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from: クマさんさん
2010/07/21 05:48:55
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猛暑の中で「いかに生きるか」
猛暑が続いている。
全く寝苦しくて何度も暑さで目が覚めた。
梅雨が開けたとたんに、夏本番である。
何とかしてよと思いつつも、この異常気象に地球の温暖化を感じる。
父と母は、こんな猛暑の中でもエアコンをつけなかった。
涼しすぎて嫌いなのだそうだ。
年をとると体温調整がうまくできなくなってしまう。
知らず知らずのうちに体から水分を失われて、熱中症になることが多いとのこと。
母は、体調が悪く医者に行ったら、内視鏡の検査を勧められて来た。
父は、全く動かず、座ったまま、俯いたままの一日だ。
父と母とは、私に老いるとはどういうことかを、
身をもって教えてくれている。
何ともならぬことなのだ。
そして、一日一日と弱って行くことなのだ。
待っているわけでもないが、淡々とその日その日が過ぎて行くことなのだ。
希望だとか夢だとかというものではなく、
諦念とでもいうのだろうか。
黙って老いと向かい合い、見つめているのである。
健康でここまで生きられたことに感謝しつつも、
自分の人生にも人としての終わりが来ることを感じて生きている。
信仰があれば、祈りがあり、心の対話が生まれようが、
父と母とは支え合い、励まし合って生きていながら、
自分の老いと向かい合う時は、孤独なのである。
この絶対の孤独は、癒されないのだ。
「オラ、オラ、ヒトリデユクモ」
「アメユズ、トテキテ、ケンジャ」
そんな悲しい別れの朝は、どこの家でもいつか来るのだ。
死を思え。いのちの終わりを思え。
そのことで絶対的な客観である大自然と一つになれる。
やっぱり、この無常を感ずることで、
人は人と自分自身に初めて優しくなることができるのではないだろうか。
変わるものに執着し、おろおろと生きるよりも、
この無常であり、流転の世の中にあって、
変わらぬものに身を委ね、その道を自分の道として迷いつつも生きる。
そんな生き方を、これらの残りの人生では生きてみたい。
父と母とを見るにつけて、53歳になろうとする木偶の坊の私は、
そんなことを考える。
地球の温暖化は、このまま進むことだろう。
海水の温度は、この百年間で気温に換算すると40度余り上昇しているそうだ。
猛暑は、容赦なく今日も日本列島を襲うはずだ。
人は、老いる。そして、生物として弱る。
最期は必ず存在するのだ。
これもまた、人知の及ぶところではない。
「自然」と「あるがまま」に全てのことは進んでいる。
さて、その最中に人は何を想い、何を為すか。
自然は、人にそのことを問うている。
いかに生きるかという「哲学」は、
ご飯を食べ、呼吸を行い、心臓が勝手に動いているように、
当たり前のように人は、それぞれで考えねばならないことなのだと私は思う。
父と母との後を追い、老いのプロセスをたどりながら、
猛暑の中でそのことを改めて考えた。
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