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from: クマさんさん
2010/06/22 05:48:20
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孤独ということ
たった今、スペイン対ホンジュラスの試合が終わった。
2対0でスペインの勝利だ。
曇り空の夏至の翌日。
やっぱり4時前には起きてしまった。
慢性的な疲労が続いている。
これはワールドカップ疲れなのだろうか。
それとも、単なる飲み過ぎなのか。
昨夜はポルトガル対北朝鮮の試合だった。
やっぱり家族4人での観戦となった。
ある時間帯から集中力が途切れたのか、
ポルトガルの怒涛の攻撃だった。
悲しくなるぐらい、北朝鮮が辛く感じた。
それでも最後まで戦わねばならないのである。
昨日、母たちが東京から帰って来た。
平均年齢80歳近くの5名の叔母たちだ。
東京の叔母の見舞いに出かけたのだ。
その叔母は、特別老人ホームに居た。
息子は3人いるのだが、誰も彼女の見舞いには行っていない。
金があるから、高級なホームに叔母は居る。
ただ、寂しくて、孤独で、体と心が弱り、
「死にたい」と口癖のように言っているとのことだ。
帰って来た母が悲しそうに言った。
「長くないね・・・」
次男は叔母たちが守って来た八百屋を継いだ。
しかし、そばに暮らしながらも、叔母の見舞いには行かなかった。
店があるから。忙しいから。
新潟からこんなに年寄りが見舞いに行くのに、
顔すら出さなかったそうだ。
孤独。
この言葉には二つの意味があるそうだ。
「弧立」それはたった一人ぼっちの寂しさである。
助けも、支援も、励ましもない。見捨てられた状況が孤立である。
もうひとつは「独立」である。
独り立つ強さと逞しさとが感じられる。
しかし、独り立つためには、多くの愛情と支えとが求められるのだ。
人生の終盤に差し掛かり、そのことを自覚して日々生きている叔母である。
病院のベットの上で感ずる孤独は、
「弧立」なのか、「独立」なのか。
「独り往く」そんなすがすがしい逞しさを私は若い頃の叔母から感じた。
その叔母が今は、「死にたい」と言っては涙を流している。
悲しいことだ。それが人生というものなのだろうか。
愛する家族が居ても、孤独なのだ。
私はいったいどんな最期を迎えるのだろうか。
よき家族とは、よきチームかもしれない。
お互いが気持を理解し合い、それぞれの役割を誠実に果たす。
弱い部分は互いにカバーし合い、ボールを心で回す。
目には見えないが互いに固い絆で結ばれている。
スペインのように得点することもあるだろうし、
北朝鮮のように辛く、切ない時期もあるだろう。
だが、よきチームの独り独りは、決して孤立せず、
独立に我が道を往きながらも、独り独りが心でつながっているのだある。
叔母の孤独を癒すことはできないのだろうか。
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