチーニの「聖母子と聖ジローラモと聖ヴィターレと聖フランチェスコ」(1598‐1626)

ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「割礼」(1616)

カミッロ・プロカッチーニの「マギの礼拝」(1598‐1608)

カルロ・チニャーニの「フローラ」(1680c)

ジョヴァン・ジョッゼッフォ・ダル・ソーレの「聖母子と聖ガエターノ」(1707c)

イグナツィオ・ステッラの「磔刑像を抱くパオーラの聖フランチェスコ」(1730-40c)

ドメニコ・ピオーラの「音楽の寓意」(1680‐90c)

ローザ・ダ・ティヴォリの「ティヴォリの風景」(17世紀末)

シジスモンド・カウーラの「聖カルロ・ボッロメオの高徳」(1670‐75)

ジャコモ・ゾボーリの「ユディト」(1708-13)

Charles Le Brunの「ジェトロの娘たちを守るモーゼ」(1687)

アントニオ・コンセッティの「ピエタ」(18世紀初頭)

ジャコモ・ゾボーリの「サロメ」(1708-13)

Charles Le Brunの「モーゼとセフォーラの結婚」(1687)

ローザ・ディ・ティヴォリの「ティヴォリの田園」(17世紀末)

シジスモンド・カウーラの「聖アンブロージョの奇跡」(1670‐75)

フランチェスコ・ヴェッラーニの「ディアナとエンディミオーネ」(1750‐60c)

フランチェスコ・ヴェッラーニの「ヴィーナスとアドーネ」(1750‐60c)

紀元前1世紀の彫刻
あと100作品ほど展示されていましたが、熱中症気味に加えて疲労困憊で鑑賞を断念しました。
この美術館は、相当骨があるので、じっくり鑑賞するには、かなりの体力が必要です。しかし、行くだけの価値は十分にあります、お勧めです。
(おわり)

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from: シニョレッリさん

2015年08月08日 15時30分43秒

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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館 (その10)

マステッレッタの「最後の晩餐」

マステッレッタの「エーリアに顕現する天使」

マステッレッタの「アブラーモに顕現する天使」

カルロ・ボノーニの「カルメロの聖母の奇跡」(1624-27)

スカルセッリーノの「幼きリストへの崇拝」(1615-20)

カルロ・ボノーニの「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖バルバラと聖ルチア」(1626)

グエルチーノの「聖ピエトロの殉教」(1618)

グエルチーノの「ベアータ・フェリーチェ・ダ・カンタリーチェに顕現する聖母」(1641)

ジョヴァン・バッティスタ・ペザーリの「聖母子と聖ペッレグリーノと聖カルロ・ボッロメオとバーリの聖二コラ」(1635c)

ルドヴィーコ・ラーナの「聖ドロテア」(1635-40c)

サッソフェッラートの「聖母子」(1650‐60c)

ルドヴィーコ・カッラッチの「ガラテア」(1592‐93)

アンニーバレ・カッラッチの「ヴィーナスとアモール」(1592)

ルドヴィーコ・カッラッチとアンニーバレ・カッラッチの「フローラ」(1590‐93)

アゴスティーノ・カッラッチの「プルトーネ」(1591‐93)

エリザベッタ・シラーニの「十字架を崇める聖フランチェスコ」(1664)

レオネッロ・スパーダの「幸運の徳」(1620c)

ラッザーロ・バルディの「女に施しをするシピオーネの慈悲」(1660‐61)

ラッザーロ・バルディの「ヌミーディア・マッシニッサに与えるシピオーネ」(1660‐61)

アントニオ・ラッジの作品です。何が描かれているのか。私には分かりません。

グエルチーノの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」

シスト・バルダロッキオの「クロリンダを洗礼するタンクレディ」
タンクレディは第一次十字軍の司令官です。

ルーカ・フェッラーリの「La regina Tomiri fa immergere nel sangue la testa di Ciro」(1644-49)
(つづく)

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from: シニョレッリさん

2015年08月04日 13時49分07秒

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nasakuraさん、こんにちわ!

