新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

年年歳歳

年年歳歳>掲示板

公開 メンバー数:15人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: かめきちさん

    2009/08/08 20:38:07

    icon

    フィクションの悲しみ

     花を見ると全体の容姿より花弁に目がいってしまう。覗きこみ透かし見て、ああ生きてる、とあたりまえのことに感動したりする。その色素を取り出してみると多くの場合、花弁の色とは違う色をしているそうだ。白い花には白い色素はなく(自然界には白い色素など存在しない)あれは気泡と光の関係で白く見えるだけだという。凛として気高い白ユリも、何のことはない、潰してみれば半透明でぶよぶよの細胞膜と水分で出来ており、どこにも白い色素は存在していないのだ。
     そんなものさ、と思ったり、だからユリも人間も、かなしくて素敵じゃないの、と思ったりする。
    口を開くか書くかすると、変に強そうで明快になってしまうのがかなしい。ユリの話ではなくて私のことだ。
    あまり元気ではないが「元気よ」と言い切ってしまう。思ったこともありのままを外に出すのは無責任だし、だいいいち格好悪いから、多少無理してでもやはり、整理して明快に言い切ってしまうところがある。
    いったんそうしても、あとに逡巡は残る。
     自分に正直に生きる、と言うけれど、それもまたずいぶん矛盾した言い方だ、と突然思えてくる。生きることも表現することと同様、自分のなかのあるものを択び、ほかを捨てることだ。捨てたり封じこめたりしたものの造反、攻撃、恨みに必死で耐え、ときには闘い、それでも平気な顔をしている。大変に不正直な状態を、生きると言うのではないだろうか。「ウッソー」という声を聞きながらも「だって仕方ないじゃない。どっちかに決めなくてはならなかったんだもの」と自分に言いきかせ口を引き結ぶ。択ぶことなしに、そして捨てることなしに、生きることも表現することも出来ないのだから。

    花弁を光に透かして  高樹 のぶ子

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件