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from: 水平佳人さん
2006年04月27日 14時35分15秒
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「Re:[£]」
症状:右肩から腕にかけての神経痛
原因:働きすぎ
まぁ、正直自分でもえーって思ってる訳ですよ。
かぜまるさんの言いたいこともわかるし、実際僕もそう思います。
だからいつまでも休んでてえーのかなーって考えたりもするんですが、せっかくだから満喫してます。
不都合といえば、毎日注射うったり週一で首に注射うったり、
病院食だったり風呂が週二回だったり右腕が痛かったり、まぁいろいろ。
あと退屈なのはすごく退屈で、人間暇になるとだんだん怠惰になるんだと実感してます。
どっちがいいかはわからんけど、結論。『とりあえず給料は減るよね。』icon
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from: 『Kazemaru』さん
2006年04月26日 06時29分39秒
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[£]
う〜む
あわただしい毎日に追われてこうして世の中に何かを発言する機会が減ってきてしまっている・
『このままではいかーん!!』ということでペンを執った次第でございます・
というわけで今日は哲学でもディベートでもなく、ごく私的な事を書いてみようかと思う・
他に書き込みがなければ俺様の半ブログ状態にしたろかい!という覚悟も見え隠れしつつ―
あきちゃん改め水平君、もう退院したのかな?
無神経な事云うようかもしれないけど、俺は誰彼が『入院した』と聞くとちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、うらやましいという感情を抱いてしまう・
というのも俺は今まで一度も入院というものをしたことがない・
いや、中には重い怪我や病気で大変な思いをしている人が沢山いるのは知っている・
でもさ、その後の自分の体に影響がない程度の軽い病気や怪我での入院だったとしたら、俺は大歓迎だ・
無論、不謹慎であることは充々わかっている・
それでも水平君が大変な思いをしたこともわかっている・
結局、俺は健康なんだ・ 健康だから自分の健康の有難さに気付けないんだ・ 理屈では有難いことだとは分かっているけれど、どうしても心の底から有難いことだとは思えないんだ・
そういえば俺が二十歳の頃、「刑務所に入りたい」と思っていた時期があった事を思い出した・
社会人として自由を手に入れたがその自由の有難さにどうしても気付けず、却ってその自由さに苦痛を感じ葛藤してた時期があった・
『もし、二、三年の禁固刑の後にこの社会に出たとしたら、きっと俺は水を得た魚のようにこのシャバを渡り歩いたことだろう・それを経験した人生五十年と経験しない五十年は全く違うものになるだろう』
なんて思った・
要は人生を生き抜くモチベーションの差・
前回と同じような話になっちゃったけど、結局人間、障害があればあるほど“生きる力”ってのは強くなっていくのかなぁ・
「入りたい」と思って自ら刑務所に行くんじゃ意味ないんだよ
「入院したい」と思って自爆するんじゃ意味ないんだよ
そこには意図しない強制力が絶対に必要なんだよ
「甘ったれてる!」とか「馬鹿げてる!」とかいう意見が聞こえてきそうだけど、全くそのとおり!
今の俺は甘ったれてるし馬鹿げてる・
そんな俺に今一番必要なのは、そんな俺をギャフン!と云わせる程の大きな障害である・
水平君、右腕を正常に動かせることは素晴らしいことだろう?
シャバの空気はうまいだろう?
そんな君が今の俺には羨ましいです・
・・・・
なーんて考えながら人生いきてみろ!!!
きっとどんな苦しみも乗り越えられる
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from: 水平佳人さん
2006年04月11日 10時43分54秒
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「Re:[春]」
ただ今入院中の水平です。
右腕が痺れちゃって、今えっちらおっちら治してるとこです。
で、せっかくだから、いろいろ考えてるとこなんですが・・・。
「死」より恐いものが外にあるか?
詭弁じみた言い方ですが、死んだら、恐いとかないんでしょう、たぶん。
生きている以上は、四苦八苦、七転八倒のごとき業が待ち構えている訳で、そこにスプーン一杯程度の喜びがあると思っています。
いいすぎかな。
ただ、苦しんだ分だけ喜びもひとしお、という意味では、僕はかぜまるさんに賛成です。
ただし、死ぬ勇気があるなら何でもできるというのは本当で、「死」が一番恐い。
だって全部失うんですよ?
死ぬのが恐くない人は、たぶん失うものがないか、その価値に気付いてないかのどちらかでしょう。
死んだじいさんは、死ぬ前は「死」と友達にならないかん。と言ってましたが、それは、死を受け入れる覚悟をしろということでしょう。
残念ながら僕はそんな覚悟はできてませんし、まだまだやりたいこともたくさんる。
昨日、30才の誕生日を迎えました。
病院のベッドの上で迎える30代、退院したらどうしようかとわくわくしているところです。
生と死、難しい問題ですが、一つだけ持論があります。
「死んだらしまい」
一回やってみろと言われて、いったい何人できるか?