コメント、有難うございます。

ティントレットは、四隅を囲った部屋で制作したのですが、弟子以外に仕事部屋に入ることを許さず、例え、親しい友人であっても他人には絶対に自分の制作する姿を見せなかったと言われてます。
極端な秘密主義を採り、弟子が独立して自分の制作法や画風を真似されたくなかったと言われてます。
後世に名が残った弟子は、マルティン・デ・ヴォス、息子のドメニコ・ティントレットくらいなものでしょう。

著名な師匠、著名な弟子がいた工房ですが、それは、イタリア美術史そのものといった感があります。

ざっと思いつくままに5つほど列挙すれば、
1.ヴェネツィアのベッリーニ工房
ヤコポ・ベッリーニが創設者ですが、二人の息子がジェンティーレとジョヴァンニ(ジェンティーレの弟)です。
ジョヴァンニの時代にティツィアーノ、ジョルジョーネ、セバスティアーノ・デル・ピオンボ、バルトロメオ・モンターニャなどが工房にいて修業しました。
2.ティツィアーノ工房
パルマ・イル・ヴェッキオ、パリス・ボルドン、パルマ・イル・ジョーヴァネなどが工房にいました。また、直ぐに離反しましたが、ティントレットもティツィアーノ工房で一時期修業したのです。
3.ヴェロッキオ工房
ロレンツォ・ディ・クレディ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ペルジーノなどが弟子ですが、ボッティチェッリ(フィリッポ・リッピの弟子)は一時期客分として工房を手伝いました。
4.ペルジーノ工房
ラッファエッロ、バッキアッカなどがいました。
5.アンドレア・デル・サルト工房
ポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノ、フランチェスコ・サルヴィアーティなどがいました。

ヴェロッキオ工房作の「キリストの洗礼」のこの部分は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたと言われてます。

「キリストの洗礼」の洗礼者ヨハネの肘に注目です。こんな肘は有り得ません。技量の劣る弟子が描いたと思われてます。

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from: nasakuraさん

2015年08月04日 09時31分28秒

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シニョレッリさん

ティントレットについての興味深いお話、ありがとうございます。彼もまさか何百年もあとの東洋の異国の未来人にこのように語られるとは思いもしなかったでしょうねぇ。

私はレンブラントなどオランダ絵画の世界では工房なるものが大いなる力を持っており、大勢の弟子たちが共同作業で大作を仕上げていたのは知っていたのですが、イタリア絵画についてはとんと知らず、レオナルド・ダ・ヴィンチも一人でこつこつ仕事をしているイメージがなんとなく強かったのです。で、レオナルドスキという言葉もこちらで教えていただいた次第です。

そこで質問なのですが、

>ティントレットの多くの弟子の中で、大成した画家は一人もおらず、後世に名前が残った弟子も数えるほどでした。

逆に、著名な師匠から同じくらいに著名なあるいは秀でた弟子が少なからずいた工房、その師匠について教えていただけたら幸いです。ただ、レオナルドスキ同様、偉大すぎる師匠のもとではどうしてもその影響下から抜け出せないのはわかる気もいたします、平凡な者の考えかもしれませんが。
‥そう書いていて思い出しました、レオナルドも師匠の絵の筆を折らせたという天使の絵、イタリアにも工房があった証拠ですよね、われながらなんたる矛盾した思い込み。

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from: シニョレッリさん

2015年08月04日 09時30分52秒

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青春の旅立ちさん、こんにちわ!

コメント、有難うございます。

ウィーンの街並みは変わってませんが、前よりも、通りの風情が華やかになっていますね。

通貨はシリングだったと思いますが、西ドイツから行くと、マルクとシリングが固定レートだったので、両替の手数料が非常に安かったのを覚えています。

私が学生だった頃、日本の外貨準備高が僅か19-20億ドルくらいで、1ドル=360円の固定レート、外国への外貨持ち出し額は200ドルが限度でした。
そう言った時代に外国に出張したり、留学することは、それだけでもステータスが高かったのです。アメリカへの留学はフルブライト奨学金しか、殆どその機会がなかったわけですから。
昭和50年代後半でも、その名残があって、ウィーンに住んでいる日本人の方々が、ある程度優越感を持つのも仕方がなかったと思います。
 

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from: 青春の旅立ちさん

2015年08月03日 19時30分32秒

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シニョレッリさん

ウイーンの街はそんなに変わったのですか?
シニョレッリさんのウイーン通いの頃は、まだ、ユーロ通貨の統一以前だったのではないでしょうか?

だとしたら、ウイーンの街を知っているという点では、私のかなり先輩にあたりますね?

