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from: モトパシアさん
2007年07月14日 21時17分08秒
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感動の地・ボルネオを語る時!
感動の地・ボルネオを語る時、どうしても忘れることの出来ない方の体験を思い出します。
その方は、1880年に裕福な名家に生まれました。待ちに待った初めての子供として大変愛され可愛がられ、幸せに包まれたスタートでしたが、1歳半を越えた頃、突然、熱病に襲われて視力も聴力も失ってしまいました。それ以来、そうこの方・ヘレン・ケラーは音も光も言葉も存在しない世界にたった一人で住む事になりました。母親とさえ満足に意思を交わすことができず、周りの世界で何が起こっているか分からないまま育っていきました。幼いヘレンはやるせないいら立ちを爆発させては暴れることもたびたびでした。アン・サリバン先生が家庭教師としてケラー家に呼ばれたのはヘレンが7歳になる前でしたが、ヘレンは後にその日を「私の魂の誕生日」と表現しています。
その日の出来事を是非読んで頂きたいと思いますが、サリバン先生の辛抱強い努力と苦労によってヘレンは物に「名前」があることを苦しみながら理解し手のひらに指で綴られた感触で新たな世界を知るスタートに着いたのです。サリバン先生が井戸小屋でヘレンの片手に冷たくほとばしる水を受けさせて、片方の手に「水・w-a-t-e-r」と書きました。ヘレンはこう語りました。「突然、私は何かを思い出すような漠然とした感覚に襲われました。・・・・w-a-t-e-rというものが、私の手の上に流れ落ちてくるこの冷たくて素敵なもの」を意味するのだと悟ったのでした。彼女はもっともっと学びたくなって井戸小屋を出ました。彼女は言いました。「あらゆる物に名前があり、その一つ一つの名前が新たな思考を生み出すのでした。家へ戻る道すがら、私の触れるもの全てが命を吹き込まれて打ち震えているように思われました。それは今まで知らなかった新しい見方であらゆるものを見るようになったからです。」
このヘレンの大きな感動の体験ほどではないにしてもボルネオへ最初に足を踏み入れた私にとってそれまでの思いを一掃され新たな見方であらゆるものを見るようになったからです。熱帯の地がボルネオが初めてではなかった私でした。それまでフィリピン、ヴェトナム、タイ、ラオス、ミャンマーなどや他に多くの国や地域があり、しかも何度となくリピートしてきた経緯があった私でしたがボルネオによって新たなスタートを踏み出しました。
熱帯雨林と関わりのある人々の生活!網の目のように流れる川の民としての生活!広大な海原を生活の場とした生き方!類稀な動植物の宝庫!この世のものと思えない美しい自然!このように掲げていくと言い尽くせない形容の言葉が次々と出てくるボルネオです。ヘレン・ケラーが新たに感動の出発できたきっかけがサリバン先生との出会いでしたが、私にとってはボルネオとの出会いがそうでした。
ところで私は私だけでないと信じています。これからも私と同じような感動を!ボルネオとの出会いによって味わう人がいるかもしれないということを。ひょっとしてあなたではないでしょうか!-
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プーさん、
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