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from: クマさんさん
2010/12/17 05:57:51
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ひょうひょうと
「断捨離」をNHKの番組でやっていた。
これは、単に物を捨てるのではなく、生き方なのだと言っていた。
番組では、大量に物を買ってしまい、
片付けられなくなった主婦の話が語られた。
床に積み重ねられた物の山。
それを整理し、捨てることを、主婦はずっと躊躇し、拒んで来た。
「捨てられない」のだ。
そこに散らかってあると心が落ち着くのだ。
「捨てる」ことで何かを「失くす」恐怖感もあるようだ。
そのうちにどんどん物が溜まり、身動きができなくなってしまう。
亡くなった両親の遺品を整理する主婦の話もあった。
どれを出しても大切な思い出の品だった。
特に命名の時に書かれた紙や、母子手帳が発見された時は、
感慨深そうにそれを見つめていた。
ただの物ではなく、存在に価値がある物でも、
やはり手離し、捨て去ることが大切なのだそうである。
彼女は父親が大切にしていた硯箱に収まる量だけの思い出の品を残した。
あとは「捨てる」のである。
「断」それは迷うなということだ。やり切るということだ。
そうした強い意志が、人が生きる上には求められる局面がある。
「捨」それは決断である。自分の執着を断ち、新たな生き方を選択するためには、
どうしても通らなければならない道なのだ。
「捨」の進行形は、「無」である。
「無」は、仏教の根本の教えなのである。
「離」それは、一切の執着から離れることである。
自分の迷いや苦しみを生み出している習慣や物から離れたら、
離れたまま生きればいいのだ。
実は、ここに「自由」な生き方のヒントが潜んでいるのだ。
「あれもこれも」ではなく、「これだけ」にする。
そうと決めたら「さっさと実行」する。
その時、すっきりとした気分になり、
長年自分の心に重荷であったものとは一体何だったのだろうと感ずる。
その「リフレッシュ感」が大切なのだ。
次は、そこへは戻らないことである。
執着しない生き方。
今、私の日々はそんな生き方で流れている気がする。
欲を出さない生き方。
それはそれでとても楽な生き方なのだ。
「いい加減でいいて。何とかなるて。」
そんなこだわりのなさで、心穏やかに毎日平平凡凡と暮らしている。
実は、この「断捨離」とは、仏教の「執破離」から来ているようなのだ。
この漢字間違っているかもしれないが、「しゅはり」という生き方なのである。
「捨ててこそ」と、一遍上人も言っていた。
ベストセラーな生き方の原点は、仏教にあることをみんなは知っているだろうか。
私は、今日も「ひょうひょう」と生きたいものだと願っている。
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