私も、ユーロ導入前の大陸を知っていますが、イタリアでもポルトガルでも以前に比べると格段に物価が上がっているようです。

ウイーン在住の方々も色々おられますが、そういった優越感の感情を持っておられる方もおられることは事実なようです。
ウイーンの国連機関にお勤めの女性などは、無論、あからさまにはそういった感情を剥き出しにすることはありませんが、男性に対する極めてシャープでシビアな眼を持っておられるようで、時々、嫌な感情におそわれる時もあります。

ま、人それぞれといったところでしょうか?

プラハ空港にて ビールを片手に失礼いたしました。

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from: シニョレッリさん

2015年08月03日 16時24分24秒

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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館 (その9)

14点セットのティントレットの作品です。

フランチェスコ・デステ1世が1658年に収集したそうです。

14点のうち、5点の作品画像をアップします。

ティントレットは、多くの弟子を抱えた大工房を運営して、沢山の作品を制作しました。
作品によって、その出来に非常にムラがあって、傑作を数多く残した一方、駄作も多かったのです。
本当は工房の作品で、ティントレットが筆を入れなかった作品にも、自分の名前を署名したという説が根強くあるのです。工房作とティントレット作とは値段が全く違いますから。
それが、作品の質にムラがあった一因だった可能性があります。

ティントレットの多くの弟子の中で、大成した画家は一人もおらず、後世に名前が残った弟子も数えるほどでした。
ということで、私が嫌いな数少ない画家の一人がティントレットです。

ルドヴィーコ・ロンバルドの「ヴィビア・サビーナの胸像」(1550‐60c)

ヤコポ・バッサーノの「羊飼いへの知らせ」のコピー画(17世紀前半)

ティントレットの「聖母子と聖人たち」(1547-49c)

ヤコポ・バッサーノの「聖ピエトロと聖パオロ」(1561c)

ピエトロ・デッラ・ヴェッキアの「賢人」(1650c)

エル・グレコの「三幅祭壇画」(1567‐1568)

グイド・レーニの「磔刑」(1636)

グイド・レーニの「獄中の聖ロッコ」(1617-18)

ルドヴィーコ・カッラッチの「聖母被昇天」(1607c)

ジョヴァン・フランチェスコ・ゲッシの「十字架を崇める聖フランチェスコ」(1630‐1640c)

16世紀の無名彫刻家による「男の胸像」

スカルセッリーノの「辺獄へのキリストの降下」(1590‐95)

スカルセッリーノの「アダムとイヴ」(1590‐1595)

ガスパーレ・ヴェントゥリーニの「エステ家の四寓意画」(1592‐1593)

四寓意画ですから、4点から成ってます。

エステ家の歴史を知らないと何が描かれているのか、サッパリ分からないそうです。

勿論、私は全く分かりません。

マステッレッタの「モーゼの発見」(1618c)

バルトロメオ・スケドーニの「聖母の結婚」(1606c)

スカルセッリーノの「聖母の誕生」(1607)

エルコーレ・デッラバーテの「聖母の教会への出現」(1602‐08)
(つづく)

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from: シニョレッリさん

2015年08月02日 16時01分18秒

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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館 (その8)

ニコロ・デッラバーテの「戦闘」シリーズのうち、5点の作品画像をアップします。





ニコロ・デッラバーテの「音楽家」
「音楽家」から4点の作品画像をアップします。




レーリオ・オルシの「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1560c)

レーリオ・オルシの追随者による「我に触れるな」

ヤコポーネ・ダ・ファエンツァの「ユディト」

レーリオ・オルシの「キリストの死を悼むカリタとジュスティツィア」

オラツィオ・サマッチーニの「聖家族と聖ピエトロとマグダラのマリア」

プロスペーロ・フォンターナの「羊飼いの礼拝」

レーリオ・オルシの作品です。

ドメニコ・フェッティの「雲の天使」

パドヴァニーノの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」
パルマ・イル・ジョーヴァネの「マギの礼拝」

パルマ・イル・ジョーヴァネの「ご訪問」(1610-11)

パルマ・イル・ジョーヴァネの「ジュスティツィアとパーチェの寓意」(1620c)

ティントレットの「聖ピエトロに天国の鍵を渡すキリスト」

ピエトロ・リベリの「洗礼者ヨハネの誕生」(1650‐60c)

