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from: クマさんさん
2010/10/12 06:03:46
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老いを見つめる
怒涛のような二日間を経て、昨日はまったくの脱力状態だった。
太ももの前部の筋肉の痛みがある。それは私のフォームに無理がある表れなのか。
テレビ番組で「新潟シティマラソン」を特集していた。
昔私がお世話になっていた方がご夫婦で出演されていた。
「へーっ、そうだったのか。」人それぞれに物語ありである。
77歳が参加者の最高齢者だった。笑顔での完走だった。
フルマラソンを当たり前に走る。
ただし、5時間とは、1キロ7分ペースでの5時間である。
市民ランナーにとってのハードルの高さは変わらないのだ。
月間200キロならば、そのための体が出来るだろう。
つまり、目標が高いと言うことは、練習の密度も濃くなるということだ。
それにしても、あれだけの声援を受けて走ることの快感は忘れられない。
来年のエントリーは、走るより激戦であると予想する。
1年間賭けて、挑戦する意味はあると、思っている。
この私がフルマラソンを目指す人になるとは、
人生は、やっぱり出逢いだなぁとつくづく思った。
父がめっきりと弱くなった。
昨日、母の見舞いに行こうと言っても、「具合が悪いて。」と文句を言っていた。
やっと背広に着替えて、ズボンをはいた。その支度に手間がかかる。
歩き方は、ゆっくりゆっくり、倒れるのではないかと心配になる。
母はベッドに起きて、叔母と話していた。
すっかりと元気になった母だった。
その前に座った父の顔色が悪く、疲れ切った様子に母がとても心配していた。
「岡田さんに診てもらったほうがいいよ。」
医者からもらった脳梗塞の薬は、父は飲まないことにしているらしい。
へんな所に頑固なのだ。
病人が病人を心配している。二人合わせて166歳かな。
そこに叔母の年を足すと253歳になる。
私が入れば306歳。
まさに高齢化社会ここにありだ。
母が退院してきたら、父が母の世話をしなければならない。
とにかく気を使う母だから、何でも自分でやりたがるだろう。
父は、母が来ればまた甘えて何もしなくなる。
老いた二人にとっては、日常の生活一つ一つが大変な努力を要するものとなる。
老老介護の悲惨さは、ここにあった。
私の目標は、フルマラソンというとてつもない目標となった。
しかし、父と母にとっては、日々生きることが私にとってのフルマラソンのようなものなのだ。
思いを強く持ち、チャレンジしなければ、父も母も生きていけない状況となっている。
老いを見つめる。老いを受け入れる。老いの中で生き続ける。
私も家族としてそれを一緒に見つめ続ける。
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