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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2006/03/11 08:16:57

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    川と海とがある町


    普段から当たり前に生活していることが、
    とてもありがたかったものだったんだ気付いた経験があると思う。
    よその人が「いいですねお宅には○○があって」とか言われて、
    アーそうか。それは家だけにあったのだなぁ。てなことだ。

    町が大河に接している町。
    町が海に面し、港がある町。
    つまり、川と海とをもつ山ノ下は、
    それだけで十分独自性をもつ町なのである。

    子どもの頃から、大きな貨物船や貨客船を見て育ってきた。
    ソ連・中国・韓国・フィリッピン等、外国の船が多かった。
    臨港のおばの家に幼い頃預けられていたことがある。
    隣の酒場は、外国の船員の溜まり場であった。
    東港線を歩くロシア人の船員たち。
    時には、その妻であろう女性たちも歩いていた。
    体は大きく、色は白く、鼻がどでかい。
    何だか怖くて近づけなかったことを覚えている。

    小林デパートでは、ロシア人のためにロシア語での挨拶が書かれてあった。
    港へ行くと、積荷を陸揚げしている貨物船に出会った。
    船の上では、中国人が忙しそうに働いていた。
    響いてくる言葉が分からない。
    確かにその船は、積荷と共に中国をそのままもってきてくれたのである。
    異国情緒などという言葉は死語であるかもしれないが、
    私は山ノ下の港で、外国の風を感じ、世界の広さを思った。

    北朝鮮への帰還船が出港した港がここなのだ。
    万景号であっただろうか。昭和35年ごろの話であろう。
    大勢の朝鮮の人たちが新天地を求め、家族で希望をもって帰還した場所である。
    滝のように紙テープと、アイゴーという泣き叫ぶ声、朝鮮の旗がちぎれるほど振られ、
    その船はゆっくりと岸壁を離れた。
    その人たちが見た最後の日本は、この山ノ下なのである。
    佐渡汽船で河口に出るとき、私はデッキでそのことを思う。
    その時も、飯豊連峰は真っ白だったかもしれない。

    山ノ下は、国際的な町だったのである。
    当時、幼くして感じた風には、
    確かにアジアやロシアの風の香りがあった気がする。

    現在は、北海道を定期的に結ぶ日本海汽船の発着場がある。
    ここに全国から北海道を目指し、北海道から帰ってきた車や人が終結する。
    今は、ある面では全国の風見本市の港である。


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