ピエトロ・リベリの「聖家族」

ドメニコ・フェッティの「雲の天使」(1614c)

ジローラモ・カンパーニャの「老いた男の胸像」(1600c)

パオロ・ヴェロネーゼの「洗礼者ヨハネ」(1558‐60)

パオロ・ヴェロネーゼの「聖ゲミニアーノと聖セヴェーロ?」(1558‐60)
聖人は特定されていません。

パオロ・ヴェロネーゼの「聖メンナ」(1558‐60)
(つづく)

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from: シニョレッリさん

2015年08月01日 14時10分52秒

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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館 (その7)

ガスパーレ・パガーニの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1541)
エステンセ美術館とは全然違いますが、この前の旅で、フィレンツェでイギリス人、イタリア人の友人たちに会った際、日本人の印象派好きが話題になりました。

ニコロ・デッラバーテの「磔刑」(1539c)
日本人の印象派好きは、世界の美術ファンや美術関係者の間では有名で、話題の俎上に乗ることが少なくありません。

ニコロ・デッラバーテの「玉座の聖母子と4聖人」(1540-41c)
4聖人が誰か、お分かりになるでしょうか。初期キリスト教時代の聖人については、聖人を特定するアトリビュートによって判断することになります。1600年代以降に聖人に叙せられた聖人は、元々あまり馴染みがないので、私には殆ど分かりません。
因みに、この作品の4聖人は聖フランチェスコ、聖キアラ、聖ジャコモ・マッジョーレ、聖ロレンツォです。

ヤコポーネ・ダ・ファエンツァの「聖母子と聖フランチェスコと聖ベネデットと同信会の会員たち」(1530-40)
日本人の印象派好きについて、友人たちは、他人の受け売りをそのまま受け入れやすい国民性がその理由と言ってました。(友人たちは美術のプロです)

ガロファロ工房作の「嘆き」(1527)
工房作としては相当な秀作と思います。

ペッレグリーノ・ムネーリの「ご誕生」(1520-23)
イタリアでもイギリスでも印象派ファンが沢山いるそうですが、印象派ファンの多くは古代から現代までの作品を大体見てから印象派好みになっているそうです。

ジュリオ・カンピの「男の肖像」(1540-45c)
彼らが言うには、印象派好きの日本人は初めから印象派が好きで、例えばルネサンス時代の作品を殆ど見ていないか、たとえ見ていても三巨匠の作品だけの人が多いそうです。

ロレンツォ・サバティーニの「クアランタ・マルヴィシアの肖像」(1570‐76c)
色々な作品を観た上で印象派が好きになる、それが普通であって、初めから印象派が好きだというのは、他人の受け売り、それが友人たちの意見でした。
皆さんは、どのように思われますか。
私ですか?ある時期、印象派の作品ばかり見ていました。ところが、ルネサンスなどの作品を数多く観ているうちに印象派が嫌いになりました。

Justus Suttermansの「マリーア・ファルネーゼ・デステの肖像」(1653‐1659)

チェーザレ・ジェッナーリの「アルフォンゾ4世の肖像」(1666)

ベネデット・ジェッナーリ・イル・ジョーヴァネの「リッチャルダ・チーボ・ゴンザーガの肖像」(1666)

ベラスケスの「フランチェスコ・デステ1世の肖像」(1638)

チェーザレ・アレトゥージの「紳士の肖像」(1598)

ルドヴィーコ・ラーナの「フルヴィーオ・テスティの肖像」(1640c)

ベネデット・ジェッナーリ・イル・ジョーヴァネの「ジローラモ・グラツィアーニの肖像」(1660c)

Justus Suttermansの「アルフォンゾ・デステ4世の肖像」(1653‐59)

Matteo Lovesの「フラ・ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・モデナの肖像」(1635)

フラミニオ・トッリの「若い男の肖像」(1650c)

グエルチーノの「老人の肖像」(1623-24)

アントニオ・ジャローラの「若い男の肖像」(1640c)

ニコロ・デッラバーテの作品だけが展示されている部屋です。

(つづく)

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from: nonoさん

2015年07月27日 01時41分46秒

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シニョレッリさん私が知りたい事を本当に教えて頂いて感謝します。

まだまだ未熟者のでお恥ずかしいのですが宜しくお願いします。

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from: シニョレッリさん

2015年07月26日 15時13分10秒

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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館 (その6)

