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from: クマさんさん
2009/08/20 20:39:50
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切なく、愛そう。
本日、我が親戚の叔父さん叔母さんたちが本家に集まり、
お盆の親戚の集いをやった。
30年前は若かったみんなも、
30年たつとそれなりのお爺さんとお婆さんになっていた。
我が家はとにかく親戚が集まった家だった。
本家ではいろいろな場面で飲み会があり、
大人たちに混じって私たち従姉妹もそこで遊ばせてもらったものだ。
酒の席にも子どもたちはいた。
親父の膝の上に乗って、ご馳走を食べさせてもらったり、
叔父さんたちの酔っ払いの醜態をそれなりに見せてもらった。
ビールの苦さを知ったのは、何時頃だっただろうか。
あの頃は、皆が若くて、青春をしていたものだ。
親戚が集まって飲むと必ず歌になった。
手拍子でみんなでその歌を口ずさむ。
それで私は西田幸子や坂本九の歌を覚えた。
歌謡曲という時代の歌だった。
本家の叔父さんの家には、
ビクターの足の付いたステレオがあった。
「地上最大の作戦のテーマ」
今でも心にその音楽が焼き付いている。
父があんまり元気がなかったので、
同じ年の叔父さんが、
父の退職の記念を行った夜の記念写真を持ってきてくれた。
父も母も若かった。
今の私と6才しか違わない父である。
まだ20代の私もそこには写っていた。
父の退職のあの晩のことは、私もよく覚えていた。
エピソードに尽きない父であった。
あれだけ好き勝手に暴れても、
職人としての腕が良かったので、
新潟鉄工の鋳造の検査課ではトップで最後まで生き残った男だった。
出世とは無縁で、偉くなろうとは決してしなかった。
そんな父は工場長から可愛がられ、
首になるところを、彼のおかげで首の皮一枚で命拾いした。
競馬と借金。
元気だったなぁと、今ではあの無頼が懐かしい。
その写真に写っていた叔父さんの内、
3人は鬼籍に入っている。
父はよく生き延びたものだった。
これからも、どんなことがあっても生き延びてもらいたい。
あの写真の頃は、父に反発していたかもしれない。
しかし、30年たった今は、父がいとおしいのである。
帰ると父と母には、「ありがとうございました」と挨拶する。
「ああ、お帰り」その声を聴けるだけでありがたい。
写真とは不思議なものだ。
けっしてあの頃には戻れないが、
過ぎ去ってしまった月日と共に、
私はまだまだ一緒に暮らせる今日を、
私はもっともっとけなげに感ずる。
人は、帰れないのだ。
だから、切なく、家族を愛するのである。-
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