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from: クマさんさん
2011/03/06 07:06:24
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この朝
今朝、早くからテレビを観ていた。
ドキュメンタリーだった。
耐震偽装の被害にあい、ホテルを再建している社長の話だった。
県を訴え裁判を起こしたが、高裁で県には責任なしという判決を受けた。
その敗訴に、再建と裁判とに疲れた果てた社長が、黙って無念の涙を流した。
従業員は、会社を独りで立ち直らせようと奔走する社長の姿に、
「ありがたいです。」「社長のためにできるだけ頑張ります。」と涙していた。
次に、NHK教育の仏教番組を観た。
ある短歌を創る坊さんのインタビューだった。
安保闘争と学生運動に明け暮れた日々から、
敗北感と空虚感とを抱えて、山奥の荒れ寺の住職として赴任した。
26歳の青二才の坊主を、村総出で待ち受け、歓待してくれた。
障子を張り替え、掃除をして、沢蟹や自然薯を持って来てくれる。
その夜は大宴会で、翌日は一升瓶が30本も空になって土間にころがっていたそうだ。
彼は、この荒れ果てた寺を再建して、終の居場所としようと、
家々を回り再建のための浄財を呼び掛けた。
たった28件の檀家たちが、心と想いと力を合わせて立派な伽藍を再建した。
すると、この坊さん、突然心虚しくなり、東京に帰ることを決意した。
村人たちは、確かに裏切られたような切ない想いだったと想像できる。
しかし、村人は、貧しい生活の中で餞別を用意し、
一人一人がこの寺を訪ね、坊さんにそれを渡したのだそうだ。
その時、彼は頭を下げながら、滂沱の涙が止まらなかったそうだ。
熱い涙が次から次と出て来ては、畳を濡らした。
そんな涙も人生にはある。
テレビ寺子屋では、宮川花子さんが、結婚人生を語っていた。
自身が癌という大病を患い、奇跡的に助かった経験をもっている。
そんな病気のどん底で絶望している時、
人間とは、「愛が怨みに変わり。」「夢が悪夢に変わり」「信や幸が不信と不幸に変わる」と言っていた。
つまり、人の心と体のありようで、両極であるような心境へあっという間に変わってしまう。
人の心こそ、無常なのだ。
しかし、夫である大助さんが脳梗塞で倒れ、奇跡的に生還した時、
この全ての心がまた一変してしまうのだった。
「生きていてくれてありがとう。」
こうして毎日生きていることだけで「よかったんだ。」と思えるようになると、
また、「愛と夢と信と幸」とが復活したのだそうだ。
きっとここに至るまでにどれだけの涙を流したことだろうか。
さて、ここまで来て、はっと気づいたことがある。
涙とは、人間の原点に戻るために仏様が与えてくださった尊いものではないだろうか、というこだった。
涙という字を改めてみると、
サンズイに戻ると書くではないか。
それでは、その戻るところとは何処なのか。
それは鮭たちが故郷の河に帰るように、
私たち人間が生まれ育った魂の故郷なのではないだろうか。
「人は、涙を流して人になる。」
「人は、涙を流して人に帰る。」
53年間人として生きて来て、やっとその「涙」の意味を悟った気がした。
すると、窓から観える明け方の空に、キラキラと瞬く金星が見えた。
どきっとした。
宇宙の遥か彼方から、私をじっと見つめていてくれているのだ。
「金星は、私を観ている。」
次に目を上げた時、その瞬く光が小さくなって来た。
それは、夜明けが近くなり、空が明るくなったからだ。
そして、次の瞬間、金星の瞬きは、空から消えた。
しかし、金星は消えてはいないのだ。
私を今日と言う一日に委ね、それでも彼方の宇宙から私のことを見守っていてくれる。
「空には、いつも金星は存在するのである。」
私は、たった今、そのことに気づき、滂沱の涙となってしまった。
そうなのだ。
「星の光は消えることなく、永遠に私のことを見つめ、見守っていてくれるのだ。」
それも、果てしなく永遠に、無数の無量の星たちが・・・。
そして、涙しているのは、人を見守るその星たち(仏様)なのではないだろうか。
「私たちは、永遠に守られている。」
「私たちのために、涙を流してくださっている。」
それを信じよう。
暁の まだ来ぬ光 ただ中に 吾とむかえり 明けの明星
暁と 共に姿が 消えていく 吾をゆだねる 明けの明星
暁の 去りて夜が明け はじまりぬ 一日の吾 明けの明星
これも「王瀬の長者」の良念の台詞にあった。
やっと私は、その台詞の真価をつかんだ気がする。
まさに「王瀬の長者」の劇で伝えたいことは、
この目には観えぬが、天空の彼方には満点の星たちが今も瞬き、
私たち人間の儚い人生と苦難の運命に「涙」していてくれているということだったのだ。
この劇、やっぱり生まれてよかった。
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