ドッソ・ドッシの「聖母子と聖セバスティアーノと聖ジョルジョ」(1517-18c)

16世紀ののフィレンツェの彫刻家?による「エウリピデスの顔」(1525-50)
エウリピデス(BC480c-BC406c)はギリシャ三大悲劇詩人の一人です。

ジョヴァン・バッティスタ・ジャコメッリ派の楽器製作者による「ハープ」(1588‐93)

ドッソ・ドッシの「音楽」(1520-22)
全5点から成る寓意画です。

ドッソ・ドッシの「陶酔」(1520-22)

ドッソ・ドッシの「会話」(1520-22)

ドッソ・ドッシの「誘惑」(1520-22)

ドッソ・ドッシの「愛」(1520-22)

アルフォンゾ・ロンバルディ通称チッタデッラの「アルフォンゾ・デステ1世の胸像」(1530c)

ドッソ・ドッシとバッティスタ・ドッシ(息子です)による「幼きキリストへの崇拝」(1533-36)

ドッソ・ドッシの「聖母子と聖ジョルジョと大天使ミカエル」(1518-19)

ティツィアーノの「ラウーラ・ディアンティの肖像」の複製画(聖作者不詳)

カミッロ・フィリッピの「忍耐の寓意」(1553‐54)

プロスペーロ・ソガーリ・スパーニ通称クレメンテの「エルコーレ・デステ2世の胸像」(1554)

ジローラモ・ダ・カルピの「忍耐」の複製画(17世紀初頭、聖作者不詳)

バッティスタ・ドッシの「アルフォンゾ・デステ1世の肖像」(1534-36c)

様々な展示

絵皿

彫刻

ドメニコ・カルネヴァーリの「キリストの教会への出現」(1576)

ガロファロの工房作の「受胎告知」(1520-30c)

ジュリオ・フランチャの「聖母被昇天」(1513)

インノチェンツォ・ダ・イーモラの「マグダラのマリア」
ニッコロ・デッラバーテの「聖エウフェミアの功徳」(1529-36c)

ガロファロの「聖母子と聖人たち」(1533)
(つづく)


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from: シニョレッリさん

2015年07月25日 17時11分22秒

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nonoさん、

丸紅所有の「婦人の肖像」、別名「美しきシモネッタ」ですが、1490年ー1495年に制作されたとされてます。

サヴォナローラですが、1482年にフィレンツェのサン・マルコ修道院に呼ばれましたが、過激な預言者的言動による説教が忌避されて、一旦、ボローニャ、フェッラーラの修道院に左遷されました。
許されてフィレンツェに戻ったのが1490年で、早速、堕落したフィレンツェ市民を非難すると共にフィレンツェ市民への神の罰は不可避と猛烈に説教したそうです。1491年にサン・マルコ修道院長に栄進すると更にサヴォナローラの影響力が強まったのです。
ロレンツォ・イル・マニーフィコが生きている間は、ボッティチェッリがサヴォナローラに傾倒しなかったと思いますが、ロレンツォは1492年4月に死去してしまいますが、それ以降は徐々にサヴォナローラの教えに心が動かされたと思います。

>この絵は明らかにサヴォナローラ前ですよね。

制作された年が5年間と幅があって特定されていないので、その辺は微妙ですね。

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from: nonoさん

2015年07月25日 14時21分04秒

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本当にありがとうございます。
ぜひ見にいってみます。

この絵は明らかにサヴォナローラ前ですよね。
美しいですね。

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from: シニョレッリさん

2015年07月24日 14時52分45秒

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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館 (その5)

ボッカッチョ・ボッカッチーノの「羊飼いの礼拝」(1501c)

コレッジョの「レモンの聖母」(1511)

アントニオ・ベガレッリの「授乳する聖母」(1532-35c)

ドメニコ・パネッティの「聖母子」(1498‐1500c)

ジョヴァン・フランチェスコ・カロートの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1501)

コレッジョの「聖母子」(1517-18)

フランチェスコ・ザガネッリの「十字架を担ぐキリスト」(1505)

ジョヴァン・フランチェスコ・マイネーリの「十字架を担ぐキリスト」(1500‐05c)

マルコ・メローニの「悔悛の聖ジローラモ」(1500‐04)

マルコ・メローニの「アブラーモの物語」(1504)

マルコ・メローニの「聖母子と4聖人」(1504)