死とはそういうもんだと思います。icon
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from: きんめさん
2006年04月10日 21時43分36秒
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「Re:[春]」
「生の喜びと生の苦しみは足すと0」について。
「生きているだけですばらしい」とかってのは思わない。
生について賛歌する宗教的な風潮はいまひとつ好きになれない。
けれども、有と無が等価になるという事には異論がある。
無はあくまで無であり、その状態には一部の変化もない。
有には変化が起こりうる可能性がある。むしろ有が無から生まれた変化と捉える事も出来るかもしれないと考えている。
鶏が先か卵が先かって問題になって、元は有があるから無があるのか、それとも有は無から生まれたのかは判らないけれど。
まぁ、その変化そのものが良いのか悪いのかは判らないのだけど、日常的にもやらないよりはやった方がマシと考えるタイプなので、無いよりは有るの方に私は価値観を見いだしているんだけどね。
ただ、生きているだけではなく、生きて何かを起こすことに意味があるんじゃないかと考えている。
生まれた時から植物人間だったとして、そういう生に意味があるのかと問われれれば、本人の生には意味が無いのかもしれないが、何も起こらない生も周囲に影響を与えている。それが良い影響になるか悪い影響になるかは受け手側の問題だ。
生は単独の現象にはなりえない。生を受けた瞬間から周りとの相関が生まれ、互いに影響しあう関係が発生する。常に変化の可能性を秘めているんじゃないかな。
無はそういう意味では何も起こらないって事だからね。icon
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from: 『Kazemaru』さん
2006年04月05日 18時14分31秒
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「Re:[春]」
エリミ氏もきんめ氏も
祝福の言葉ありがとう!
さて、生死に関した今回の事件に対する意見は人それぞれあるだろうけれど、ここではきんめ氏の
>ヨロコビとクルシミが等価であるという根拠はどこにあるのか?
という指摘についてちょっと意見を述べさせてもらおう・
『生の喜びと生の苦しみは、足すとプラスマイナス0』
まぁ、これはあくまで俺の持論なんだけど、一応根拠は本文に書いてあるとおりです・
総括すると、あるひとつの喜びと苦しみが完全に等価なのではなく、えてして喜びというのは一瞬にして消化され、苦しみというのは長く継続して消化するものであり、結果、人生という時間軸において喜びと苦しみは相殺されゼロになるという考え方です・
それを踏まえて・
たとえば、この国の豊かさに一体どれほどの人間が喜びを感じているだろう?
俺はほとんど皆無だと思う・
皆、貧しい国で貧しい生活をしている人たちがいるという事実は知っているし、自分達がいかに恵まれた環境で生活しているのかも認識している・
が、理屈として認識しているだけで罪悪感を感じる事はあっても本能的に喜びを体感している者は皆無である・
もしいたとしたら、それは貧しい生活、貧しい時代を真に体感したことのある者たちだけである・
蛇口をひねれば水が出ること、
スイッチを押せば電気がつくこと、
電車や車で高速移動できること、
金を払えば食物が手に入ること、
友達がいること、
恋人がいること、
家族がいること、
音が聞こえること、
歩けること、
呼吸ができること、
自由であること、
喜びを感じることができるのはこれらを得たときのほんの一瞬だけである・
その存在が自分の中で基準値、いわゆる“あたりまえ”の存在に変わったとき、その存在は喜びではなくなる・
失うことで少しでも「困る」と感じたら、それはすでにもう便利なものでも有難いものでも尊いものでもなく、“なくてはならないもの”なのだから・
>それでは生まれなくても同じ事という話になりはしないか。
残酷なことかも知れないけど、俺は同じだと思っている・
要は“ある”か“ない”かの違いだけ・
すべてにおいて、有と無は同価値だと俺は考えている・
「生まれてきてよかった」とか、
「生命は素晴らしい」とか、
人は生を肯定したがるけどね、結局そうしないと生きていけないからそう信じようとしているだけであって、絶対値で生と死を比べてそう判断したわけではないからね・
普段この国で普通に生活してると見えないけれど、世界中には様々な残酷な生があって、ものを考えることさえできない重度の障害を抱えた生命もあれば、飢餓や奇病で生まれて間もなく終える生命もある・
人間以外の生き物には、食べられる為だけに存在する生命もある・
そんな生命に一体、どれほどの生きる意味や価値があるというのだろうか?
