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from: モトパシアさん
2021年03月21日 17時38分21秒
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忘れられないエピソードの一つ!
今までの私の海外旅行は90%以上が一人旅です。ですから、ハプニングやらアクシデントの数え切れないくらいのエピソードがあります。その中の忘れられない一つを以下に記載しました。
今は亡き小野田寛朗(おのだひろお)氏をご存知ですか?
第二次大戦後も約30年間もフィリピンのルバング島のジャングルに潜んで戦闘行為を続けていて、1974年に発見された元陸軍少尉の方です。
この方の発見で、ある意味私は窮地に陥ったと言っても過言でない非常に窮地に陥った、苦労と滑稽な体験でした。そしていつまでも忘れられない思い出の一つです。
それは、1974年3月の初めフィリピンから多くの蘭を持って帰国しましたが、また、1週間後にフィリピンに行くことを余儀なくされることになりました。それと言うのも、フィリピン・ケソン市のラン業者が私にとって幻のようなある蘭の自生地を発見し再度現地へ行くとの事を電話で知らせて頂いたのです。ですが、妻には言えず困り果てていました。
と言うのは、当時は日本人の男性のフィリピンへのツワーの多いことで日本国内でもよく報道されていて、私の場合、その噂のフィリピンから帰国して、たった1週間でまたフィリピンへ戻るということは、現地にきっと彼女がいると疑われるに違いないと思いました。
しかし、「背に腹は代えられぬ」で大阪にどうしても断り切れない所用で1週間行ってくるとの事で、大阪>台北>台中>台北>マニラと、台湾(ちょっと寄り道)経由でマニラへ行きました。
ここまでは順調でした。
マニラ国際空港のあるパサイ市からマニラ湾に面したロハス通りにあるフィリピナスホテル(当時日本人客がよく利用したホテルで後に火災でなくなりました)へ、タクシーで着き、ホテルの正面でタクシーを降りろうとし時、顔にライトがパっと当たって、次の瞬間マイクが差し出され、「NHKですが、昨日ルバング島で小野田さんが発見されましたが、どの様なお思いですか?」、その後、いくつかインタビューに答えて、ホテルに入りチェック・インしました。
もうお分かりでしょう。日本で、その夜の7:00の全国ニュースで報道されました。運悪くそれを見ていた娘が「ママ!パパがテレビに映っている!」でした。妻は、大阪にいるはずの私が嘘をついてマニラにいる。「その訳は、現地に・・・?」で、帰国後大変な騒動でした。
蘭の目的の旅が、どこをどう説明しても完全に不利な状況で、言い訳の出来ない行動でした。妻のご両親からもお小言でした。妻には、その後も数え切れないほどの心配のかけ通しの生活です。
今はその妻もアルツハイマーを患い私が世話をしています。迷惑を掛けた100分の一でも10分の一でもお返しが出来たらの思いです。後どれくらい一緒にいられるのか、気重にならず出来るだけ楽しんで世話しています。
口ではこう言っていますが、定期的にある熱い思いが強烈に湧いてくるのです。「あの魅惑のジャングルが待ってますよ!探索しませんか!ボルネオの奥地の高原台地の自然の中をを歩きませんか!」。ですから、家族に頼むのですよ、「少し仕事で2週間留守するので、宜しく頼みます。」。・・・あとはニュースに載るような事故や事件に遭遇しないように祈るだけ!今でも同じパターンの言い訳での蘭の旅です。もちろんコロナウイルスが沈静してから。-
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from: モトパシアさん
2021年03月17日 17時15分39秒
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この季節になると旅先で学んだ事を思い出します
以前に書かせて頂いた貴重で懐かしい出会いをまた述べさせて頂きます。
東南アジアで国が違っていも同じ国語を持つ国があります。そうです、マレーシアとインドネシアです。共に第二次世界大戦後、独立しましたがその以前は、マレーシアは、英国の植民地で、インドネシアはオランダの植民地として歩んだ歴史がありました。だから、マレーシアは今も生活習慣や建物など多くを英国の影響が残っています。インドネシアもやはりオランダの影響を受けています。言葉もそうです。マレーシアは英語の影響がありますし、主要な言葉として使われています。インドネシアも、もちろんオランダの影響が残っています。だから、当時は、ヨーロッパからの観光客も、米英、オーストラリア、カナダなどマレーシアへ訪れる割合が多いですし、インドネシアにはオランダから訪れる人々が多いです。
そのようなことで、インドネシアでの事、オランダ人の観光客とお会いする機会がありました。スラウェシ島の東に位置するマルク諸島のハルマヘラ島ジャイロロでのことです。インドネシアでもニューギニアに近く欧米から訪れるのは珍しい場所です。ですが、風光明媚で、どこへ行っても美しい自然と人々のもてなしに感動の連続です。その地元ツワーでオランダからの老夫婦と知り合いになりました。
ご主人は、戦争で日本軍と戦ったそうです。色々辛い戦いの話をしてくれました。私も学んできた拙い知識から、戦争での日本の悲惨な結果をお話しました。その時です、御夫人から、今日のタイトルに掲げたお話を聞き学びました。
