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from: クマさんさん
2009/11/19 06:16:47
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縄文に学ぶ
劇の後で、大熊先生による講演会があった。
「鮭がのぼり、下ししやすい川に」という演題だった。
このお話、とても興味深く、面白いお話だった。
新潟県上川村の御前ケ遊窟で発見された遺跡から、
出土した土器を調べると、
何と1万2千年前のものだったそうだ。
エジプトやメソポタニア文明よりも古く、
縄文人は、狩猟民族として小さな文明をきづいていたそうである。
それが、出来たのは豊かな自然がこの地にあったからである。
それでは、何故弥生時代の到来が遅れ、
農耕文化が世界の文明からずっと遅れて誕生したのか。
その答えも豊かな自然がこの地にあったからなのである。
小さな集落を形成しながら、
移動の民としてこの自然の中で生きてきた文化がある。
縄文時代は、まさに自然と共生した文化であった。
その基本は、採り過ぎない。次の世代を考える。
必要以上に蓄えない。自然を畏れ、感謝する。
自然の恵みで活かされている知恵をもっていた民族は、
自然の掟を守り、時には神として崇める。
人は、自然によって生かされているちっぽけな存在に過ぎないのである。
その謙虚さが、縄文人の文化であり、知恵であったと私は思っている。
しかし、現在の川はどうだろうか。
あの大河信濃川は、夏になると渇水し、歩いて渡れる川となる。
水温が30度を越えることもあり、
とても鮭がのぼる川とはいえないそうだ。
JRの不正取水のおかげで、
今年はその水量が増し、鮭や鮎がのぼる数が3倍に増えたと言う。
まさに自然は、環境に素直に順応するものなのだ。
それでは、信濃まで鮭はのぼれるかというと、
数多いダムのために、
鮭がのぼることは不可能であるとも言われている。
魚道はあっても、鮭の生態に合わず、
人間の思惑通りには、鮭はのぼってはくれないそうだ。
大助・小助は、戸隠の神社に御参り行くという伝説もある。
昔は、信濃でも大きな鮭が採れたのだ。
しかし、現在は鮭の調査すらやめてしまったそうである。
稚魚は、何万引きと放流している。
帰って来る率は、0.1%から0.05%であるらしい。
千匹に1匹。
しかし、それは鮭がのぼりやすい川があればの話なのだ。
現在は、鮭は沖合いで捉えられ、食用とされ、
河口付近で捉えられ、稚魚の孵化のためだけに使われ、捨てられている。
ぜひぜひ再び、人が自然と共生する縄文人の文化に学び、
信濃川と阿賀野川を、
鮭たちがふっとつのぼる川にしてほしい。
そんな願いがこの「王瀬の長者」の真のテーマなのである。
阿賀野川をのぼってきた鮭を食べた。
それは、鮭の命に感謝して、「いただく」ことである。
ダムを作った長者は祟りで没落した。
そして、いかに人は川の環境を破壊しているかを学んだ。
そこに共通する生き方は、
自然と共にいかに人は生きて行くかなのである。
自然を破壊した後、人も絶滅するだろう。
それは、ブラックバスと同じなのだ。
私は、鮭がのぼる川を守り育てられる文化をもつ人たちだけが、
生き続けられる人たちなのだと思っている。
あの沼垂の人たちが、4回も洪水で町ごと移転しながらも、
生き延びて現在の沼垂があるように。
「縄文に学べ」「自然に学べ」「鮭に学べ」
そんな学びが参加された人たちの心にちっょとでも残れば幸いである。-
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