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from: クマさんさん
2010/11/20 07:26:58
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今夜Jazzこんさーと
この掲示板を書けない朝は、たいてい二日酔いの朝だ。
平日の飲み会はできるだけキャンセルしている私だが、
飲まねばならない時もある。
木曜日の夜は、本日のコンサートの出演者のデェビットさんをなじら家に迎えた。
古町へ車で迎えに行き、6時になじら家に到着だった。
ソプラノサックスと、フルートを鳴らした。
いい響きだ。この至近距離での演奏会では、
きっと聴く人の心に響く音となるだろう。
それから下でインタビューをしながら飲み始めた。
彼は28歳。メキシコ国。新潟市に住んで3年たっている。
20歳の時からJAZZを始め、
今では自分のバンドで新潟ジャズストリートに参加している。
趣味でありながらも、音楽の腕前はその次元を遥かに越えている。
そんな話を二合徳利を傾けながら聴いていた。
すると、とにかくハイピッチでこの徳利が空になっていくのだった。
彼は、今日本に絶滅危惧種となってしまった素直で、温かな心の好青年そのものだった。
「ロンドンに居るお父さんのことを尊敬しています。」
いろいろな話をしながら、相手を受け入れ、その価値を認め、
自分の考えや意見をきちにと表明していた。
いつしかtakiさんもカウンターに居て飲んでいた。
すると、突然劇団のOさんが登場した。
それからが大変だった。
とにかく徳利のピッチは上がったままだった。
一升近く飲んだのではないだろうか。
デビッドは、大柄な体で、全然酒が回っていないようなのだ。
ほんのちょっと打ち合わせのつもりが、久しぶりの本格的な飲み会となった。
その頃、既に私の理性と言う心のブレーキは効かなくなっていた。
デェビットが帰った後、Oさんが残り、徳利をジャンジャン注文した。
彼の結婚話や、若い時の組合設立の話など、
人に物語あり。確かに面白く、私は腹を抱えて笑っていた。
そして、フト思った。ここはかっての「山小屋」みたいらなぁと。
なじら家のカウンターで、若きジャズメンと飲み、親父仲間と飲み、人生の先輩と飲んでいる。
一時の巡りあいでも、お互い本音で語り合っている。
「対話」が生まれ、「物語」が語られる。
それが、沼垂四つ角にあった「山小屋」のカウンターだった。
看板まで二人で飲み、帰りはマスターのCさんと一緒に帰った。
夜道をとぼとぼと歩きながら、お互いに夢を語った。
「なじら家は、夢が叶う居酒屋である。」
翌朝、私は全く使い物にならぬぼろぼろ状態だった。
それでも行かねばならぬ。バスにした。
バスが揺れるたびに、気分が悪くなってしまった。
Oさんは、生きているだろうか。
その後の消息を私は聞かない。
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