サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマさんさん
2009/12/20 11:13:08
icon
古町の再生を
今朝の新潟日報の一面を見て驚いた。
「北光社撤退」まさか。自分の目を疑った。
しかし、それが現実だった。
また古町から懐かしさたっぷりの老舗の名店が消えて行く。
その横には、「大和」撤退の分析記事である。
構造的に新たな設備投資ができなかったと書かれていた。
朝食の時母にこのことを教えると、
とても寂しそうな返事だった。
母にとっては「大和」はお歳暮のステータスだった。
我が家には大和の包装紙と紙袋がいつもあった。
それに北光社の包装紙で包まれた文庫本もたくさんあった。
青緑の上にエジプト文字と漢詩と万葉仮名とヘブライ語でもあるのだろうか。
文字が伝えた文明・文化。
それを守り通そうという気概がこの包装紙から伝わってくる。
子どもの頃から、「新潟」の町の文化のシンボル、
つまり、大人たちの世界の象徴がこの北光社だった。
どれだけ心ときめかせて、この書店で本を買ったことだろう。
時には、待ち合わせに使わせてもらったり、
時間待ちの間に、雑誌を立ち読みさせてもらった。
そういえば、中学・高校時代勉強もしないのに参考書を買ったのもこの書店だった。
階段を上がると、赤本がずらりと並んでいたものだった。
「新潟」に行くと、大和の食堂だった。
それからデパートを歩き、あれやこれやと目の保養をした。
日野屋には高級な玩具がたくさん並べられてあり、
外国の珍しい玩具もあった。
憧れ。ため息。希望。夢。
どでかい箱に入った「戦艦大和」や「戦車」の模型は、
いつか大人になったら買える物だと信じていた。
あの当時、みんな貧しかった。
六畳と四畳半。台所は小雪が吹き込み。
同じ屋根の下に二家族が住んでいた。
トイレと玄関は協同で、
我が家との同居人は電気屋さんだった。
風呂はなし。寒い冬でもばあちゃんの家にもらい湯だった。
日が差さない、暗くじめじめした裏の庭を見ながら、
「ねぇ、ねぇ、新潟連れてって」とせがんだものだった。
そして、よそ行きの少しはましな服を着せてもらい、
新潟へのお出かけは、母と私と妹の三人だった。
父は、いつも競馬場にでかけて不在であった。
古町は、人・人・ひとでごったがえしていた。
食堂だって席を取るのが戦争のようだった。
食べ終わりそうな家族の後ろで立って待っていたものだ。
そういえば、昔、本とはとても高いものだと記憶している。
誕生日に本を買ってもらい、
とてつもなく興奮したことを覚えている。
古町にはそんな思い出がびっしりと詰まっている。
しかし、それは40代からの人なのだ。
我妻は、かろうじてその世代の人だった。
万代シティーができ、萬代橋を渡らなくなってから、
私の「新潟」は消えてしまった。
飲む場所も「駅前」となってしまったからだ。
さて、古町には古町として生きる独自な道があるはずだ。
新潟市の中心地を砂漠にしてどうする気なのだと私は思う。
「古町再生」それは、40代・50代・60代・70代をターゲットにした、
ヨーロッパのような成熟した文化と人生の楽しみを見出せる、
歴史と伝統と名店の残るワンダーランドとすることなのだ。
ノスタルジックに古町を回顧できるこの世代を、
どうやって古町に呼び戻すか。
新潟市と商店街の人たちの手腕が問われていると思う。
Kさん、私も微力ながら力になれたらと思っています。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件