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from: クマさんさん
2010/04/29 09:05:00
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「これだ」をつかむために
4月からの疲れが一気に溜まったようだ。
よく考えたら、連休を前によく体調を壊していたものだ。
何で休みなのに・・・と恨めしく思うが、
体のSOSには休養が一番と、体の方からのブレーキだったのであろう。
突っ走り過ぎる男には、そうした自然のブレーキが必要なのだ。
風邪は昨夜がピークだったらしい。
今は、喉の痛みと鼻がグスグスと詰まっている。
節々の痛みがないだけましかと慰めている。
昨夜の宵宮では、私は一番太鼓であった。
それもそれもである。
これまで10年間は太鼓の押し手としての役割だったが、
昨夜はとうとう叩き手一本で歩くことが出来たのだ。
人がいなかったおかげさまであるが、
我が太鼓の師匠の新品の撥さばきとリズムを体で感じながら、
自分なりに工夫して、叩き続けることができた。
子どもたちのおかげで、私は末広連合に参加できた。
長男も次男も太鼓を叩いたおかげで、
私はいつも一番太鼓の押し手を任せてもらえた。
そして、いつも一番太鼓の音を体で感じていたのである。
その内に、子どもたちに教える役目もいただき、
段ボールを叩きながら低学年の子どもたちに叩き方を教えた。
耳だけは鍛えているので、いい音の響きはよく聴き分けられた。
だから、太鼓を叩く子どもたちの叩き方を批評出来た。
しかし、実は私が一番へたくそだったのである。
そんな私が、最初から最後まで一番を叩き続けた。
それはみんな私に叩き方のこつを伝授してくれたOさんとAさんのおかげさまなのだ。
昨夜の宮昇りでは、山の下神社の鳥居の下で木遣りに合わせて叩くことが出来た。
人混みの中を叩きながら神社の境内に向かうこともできた。
かって、私の夢だったことがそこで実現していたのである。
苦節10年である。
あれだけ叩いたのに、豆一つ作らなかった。
いつもならばテーピングが必要な両手は皮すら剥けていない。
小指だった。握る強さだった。叩く角度だった。
そして、何よりもゆったりとリズムに乗ることだった。
延々と叩きながら、私はそれまでの謎が解けいく気がした。
「これでよかったんだ」10年かかった。
何事も続けることだと、改めて思った。
風が吹いてきた。空が曇って来た。
11時からまた宮昇りである。
「これだ」というものをつかむために、
風邪の体を押して、それでも私は太鼓を叩きに行く。
馬鹿には、やっぱりブレーキがないのかもしれない。
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