サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: モモンガさん
2006/12/12 01:58:56
icon
温故知新
>持続可能な地域社会の形成を目標にして、
>親父たちが一人一人の持ち味を活かして動くことで、
>きっと何かが変わると予想する。
本来、‘地域’とは個々の家々が繋がって形成されていたものであり、
お互いがお互いを助け合って持続してきたものです。
それが、高度経済成長を経験するに当たり家族の単位が少なくなり、
核家族化が進み、祖父母から孫世代への文化継承の場が閉ざされてしまったのではないでしょうか。
私たちがやろうとしていることは決して新しいことではなく、
本来の‘地域’であれば正常機能していることなのです。
そして、これからの時代を担うのは、
地域の重鎮ではなく子供たちなのです。
我々は、その橋渡しに過ぎません。
お年寄りが培ってきた地域の伝統や生きるための知恵を
解りやすく噛み砕き、
教えるのではなく授けるように伝えられれば
子供たちは必ず受け取ってくれると思います。
そのために我々は、義務や義理あるいは犠牲心で参加するのではなく、
自らの意思と大いなる遊び心を持って参加することが必要と考えます。
明日の会合、楽しみですね。
takiさん、クマさん、そしてCさん。。。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 3
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全3件
from: fujiyamaさん
2006/12/12 18:52:51
icon
「健全な“ココロ”」
クマさん、ご無沙汰しております。
> ここに来ると何だか楽しい。
> ここに来ると愉快な仲間がいる。
> ここに来ると何か学ぶことがある。
これら3要素は、とてもワクワクする事柄ですよね。
こういう発想が持てるのも自分自身が健全な心でいる時、
特に家族関係が良好であるが故だと思います。
最近、新潟市内のアパートの一室で
親子関係の歪みによる事件があり、母親が亡くなりました。
事件の内幕を聞いた時、とても切なくなりました。
以前同居していた親との関係とダブって見えたからです。
私自身、殴る蹴るの行動はしないまでも
感情面において、あの事件相当の気持ちを親に対し持っていたのは事実だし、
何か諍いがあるとすぐ感情的になりその場を去り、
でもその数時間後、何もなかったかのような顔で帰ってはくるけど、
心の中は全然晴ればれしてなくて、だんだん悶々とした思いが溜まる一方で
ついには家を出てしまいました。
事件当事者の心中を察すると
被告は母親の事で仕事も手につかぬ事もあっただろうし、
母親もいろんな葛藤があられただろうに、その互いの歪みが
一番不幸な状況となった、ということが他人事ながら悔やまれます。
私は今思うと『家を出る』という行動が、私自身をとても「健全」
というか、素直な心に戻してくれたような気がします。
離れたからこそ親(両親とも80代)を大事にしなきゃ、
という気持ちも一層強くなったように思います。
私が経て来た、陰湿な経験を子供には絶対させたくない!
そうするためには、まず父親が家庭内で常に“健全なココロ”電波を発信し、
学校や地域との関わりを面倒がらずにやらなきゃだめですね。
家庭というベースが円満であればこそ、仕事やその他の関わりも
余裕をもってできますからね。
来年の課題はその余裕をいかに幅広くするか、ですね。
私の場合。
好き勝ってに書き込みましたが、また次回。
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
from: クマさんさん
2006/12/12 05:50:14
icon
「Re:温故知新」
嬉しい発言をありがとうございます。
我が意を得たりです。
つなげるとは、このことだったのですよね。
つながらなかったのは、地域につなぎ手がいなかったからなんですね。
そんな意味では、地域に残る伝統や文化、お祭りはとても大切なものだったのです。
> 我々は、その橋渡しに過ぎません。
> お年寄りが培ってきた地域の伝統や生きるための知恵を
> 解りやすく噛み砕き、
> 教えるのではなく授けるように伝えられれば
> 子供たちは必ず受け取ってくれると思います。
生きる力は、生き抜いてきたお年寄りにこそあります。
以前特養のお年寄りの介護のボランティアをしたとき、
私は90歳の痴呆で寝たきりのおばあさんを介護しながら、
「生き抜いてきたことの尊さ」を感じました。
私たちはそれを感謝し、受け入れ、次の世代にバトンタッチすべきなのです。
>
> そのために我々は、義務や義理あるいは犠牲心で参加するのではなく、
> 自らの意思と大いなる遊び心を持って参加することが必要と考えます。
>
やっぱり「楽しむ」ことが大切です。
義務や自己犠牲では重過ぎて疲れます。
持続可能なやろう会にするためには、楽しむことと、つながることと、
自己成長する場が求められます。
ここに来ると何だか楽しい。
ここに来ると愉快な仲間がいる。
ここに来ると何か学ぶことがある。
そんなスタンスでこれからも地域のコーディネーターとなりましょう。
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
from: クマさんさん
2006/12/13 21:35:32
icon
「Re:健全な“ココロ”」
あんな悲惨な事件が身近に起こったことが衝撃でした。
しかし、事情が明らかになるにつれて、
私たちのこれから抱えねばならない老人問題があることが分かりました。
誰か親身になって相談する人や、
母親を責任をもって介護する人がいたらどうだったのだろうかと思います。
痴呆の老人を抱えて家族がくたくたになった時点で、
やっと施設を利用すると言う話を聴いたことがあります。
自分の肉親だからこそ、感情的になり、憎しみが増し、追い詰められていく。
親族の殺人が多いのも日本の現代社会の特徴といいます。
それはお互いに大人になって理性的に対応できず、
家族とはしがらみとして離れられないもの・分離できないものとして、
私たちの心の中で存在するから、
殺人をもってして終わらせようと衝動的に思うのだと思います。
家族だからとて、離れるべきときは、離れるべきなのですね。
> そうするためには、まず父親が家庭内で常に“健全なココロ”電波を発信し、
> 学校や地域との関わりを面倒がらずにやらなきゃだめですね。
> 家庭というベースが円満であればこそ、仕事やその他の関わりも
> 余裕をもってできますからね。
>
もし、この殺人を犯した女性に家族がいたらどうでしょう。
旦那さんや子供たちがいたら、その衝動まで追い詰められなかったと思います。
辛い心を受け止めて、慰められるからです。
また、一人ぼっちで抱えるのではなく、
家族が一緒に支えてくれるからです。
「そうじゃないよ」「大丈夫だよ」「私も手伝うよ」
そんな優しい言葉をかけられるからです。
それは、地域社会にもいえると思います。
孤立して、地域とのつながりが無いまま生きるとは、
自分が弱ったり、独りぼっちになったとき、
声をかけてくれる人が一人もいないということでした。
今は、一人暮らしのお年寄りの引きこもりが社会問題化しています。
「家庭というベースが円満であれば・・・」
本当にそうだと私も思います。
もう一つは「地域社会というベースがあれば・・・」
私たちは時には崩れそうな心を立て直して、
「健全なココロ」をもてる幸いを味わえるのではないでしょうか?
2月11日(日)中地区公民館で開催される「冬のにぎやか広場」は、
そんな一人一人のベースを形成するための交流の機会となることを願って、
公民館と山小「おやG会」と連携して開催されます。
fujiyamaさん、また旨い酒を飲みましょう。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
icon拍手者リスト