Maestro della Pala Rangoni(15世紀末から16世紀初頭にかけてモデナで活動記録)の「聖母子と聖人たち」(1490-1500c)

ベルナルディーノ・ロスキの「聖母子とトレンティーノの聖二コラと聖アゴスティーノ」(1515)

アントニオ・ベガレッリの「聖母子」

アントニオ・ベガレッリの「聖アントニオ」

アントニオ・ベガレッリの「キリストの洗礼」(1534以降)

アントニオ・ベガレッリの「死せるキリストを支える天使たち」(1534以降)

アントニオ・ベガレッリの「洗礼者ヨハネ」(1534以降)
ニコロ・デッラバーテの「信義」(1535-38)

ニコロ・デッラバーテの「希望」(1535-38)

ニコロ・デッラバーテの「賢慮」(1535-38)

ニコロ・デッラバーテの「用心」(1535-38)

ドッソ・ドッシのエルコーレ・デ・ロベルティの「エルコーレ・デステ1世の肖像画」の複製画(1524-28c)

ドッソ・ドッシの「道化師の肖像」(1508-10c)
(つづく)

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from: シニョレッリさん

2015年07月24日 09時35分47秒

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nonoさん、

コメント、有難うございます。

日本にもボッティチェッリの作品が1点だけあるので、暫くイタリアに行くチャンスがない間、それを見れば旅の代わりになるかも知れませんね。

「女性の肖像」
パッツィ家の反乱で暗殺されたジュリアーノ・ディ・ピエロ(メディチ)の恋人と言われたシモネッタ・ヴェスプッチの肖像とも言われてます。
丸紅美術館にありますが、普段公開されておらず、度々国内の美術館などに貸し出されるので、その際に観ると良いでしょう。

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from: シニョレッリさん

2015年07月24日 09時20分19秒

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青春の旅立ちさん、

先月、イタリアに行く前に、久し振りにウィーンに立ち寄りました。
見る目が変わったのでしょう、ウィーンの街並みが比較的新しいことに驚きました。

「アマデウス」という映画をご覧になりましたか。
ロケ地は、ウィーンではなくプラハだったのです。モーツアルトの時代の家並みがウィーンでは中々残っていないのが理由だったそうです。
私にとってプラハの魅力は、古い家並みと路地裏なので、あちこちをぶらぶら歩くことです。

ウィーン在住の日本人について、青春の旅立ちさんが仰っている意味が分かります。
私がよくウィーンに行っていた頃、ウィーン在住の日本人の何人かが私に対して優越感を隠そうともしないことにビックリしました。


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from: nonoさん

2015年07月24日 04時01分59秒

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お返事ありがとうございます。
ボッティチェッリの作風のあまりにも違いはサヴォナローラの影響だったのですね。ウッフィツィ美術館のプリマベーラとヴィーナスの誕生は本当に釘付けになりました。日本でのボッティチェッリ展ももう少し力を入れてほしかったです。

ボッティチェッリのご案内ありがとうございます。ミラノにも何点かあるのですね。
ボッティチェッリ注目の旅ができる様に
少し調べてみます。
暫くはイタリア旅行のチャンス がありませんが、こちらのサイトで大いに楽しませていただきます。

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from: 青春の旅立ちさん

2015年07月23日 19時37分29秒

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シニョレッリさん

早速のご返信、ご丁寧にどうもありがとうございました。

シニョレッリさんは、ウイーンの街もよくご存知なんですね!
私は、ウイーンの街も実はよく知らないのですよ!
知っているようで、よく知らないと。(笑)

仕事柄、ウイーンの日本人会によく顔を出しますが、国際結婚組の方々や永住組の方々を見てますと、何か目には見えないある種の方向性を持っているような感じがいたしますね?
その国に対する適応性のようなものといってしまえば、それまでですが、ウイーンの空気が合っていて、それに適応できる人とそうでない人があるような気がいたします。

それが何なのかは、うまく解明できませんが、シニョレッリさんのように、様々な国を一巡して最終的にイタリアに至る道もあるのですね?
本当に人様々だと思います。

こちらプラハは、連日かなりの猛暑が続きます。今日は曇っているせいか、若干ましですが!
プラハでの主な観光のターゲットは、やはり、教会のバロック様式の装飾とかムハ美術館、ボヘミアングラス辺りでしょうか?

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