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from: クマさんさん
2010/12/15 05:17:10
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誰かが誰かのために
昨日は、仕事のに追われ、時間を見つけてはパソコンに向かっていた。
それでも終わらないので、こんなに朝早く起きてパソコンに向かっている。
不思議なもので、いつの頃か仕事と言えばこうしてパソコンに向かって文章を打つことになった。
朝、右肩が痛みでよく上がらない。
今も打ちながら少々の痛みに耐えている。
困ったものだと、自分を慰めつつ、やらねばならないことに追いこんで行く。
さて、日曜日に町内会の集まりがあった。
餅つき大会は無くなり、お楽しみ会という会に変わっていた。
私が行くと、既に激しい言い合いが始まっていた。
Sさんという60代の女性が、とにかく文句ばかり言っていた。
「町内は、金ばっかり使っている。」
「何で折詰弁当でねぇんだ。」
何とか、かんとかケチをつけて、役員のIさんにからんで来るのだ。
まだ会が始まる前だと言うのに、
この会を開催してくれた役員への感謝もなかった。
70代の役員の人たちは、ここで喧嘩をしても気分が壊れると、
相手にしなかった。
それだけ好き勝手を言って、みんなの気分をぶち壊しにした本人は、
それでも平気な顔で会に参加し、せっせとオードブルを食べ、折詰に入れて帰って行った。
人は、こうして哀れな老人として年を取ることもあるのだった。
「教養とは、思いやりのこと」
「山谷家の教育目標は、よき市民、よき隣人」by山谷えり子
彼女が去った後、役員の人たちとしばらくの時間飲んだ。
それは、この自治会の将来のことだった。
みな70代の後期高齢者になっていた。
いつの間にか、月日は流れ、みんな老いを感ずる年代となっていた。
私の父と母とは、いつでもこうした会には参加していたが、
とうとう参加できなくなってしまった。
みんなは自治会の役員に疲れていたように感じた。
Iさん、Kさん、Tさんが動いてくれているから、今の自治会は成り立っているのだ。
私は10年以上前に補導部の部長となった。
それを6年間続け、ハイキングと餅つき大会を開催し、
自治会のみんなに呼び掛けて実行して来た。
その時、役員のみんなは今より10歳若かったということだ。
それは、私も同じである。
53歳。よくまぁ生きているものだと感心している。
そんなお年寄りたちが集まって会を開き、
心ない老人に罵詈雑言を浴びせられる。
しかし、本気で次の世代のことを考えなければ、
この自治会の活動は、途絶え、ただ形式だけの活動のみ残されると想う。
私は、自治会は大切な存在だと想っている。
「遠くの親戚より、近くの他人」である。
ここを終の棲みかとするならば、この地を自分の居場所とすべきなのだ。
人とひととがつながり、心地よい関係の中で生活を送れる小さな社会。
それが自治会ではないだろうか。
次の世代の出番が来ているのだ。
山谷えり子さんの言葉のような生き方を、
それぞれがそれぞれの場所で行うことが、
一人一人の幸福論につながることなのだと、改めて思わされた。
誰かのための活動を、誰かがやっぱりやらねばならないのだ。
たとえ私の右肩のように痛みがあろうとも・・・・・である。
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