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from: クマさんさん
2009/04/19 06:32:54
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感動 「降りてゆく生き方」
県民会館まで歩いて行った。
1時間前に到着して、ロビーで待っていたら、
どんどん人がやって来る。
中高年の人たちが大半だった。
驚いた、いつの間にか長蛇の列ができていた。
知った顔にも何人も出会った。
これは一つの祭りなのだと私は思った。
「ものは腐ると腐敗する。しかし、同じものを醗酵とよぶこともできる」
単純な図式だが、この映画にはまちづくりのためのエキスが詰まっていた。
子供たちの心に動かされ、教師を辞めて市長選挙に立候補する森熊太郎。
昔ながらの米づくりにこだわり、森と命とを守ろうとする二宮。
森の司の味を守り、玄米で新たな酒造りに挑戦しようとする酒蔵の妻。
その一人一人をいつの間にかコーディネートしているよそ者である五十六。
みなに共通することは、
この「まち」や「むら」が好きで、
そこで自分の想いと願いとを実現するために努力して生きているということだった。
何も手を加えなければ、それを人任せにしていれば、
いつか「まち」や「むら」は廃れていくかもしれない。
しかし、大切なものは「人とひととのつながり」であり、
「命と命とのつながり」なのだと知った人がいたら、
その人は、その「まち」や「むら」のよき杜氏となり、よき農民となる。
そこに「あるもの」は太古から営々としてつながっている摂理なのだ。
人間は、「金」に代表される欲望や「名誉」「地位」への欲から、
自分のことだけを優先にして生きるさもしい動物となってしまった。
その「あるもの」の大切さを気づかせてくれたのが子供であるというところが素敵なのだ。
この映画では、学校と地域社会とは融合し、
教師が地域の新たな姿のために立ち上がり、
活動を始める一人となる。
やはり学校は、地域の中心・地域の核なのだ。
私は、それを信じている。
「点塾」でのシーンがあった。
篠田市長も参加し、発言をしていた。
私の心の師である、山之内先生も語っていた。
みんな笑顔で、何が本当に大切なものかを語り合っていた。
知った顔が多かった。
その人たちは、この映画そのものを支えてきた人たちなのだった。
私は、その笑顔に涙が流れた。
その時、やっと気づくことが出来た気がする。
私は、この映画を観ながら、
本当はこの映画を創ってきた人たちの熱い想いと願いを感じていたのだと。
この映画という「まち」を舞台に、
同じ思いで集まった何百人・何千人という人々が、
確かな想いでこの映画の中に目には見えなくとも参加しているのだと。
よき映画創りは、よきまちづくりだったのだ。
そう考えると実に不思議な映画なのだ。
みんなはお祭りのようにして県民会館に集い、満員御礼とした。
その熱気たるや、あの映画の興隆期そのものだった。
映画を待っている。
映画を期待している。
映画による感動を願っている。
そして、そこに集った人たちに、
妙な同志としてのつながりと連帯感とが生まれる。
棚田を見下ろせる山の頂に五十六はちっちゃな墓を自ら掘った。
その穴の中に伸び伸びと横たわり、
「降りてゆく生き方もいいかもしんないなぁ。」とつぶやく。
その声には、安らかな響きがあった。
オーディションのスライドショー。
そのご何百人という名前を書いたテロップが美しく流れた。
自分の名前を見つけて、指差している夫婦がいた。
そのテロップの中に、俳優の名前もあった。
この「映画」を創った同志たちです。
この映画は、みごとに「醗酵」していた。
映画が終わり暗転した時、
一番最初に拍手したのは、実は私なのだ。
それから会場には拍手が広がった。
「まち」も「むら」も「映画」も人の熱い想いと願いとで「醗酵」するのだ。
たとえどんな硬い玄米であろうとも、
「醗酵」させる熱意と努力と工夫さえあれば、
素敵な酒に「生まれ変わる」のである。
「醗酵」=「生まれ変わる」
会場のロビーに市民音楽劇「王瀬の長者」の劇団員募集のチラシがあった。
いよいよ私の番なのだ。
私もこの演劇を通して「醗酵」することを静かに心に誓った。
この映画にかかわった全ての人へ、心から敬意を表します。
4/25.5/2.5.14 クロスパル新潟
4/26万代市民会館で上映です。
ぜひぜひ「まちづくり」に興味・関心のある親父たちよ。
この映画を観るべし。
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