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from: クマさんさん
2006/03/08 21:26:05
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王瀬の長者
昔、山ノ下の王瀬に長者様が住んでいた。
たいそうな金持ちだったらしく、
その長者の屋敷の木戸が、今の上木戸・中木戸・下木戸だそうだ。
長者が月を見たので月見町、藤を愛でたので藤見町、
沖の船や天気を見たのが物見山。
いかに強大な権力を有していた長者であったか分かると思う。
今残されている地名には、そんな長者伝説のいわれがついて回るのだ。
長者町という町の名前を不思議に思った人も多いと思う。
長者町・・・。子ども時代この町の名前が理解できなかったものだ。
しかし、こうして長者伝説を知ると、よくまぁこの名前を残したものだと、
町名を付けた人に感心してしまうのである。
「王瀬の長者の物語」とは、ひょんなことから出会うことが出来た。
私は、ビオトープの仲間たちと共にこの物語を劇にするために脚本を書き、
演出をして、市民劇として2回上演している。
1回目は「亀田郷土地改良会館」、2回目は「音楽文化会館」である。
2回ともシンポジウムを開催して、素人を集めて上演したものだった。
その時、我が姉貴である舞踏家のHさんに出会い、主役を演じてもらったのである。
「王瀬の長者の物語」は、寓話として現代にまさに通じる話である。
ライブドアの堀さんが没落したように、
この長者も分をわきまえずに、道理に逆らったために没落をした。
詳しい話は後日であるが、分かって欲しいのは、
この山ノ下に凄い長者が生きていたことと、
その長者の物語が伝説として残っていること。
そして、その長者の墓が、沼垂の法光院に祀られていることである。
大人の総合学習を進めると、こんな小さな町にも驚きの発見はあるのである。
この地蔵様のいわれを尋ねてみても面白い事実に出会うはずである。
焼き島に庶民の浄財で安置されているお地蔵様である。
ここが昔潟であり、人々が船を使って行き来していたことが分かる。
ちなみに、下の写真の川は、今は通船川であるが、
その昔、江戸時代までは阿賀野川が流れていたのである。-
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コメント: 全1件
from: takiさん
2006/03/09 23:20:44
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「Re:王瀬の長者」
こんばんは。
このお地蔵さん。高校時代に試験の日は自転車を止め手を合わせていました。
クマさん
王瀬の長者伝説ですが、いつか詳しく聞かせてください。
私も山ノ下の歴史というと大袈裟ですが少しだけ調べたことがあります。でも明治の後半が限界でした。
いつかゆっくりと聞かせてください。
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