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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2007/01/20 10:56:40

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    失敗の大切さ

    最近長男がやけにおとなしく、落ち着いているのでほっとしている。
    何か心の中でふっきれたものがあるのか、
    自分なりに答えを見つけたからであるかもしれない。
    いろいろと人は壁にぶち当たる。
    この年になると、出切ることと出来ないことを見極めて、
    自分の領域ではない無理なことには挑戦しなくなる。
    大きな壁は、こちらの方で設定しない狡さも身に付けている。
    それは、経験知から導き出される答えであった。

    しかし、子供たちにはこの経験知は皆無であった。
    何故ならば、出会うことが言ってみれば未知な体験ばかりであるからだ。
    高校受験のために友達と試験会場へでかける。
    会場に着くと初めての高校の教室と見知らぬ受験生の雰囲気に緊張する。
    みんな黙々と参考書を読んでいる。
    これから始まることへの期待と不安。
    初めてであるから、緊張し何をすべきか考えるのである。
    そして、うまくいくことは少なく、失敗と後悔の連続が始まる。

    そこで初めて世の中と向き合い、世の中と出会い。
    痛い授業料を払って、少しずつ世の中の経験知を身に付けていくのだった。
    これは、親がいくら口をすっぱく教えても駄目なのである。
    親の伝えたかった言葉は、
    失敗の苦さと後悔の痛みとの中で始めて子の中で体得されるものである。

    そんな意味で、子どもに社会体験をさせていなかったなぁと後悔している。
    学校の勉強も大切であるが、学校の勉強だけで生きている人はいないのである。
    学力向上と学校教育と平均点にだけ目が行くような時代になったが、
    とても危うく、人間の成長の本筋を見間違ってしまうかもしれないという危惧がある。
    大切なのはいかに生きるかということであり、
    どんな人間として成長するかということではないだろうか?
    勉強が出来たら安心。成績がよかったらよい子であるのか?

    そうした一元的な子どもの捉えが、
    子どもの人間としての成長を阻害しているのではないだろうか?
    勉強もあるが、もっと大切なことが、
    この社会で生きるためにはたくさんあるのではないだろうか?
    長男を見ていて、その大切なことを、
    しっかりと大人としての私が伝えていないことに気付き、
    今は反省の日々なのである。

    ある日から、私は長男を起こさなくなった。
    彼はそれ以来、いつの間にか早起きになった。
    朝、「行って来ます」と握手して頭をそっとなでる。
    最近、笑顔が見られるようになった。
    ある意味では「放っておく」「干渉しない」「距離を置く」
    それは、「任せる」ということであり、
    「自分で考えさせる」ということであり、
    「失敗させる」ということであった。
    彼はこれからたくさん未知の領域に踏み込んでいくことになる。
    げつばたと上手くいかないことばかりであろう。
    その時も、距離を置いて、彼が自分で答えを出すまで見守っていく。

    「口を出しすぎ」「手を出しすぎた」過干渉の親であったかもしれない。
    今は、そんな自分に対しても「距離」を置いて、
    親ばかである自分のことを少しは冷静に見つめられるようになった。

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