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from: クマさんさん
2010/12/22 06:01:46
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愚かな親父がいいかも
親の言うことを聞く子は、いい子なのか。
それは、ただ親にとってのいい子なだけではないのか。
本人は、親の重圧と命令と期待とに、苦しんでいるのではないだろうか。
私は、親に対しては反抗と言うよりか、
親の心配をよそに、誠に自分勝手な生き方をして来た。
「いい加減」そのものだった。
高校受験では、教師に反発を感じて、教師の言うことを聞かず、
我のことは我のみぞ知るとばかりに受験して、不合格となった。
教師と言う権威が嫌いで、教師の言うことの反対をしていたような気がする。
しかし、そんな私を競馬に夢中な父は、放っておてくれた。
本人が時々給料をもって行方不明になったからだ。
高校時代は、どうだったか。
とにかく勉強をしなかったし、勉強が分からなかった。
真面目に勉強している同級生を馬鹿にして、
授業中に逃げ出したり、屋上でたばこを吸って見つかったりした。
授業をさぼって海に行き、そこで警察に補導されたこともある。
日本海汽船のあのカーフェリーでバイトして、
北海道の網走と京都でも、ヒッチハイクで仲間と旅行した。
「ここではない、山の彼方」を心から求めていたが、
本人、何も分からず、何も出来ない、人生の落ちこぼれでもあった。
もし、あの当時の私が、今の私の息子だったら、
同じことをして、何だかんだといい加減に突っ走っている息子を、
私は親父として許しただろうか。
当時、私の親父は同じように毎晩飲んだくれて、
暮れになるとサラ金の借金を抱えて、苦悶の表情だった。
しかし、父がそんな「不良」の道を歩いてくれていたおかげで、
私は、父からの重圧と命令と期待とを感ずることなく、
本当に堕落した生活の日々を、過ごすことができたようだ。
夢中で読んだ本が、太宰であり、安吾だった。
特に安吾の「石のおもい」が、私の孤独な魂の癒しの書だった。
ただ只管、東京へ行きたい。
そこで、映画漬けの日々を送って、映画の脚本家になりたい。
「東京に行けば、何かが叶う。」そんな田舎小僧が私だった。
そんな夢のような夢の話を、何も言わずに許してくれた。
とにかく貧乏だったかもしれないが、
私の東京行きや、受験については、何も言わずにお金を出してくれた。
学校時代は、そんな生き方のために、いい思い出はない。
人間関係づくりもあまりうまくなかったので、
暗くて、大人しい男が私だったかもしれない。
水曜の夜中は、野澤那智のパックインミュージックを聴き、
デビューしたての桃井かおりや、原田芳雄に憧れていた。
秋吉久美子もこの頃の私のアイドルであった。
何でこんなに馬鹿だった青春残酷物語を書いているかというと、
こう思うと、何だか長男も次男も「偉く思える」気がするからだ。
彼らから見たら、今の私は、かっての父が私にそうであったように、
「反面教師」として存在しているらしいのだ。
「親父は、どうにもならないなぁ。」という諦めを彼らはもっていてくれる。
また、私も口煩い親父かもしれないが、
こうして自分のことを振り返ると、何も言えないはずの親父なのである。
「お前たち、偉いなぁ。」駄目だった親父は、息子たちを見てそう思う。
これ以上、何を重圧にし、命令し、期待すればいいのであろうか。
己を知ることで、息子とのつきあいのスタンスが分かる気がした。
「愚かな親父は、実は愚かだった私の一番の理解者だったのかもしれない。」
ある意味、あの飲んだくれ親父の偉さが、
53歳になった息子がやっと分かった気がする。
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