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from: クマさんさん
2007/02/24 06:12:58
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見ること・見続けること
長男は、あと少しで中学校を卒業する。
彼の方から私から離れていった時代だった。
だから、あまりかかわった記憶が無かった。
どこかへ行こうと誘っても、父親と行くわけは無かった。
彼と二人でたった一回だけ映画を観に行った。
「ラストサムライ」だった。
家族ではよく出かけたが、
彼にとって私という存在はどのように写っているのだろうか?
ただ、毎朝の「おはよう」の挨拶と、
出勤する前に、子供たちと握手して「行ってきます」ということは続けている。
「いただきます」「ごちそうさまでした」「行って来ます」「ただいま」
そんな挨拶がなかったら、家族とはどこでつながっているのだろうか?
「行って来ます」を言うために、彼を探す。
彼は鏡の前で髪をとかしていることもあり、
部屋で教科書など準備していることもある。
「行ってらっしゃい」と私の顔を見ずに手だけ出すこともある。
その手を握り、「がんばれ」と一声かける。
時にはぽんと肩をたたく。
心なしか逞しくなってきたことを最近感ずる。
「いつでも父さんは味方だよ」そんな無言のメッセージを込めたつもりでいる。
ただ、彼にとっては煩いだけかもしれない。
それでも、まだ私に手を差し伸べてくれるから在り難い。
三年間、私や妻に起こされ続けた彼である。
せめて朝は起こされないで自分で起きろよなと思う。
しかし、ちゃんと朝食になるとダダダッと駆け下りてくる。
それなりに自分のことを考えて律しているのだ。
それは、彼の理屈であろうとも、一分の理屈は認めねばならぬのだ。
彼からは煩い親父と思われているのだろう。
それでも、私の大切な銘酒を祖父ちゃんから救ってくれた彼である。
「親は、子供を心配するために生きているんだよ」と、
私は、ある子に教えたことがある。
その言葉を言った途端にはっとした。
「何だ、それだけで良かったんだ」と思えたからだ。
心配し、はらはらしながら見守って、しかし、だんだん口を出せなくなっていく。
親から子は離れるが、親は子から離れてはいけないのだ。
過保護・過干渉はよくないが、
見つめることや、見届けることは、やめてはいけないのである。
私がかって大変な道を歩いていたとき、
父も母も私の事を見つめ、見届けてくれていた。
見限らず、見直して、見つめ続け、見送っていく。
それは、子供を信ずるということだと思えるようになってきた。
親という漢字は、やっぱり凄い字なのである。
ここに親学の本質が隠されているのだ。
何故、この漢字に「見る」という文字が存在するのか。
それが、親であるからではないだろうか?-
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