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from: クマさんさん
2009/05/22 05:17:53
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二人の偉大な師
昨日の朝、この掲示板を書き、
走ってきた後、新聞受けを見て驚いた。
K先生からの葉書が届いていたのだ。
私は、さっそくその文面を読んでみたが、
やはり判読不能な文字が多いのだ。
しかし、この葉書の裏にびっしりと描かれた筆文字が、
何よりも尊い気がいつもしている。
この文章を書くためにどれだけ先生は呻吟し、
震える手を我慢して動かし、
書いて下さった一つ一つの文字だからだ。
「山小屋の叔父がのりうつった絵がある」
「これを続ければものになる」
いつもいつも先生は私の拙い絵や文章を褒めてくれる。
「山小屋の奥のカウンターで居眠りする時こそ、幸せ気分」
「それは遠い昔の○○○ではないほど前ではない」
ここが判読不可能だった。
K先生がカウンターで酒のびんをを前に、
うつらうつらとしている様子が懐かしく思い出された。
「元気を出して下さい」
「あなたは大人物ですよ」
いつもいつも私の健康を気遣ってくれ、
こうして私のことを認めてくれ、励ましてくれる。
私は入院中の先生から力をもらうのだ。
「画集を楽しみにしています」
山小屋主人の追悼のための画集に、
私は主人に捧げる文章を書いた。
それをK先生にも送って、読んでもらったのだ。
その山小屋主人手書きの絵と賛が描かれた、
美しい年賀状が今、手元にある。
カタクリの花に舞うギフチョウの水彩である。
「弥彦山 あそぶ ぎふちょう 花の群れ」
これは、きっと私が春に登った千本沢の登山道を登ったときの歌だと思う。
あのカタクリの群生を、
Mさんも見ていたのだ。
先生とは、永遠に先生なのだ。
「書を書けなくなった、書の師」と、
「既に鬼籍に入った、絵の師」とは、
永遠に私のはるか彼方の先を歩く先生だった。
そうだったのか。
私は、先生とは「先に生まれた人」と解釈していた。
しかし、そうではないのだ。
先生とは「先に生きた人」のことなのだ。
「生きる」という一回きりの使命を、
その人なりに全うしてきた人のことを「先生」と呼ぶのだ。
その人は、私の「生きる」目標であり、心の励みでもある。
私には、そんな二人の偉大な先生がいてくれた。
ありがたい出遭いであった。-
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