人は苦しければ苦しいほど、相応の喜びを与えられ、
喜びが大きければ大きいほど、相応の苦しみを強いられる・
人間の感覚、人間の価値観は常に相対的なものである・
苦しみしか知らずに終えた生命は、それを苦しみだったとは認識しない・
喜びしか知らずに終えた生命は、それを喜びだったとは認識しない・
『生の喜びと生の苦しみは、足すとプラスマイナス0』
以上が俺の掲げる持論の根拠である・
(異論反論大歓迎)icon
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from: きんめさん
2006年04月01日 22時13分50秒
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「Re:[春]」
> 無事に合格し、なんとか春を迎える準備が整いほっとしているオーナーのKazemaruです・
検定合格おめでとうございます。
> でもね、生の喜びと生の苦しみ、足すとプラスマイナス0なんだ・
> だってそうだろ? 人は苦しみがあるから喜びを感じ、喜びがあるから苦しむのだから・
> プラスマイナス0の生が素晴らしいというのなら、
> 初めから0である無の世界だって素晴らしいはずなんだ・
ヨロコビとクルシミが等価であるという根拠はどこにあるのか?
そんなことは誰にも決められないのではないだろうか?
死を選びとる事に個人の尊厳を認めるのはやぶさかではないけれど、生きて死ぬという事と、はじめから生まれない無が等価であるというのが感覚的にはしっくりとはこない。
それでは生まれなくても同じ事という話になりはしないか。
> 延命装置を外し、生死の判断を自然に任せることが犯罪であってはならない!!
誰が延命装置を外すことを判断したのかが問題であると思う。
本人なら、それは当然認められる権利と考えてもいいだろう。
だか、その判断が医師のみによって行われ、本人や親族の介在が無かった場合は、それは犯罪と言って良いのではないか?
死を選び取る権利(あるいは意地汚くても生きる権利)を他人のモノサシで勝手に図っていいのか?
生死の判断が自然に因って行われるべきものであるならば、延命装置を取り付けた医師はすでに生を冒涜しているとは言えないのか?
治療を含め、医療というのは自然の摂理をねじ曲げて生死を個人のレベルに引き寄せる行為だと思う。
延命装置はさらにその生死という決定の瞬間を保留する行為だ。
なぜ、保留するのか。それは生死の決定権は本来本人にあるべきものだからと考えることも出来る。
生死というものが個人の権利であると考えれば、本来は死をも決定するのは本人であるべきで、本人に決定権がなければ、近しく本人の意志を代弁出来るものが決定すべき事項だ。
決定すべき人間が誰もいない時に、はじめて医師がその決定の任を請け負う可能性を持つのではないだろうか?
因って、親族等が居た場合には医師にはその決定権はないと考える。
仮に、親族にはその意向があって、それを言い出せなかったとしよう。その心をくんで医師が延命装置を取り外したとする。その時、医師は犯罪行為をしたとは言い難いかもしれないが、ならばそれはむしろ決定するべき事項を他人に押しつけた無責任な親族側の責任が追及されるべきかもしれない。
> …と、俺は思う
>
>
>
>
>
> (反論・賛同 お待ちしております)icon
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from: ゴキブリ エリミさん
2006年04月01日 00時22分55秒
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「Re:[春]」
「苦痛からの解放」=死
なるほど、“死”についての緊張感(恐怖心)が和らぐ考え方だね! 気に入りました。
この件の医者は犯罪行為では無いと俺も思う。
かといって善悪の判断は出来ない・・・難しい問題であるから。
この話では、映画「ミリオンダラー・ベイビー」を思い出した。
正直、俺は“死”は恐れ過ぎるほど恐れてる。なぜならこの世で誰も“死”を体験していないし明確な感覚や“無”という実態や意味がわからないから。
まぁ、“生きる”意味もわからないのに“死”の意味なんてわかるはずも無いのだが、、、(無は無なんだがら意味なんて無い・なんて言われたらそれまでなんだが…)
ただ、「無の世界も素晴らしい」とあらば苦悩苦痛からの解放って事で自ら痛みを避けて無の世界へ返ろう!という考え方も簡単に出来てしまうのか?!
人は確かに死にます。死に向かっています。 が、死に向かって生きているんですよね。
「人はなぜ眠る?なぜ麻酔を打つ?」かは、死に向かって生きるために必要なのだからではないかなと・・・。
それに苦痛や苦しみは生きていないと味わえないかも知れませんよね。
人の生死の問題はやはり難しい。
最近「臓器移植法案」の動きもありましたが、意見が割れているし。
助かる命と助からない命の明暗の線引きを・・・難しい・・・。
出会いと別れの季節。
あまり変わらない環境の俺だが、皆さんはどんな“春”を過ごしているでしょうか?!
いい春を迎えたKazemaru! 試験合格おめでとう!!
見習って俺もいい春にしたいものだ。icon
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