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from: クマさんさん
2010/03/14 06:46:22
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ドラマを求める
劇的なものとは何かと考える。
何故人は、ドラマを観るのか。
何故人は、感動を求めるのか。
そこで出会い、感動し、涙を流す。
そこに本来人が求める魂のカタルシスがあるからなのか。
それならば、そこにはある黄金比率が存在するのではないだろうか。
観る人の心を魅了し、共感させ、興奮させ、
最後にはドッと押し寄せる歓喜に陶酔させる。
そんなドラマの法則があれば、教えてもらいたいものだ。
最近、舞台を観る機会があった。
すぐそこ、目の前で起きている出来事。
人は、語り、叫び、踊り、泣き、囁き、騙し、脅し、共感する。
そんな一人一人の個性がぶつかり、
ドラマは進行していく。
Noizumuの世界をスタジオで観た。
私は井関さんの大ファンでもある。
すぐそこ、呼吸が聴こえ、体のきしみや音が聴こえ、汗の感じられる距離。
その距離で渾身の物語が展開される。
パフォーマンスは感情の爆発でもある。
そんな男と女の世界を見つめる。
ドキドキとした感動。
私は、何故ドラマを観に行くのであろうか。
観終わり、リュウトピアを後にして、本町を歩いて帰る。
バス停にまで歩きながら、
またまた劇場に来てしまった自分を想う。
どうして、何を求めに、こうしてドラマに会いにいくのだろうかと。
実は、私の中に作らねばならないドラマの素材は与えられているのだ。
それは、この新潟の「水と土」とに根差した物語である。
しかし、何をどのように組み立て、構成したらよいのか見えてこないのだ。
そのドラマは、今はこの世のどこにも存在しないのだ。
また、形になり、役者さんたちによって命を吹き込まれるかもしれないとだけ言えるものだ。
ドラマは、生むものではなく、生まれるものなのかもしれない。
長い長い沈黙と混沌の中から、胎動が生まれ、
これだと思った瞬間に、この世に誕生するものかもしれない。
そして、創作のプロセスの中でも、
絶えず何かの光に向かって、「そうじゃない」「こうしよう」と、
創りかえられるものなのだ。
在るものではなく、創りかえるもの。
そのプロセスが、ドラマの楽しさなのだ。
劇的なものを求めつつ、平凡に生きる自分。
さてさて、どうしたらこの素材たちがこの世にドラマとして誕生してくれるのか。
私自身もその日が来るのをまっているのだ。
そのために、「ドラマを求めて」演劇行脚をしているようだ。-
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