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from: 『Kazemaru』さん
2006年03月30日 09時30分06秒
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[春]
P検試験のため、しばらく間があいてしまった・無事に合格し、なんとか春を迎える準備が整いほっとしているオーナーのKazemaruです・そんな中、世間では
P検試験のため、しばらく間があいてしまった・
無事に合格し、なんとか春を迎える準備が整いほっとしているオーナーのKazemaruです・
そんな中、世間では何やら医師が末期病患者を死なせたとかなんとかでまた騒がしい事になってるね・
ここしばらく新聞やテレビなど、メディアとは距離を置いていたので詳しい話は全然知らんけど、もし、俺が裁判官だったらこの医師は無罪にするね(無責任か?)・
なんかみんなさぁ、“死”というものを恐れ過ぎてない??
人間はいつかみんな死ぬんだよ・
その時期が人それぞれ遅いか早いか違うだけ・
俺たちは無の世界から来てまた、無の世界に返っていくだけなんだよ・
生命って素晴らしい?
うん、たしかに素晴らしいかも知れない・
でもね、生の喜びと生の苦しみ、足すとプラスマイナス0なんだ・
だってそうだろ? 人は苦しみがあるから喜びを感じ、喜びがあるから苦しむのだから・
プラスマイナス0の生が素晴らしいというのなら、
初めから0である無の世界だって素晴らしいはずなんだ・
みんな勘違いしてるよ・
死=痛み じゃない・
死=苦しみ でもない・
耐えきれない程の痛みも、気が狂う程の苦しみも、それはすべて“生”がもたらすものなんだ・
人間が死に際に味わう想像を絶するほどの苦痛、その苦痛から解放してくれるのが“死”というものなんだ・
人はなぜ眠る?
なぜ麻酔を打つ?
そこに“無”が必要だからだろ?
延命装置を外し、生死の判断を自然に任せることが犯罪であってはならない!!
…と、俺は思う
(反論・賛同 お待ちしております)
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from: 『Kazemaru』さん
2006年04月05日 18時14分31秒
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「Re:[春]」
エリミ氏もきんめ氏も
祝福の言葉ありがとう!
さて、生死に関した今回の事件に対する意見は人それぞれあるだろうけれど、ここではきんめ氏の
>ヨロコビとクルシミが等価であるという根拠はどこにあるのか?
という指摘についてちょっと意見を述べさせてもらおう・
『生の喜びと生の苦しみは、足すとプラスマイナス0』
まぁ、これはあくまで俺の持論なんだけど、一応根拠は本文に書いてあるとおりです・
総括すると、あるひとつの喜びと苦しみが完全に等価なのではなく、えてして喜びというのは一瞬にして消化され、苦しみというのは長く継続して消化するものであり、結果、人生という時間軸において喜びと苦しみは相殺されゼロになるという考え方です・
それを踏まえて・
たとえば、この国の豊かさに一体どれほどの人間が喜びを感じているだろう?
俺はほとんど皆無だと思う・
皆、貧しい国で貧しい生活をしている人たちがいるという事実は知っているし、自分達がいかに恵まれた環境で生活しているのかも認識している・
が、理屈として認識しているだけで罪悪感を感じる事はあっても本能的に喜びを体感している者は皆無である・
もしいたとしたら、それは貧しい生活、貧しい時代を真に体感したことのある者たちだけである・
蛇口をひねれば水が出ること、
スイッチを押せば電気がつくこと、
電車や車で高速移動できること、
金を払えば食物が手に入ること、
友達がいること、
恋人がいること、
家族がいること、
音が聞こえること、
歩けること、
呼吸ができること、
自由であること、
喜びを感じることができるのはこれらを得たときのほんの一瞬だけである・
その存在が自分の中で基準値、いわゆる“あたりまえ”の存在に変わったとき、その存在は喜びではなくなる・
失うことで少しでも「困る」と感じたら、それはすでにもう便利なものでも有難いものでも尊いものでもなく、“なくてはならないもの”なのだから・
>それでは生まれなくても同じ事という話になりはしないか。
残酷なことかも知れないけど、俺は同じだと思っている・
要は“ある”か“ない”かの違いだけ・
すべてにおいて、有と無は同価値だと俺は考えている・
「生まれてきてよかった」とか、
「生命は素晴らしい」とか、
人は生を肯定したがるけどね、結局そうしないと生きていけないからそう信じようとしているだけであって、絶対値で生と死を比べてそう判断したわけではないからね・
普段この国で普通に生活してると見えないけれど、世界中には様々な残酷な生があって、ものを考えることさえできない重度の障害を抱えた生命もあれば、飢餓や奇病で生まれて間もなく終える生命もある・
人間以外の生き物には、食べられる為だけに存在する生命もある・
そんな生命に一体、どれほどの生きる意味や価値があるというのだろうか?
人は苦しければ苦しいほど、相応の喜びを与えられ、
喜びが大きければ大きいほど、相応の苦しみを強いられる・
人間の感覚、人間の価値観は常に相対的なものである・
苦しみしか知らずに終えた生命は、それを苦しみだったとは認識しない・
喜びしか知らずに終えた生命は、それを喜びだったとは認識しない・
『生の喜びと生の苦しみは、足すとプラスマイナス0』
以上が俺の掲げる持論の根拠である・
(異論反論大歓迎)
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