第二次世界大戦末期の何ヶ月間、ナチの海上封鎖のため、オランダ西部の主要な都市は、食料の水上輸送は途絶えました。結果は悲惨なものでした。1944年から1945年にかけて「飢餓の冬」の期間中に1万人以上の人々が栄養失調で死にました。生き延びた人々は、チュウリップの球根を食べたそうです。とろ火でどんなに長く煮ても軟らかくならないそうです。嫌がらずに慎重に食べてものどがひりひり痛んで何日も治らない状態でした。ですから、もし手に入ればニンジンを少しとテンサイを一緒に煮たそうです。
彼女の母は、彼女や彼女の姉妹達に食事を与えるため、二回に一回は食べずに我慢したそうです。話をしているその御夫人は、とうとうこみ上げて涙ながらに私に語りを続けてくれました。私ももらい泣きの状態でした。
彼女のそんな優しい母親は終戦を待たずに死んだそうです。彼女は、「泣いてくださって、とてもうれしいわ!素敵な日本人に出会って感謝します。」と言って下さった事を今でも忘れません。
チューリップの球根は100㌘で148カロリーで、たんぱく質3㌘、脂肪0.2㌘、炭水化物32㌘です。しかし、口に合わない食べ物です。ですがそのおかげで餓死せずにすんだオランダの人々は、少なくなかったようです。
旅先での出会いで、また学びました。戦争の悲惨さ!体験した方々の願い!洋の東西を問わず平和への願い、家族を慈しむ自然の情愛!とても教えられたお話でした。
花屋や種苗店にチューリップの花や球根が並べられている季節に、それらを目にするたびにオランダの御夫人のお話が脳裏に現れてきます。
美しいチューリップ!誰もがその姿を見て微笑みを浮かべる花に、オランダの人々の命を救った歴史があるなんて、教えて下さった出会いに今も感謝しています。-
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from: モトパシアさん
2021年03月13日 13時12分58秒
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ハルマヘラ島ジャイロロでの旅先の出会いで、また学びました。
いつもこの時期になると思い出すことがあります。懐かしい思い出です。また、聞いて下さい。
東南アジアで国が違っていも同じ国語を持つ国があります。そうです、マレーシアとインドネシアです。共に第二次世界大戦後、独立しましたがその以前は、マレーシアは、英国の植民地で、インドネシアはオランダの植民地として歩んだ歴史がありました。
だから、マレーシアは今も生活習慣や建物など多くを英国の影響が残っています。インドネシアもやはりオランダの影響を受けています。言葉もそうです。マレーシアは英語の影響がありますし、主要な言葉として使われています。インドネシアも、もちろんオランダの影響が残っています。だから、ヨーロッパからの観光客も、米英、オーストラリア、カナダなどマレーシアへ訪れる割合が多いですし、インドネシアにはオランダから訪れる人々が多いです。
そんなことで、インドネシアでの事、オランダ人の観光客とお会いする機会がありました。スラウェシ島の東に位置するマルク諸島のハルマヘラ島ジャイロロでのことです。インドネシアでもニューギニアに近く欧米から訪れるのは珍しい場所です。ですが、風光明媚で、どこへ行っても美しい自然に見とれるばかりです。その地元ツワーでオランダからの老夫婦と知り合いになりました。
ご主人は、戦争で日本軍と戦ったそうです。色々辛い戦いの話をしてくれました。私も学んできた拙い知識から、戦争での日本の悲惨な結果をお話しました。その時です、御夫人から、今日のタイトルに掲げたお話を聞き学びました。
第二次世界大戦末期の何ヶ月間、ナチの海上封鎖のため、オランダ西部の主要な都市は、食料の水上輸送は途絶えました。結果は悲惨なものでした。1944年から1945年にかけて「飢餓の冬」の期間中に1万人以上の人々が栄養失調で死にました。生き延びた人々は、チュウリップの球根を食べたそうです。とろ火でどんなに長く煮ても軟らかくならないそうです。嫌がらずに慎重に食べてものどがひりひり痛んで何日も治らない状態でしたので、もし手に入ればニンジンを少しとテンサイを一緒に煮たそうです。彼女の母は、彼女や彼女の姉妹達に食事を与えるため、二回に一回は食べずに我慢したそうです。話をしているその御夫人は、とうとうこみ上げて涙ながらに私に語りを続けてくれました。私ももらい泣きの状態でした。
彼女のそんな優しい母親は終戦を待たずに死んだそうです。彼女は、「泣いてくださって、とてもうれしいわ!素敵な日本人に出会って感謝します。」と言って下さった事を今でも忘れません。
チューリップの球根は100㌘で148カロリーで、たんぱく質3㌘、脂肪0.2㌘、炭水化物32㌘です。しかし、口に合わない食べ物です。ですがそのおかげで餓死せずにすんだオランダの人々は、少なくなかったようです。
旅先での出会いで、また学びました。戦争の悲惨さ!体験した方々の願い!洋の東西を問わず平和への願い、家族を慈しむ自然の情愛!とても教えられたお話でした。花屋や種苗店にチューリップの花や球根が並べられている季節に、それらを目にするたびにオランダの御夫人のお話が脳裏に現れてきます。美しいチューリップ!誰もがその姿を見て微笑みを浮かべる花に、オランダの人々の命を救った歴史があるなんて、教えて下さった出会いに今も感謝しています。-
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