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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2011/03/23 06:12:13

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    ダメージからの回復を

    演劇の上演が終わってから10日たった。
    一度燃え尽きた体は、なかなか復活しなかった。
    アルコールによる消毒のせいもあるが、
    ガンマーの値が高くなり、とにかく体がだるく、走る気力も失せている。
    昨日は、起きることも難儀で、体が自分の体ではないようだった。

    この掲示板が書かれない日は、私が精神的にも肉体的にもダメージを受けた日だ。
    今月に入り、この劇の公演がらみで、とにかく疲弊していた。
    人間は、やっぱり生モノなのだ。
    もっともっとこの中年の体を慈愛すべきだとつくづく想った。

    連日の原発と大地震での被災地の復興の様子が報道される。
    あるものを分け合う。
    お互いにできる力を出し合う。
    弱い人たちを守り合う。
    お互いさま。お陰さまで助け合う。
    そんな人の人らしい温かな姿がこの被災した人たちの中に見られた。

    ある山の集落では、倉庫に何世帯も一緒に共同で住んでいた。
    食料はお互いにある物を持ち寄り、
    生活必需品もお互いに供出して共同の物資として使っている。
    水は山の水を汲み、燃料は薪を使う。
    自然豊かな環境で暮らしている人たちにとって、
    その自然こそ自分たちのライフラインだった。
    お風呂と洗濯も生活に欠かせないものだった。
    それはある道具を工夫して、作っていた。
    人間の知恵とは、こうした環境の中で生まれるものだった。

    「一人じゃないから、励まされる。」
    ある年取った男性被災者の言葉だった。
    一人じゃないことのありがたさは、
    病気な人、老いた人、家族のいない人には、最も感じられるありがたさだろう。
    その人と人とがこうした危機的な状況の中で自然につながっていくのだった。

    あるコンビニの店長が、駐車場を被災者に解放し、
    店の商品を提供し、小さなコミュニティーを作っている例が報道された。
    「この人たちのためにできることはしたい。」
    その店長の意気により、ここでは温かな炊き出しが毎日行われた。
    見ず知らずだった人同士が、声を掛け合い、助け合っている。
    ここでは、女性たちが料理を作り、男たちが火を焚いて、子供たちが手伝っていた。
    小さな共同生活の中に、とてもとても人間らしい温かさが感じられた。

    今回の原発で、私は「想定」と「絶対」という嘘・偽りが明らかになったと思う。
    「想定」とは、科学者が勝手に作った「想像」なのだ。
    「絶対」とは、それは科学者の傲慢と「希望的な想像」なのだ。
    そして、その「想像」や「希望」を遥かに超えているのが、
    この大自然なのだという、謙虚な想いが現代の社会には求められていることも知った。

    もう一つは、チェルノブイリとスリーマイルがあったのに、
    この福島で20年以上稼働している恐ろしい原子炉が存在していたということだ。
    リスクを想像するよりも、利益を優先する。
    それは、企業としては当たり前のことなのだろう。
    絶対の危機が来ても、廃炉を恐れて海水を注入する命令が出せなかった。
    企業とは、何を優先的に選択するか、この事態を見てもよく分かる。

    昨日、やっとこの企業の関係者が、
    避難所に謝罪に行ったのだという。
    故郷を追われ、学校を追われ、仕事を失くし、
    農業や酪農がが出来ない状況になった。
    いつこの放射線が無くなるのか全く見通しが立たない悲惨な状況になった。
    その被害は周辺の県にも及び、農作物が出荷停止となり、
    各地で買い取り拒否がせ起きている。

    本当は、原発を持っている県や市町村の長は、
    この大いなる失敗と被害から学び、
    県や市町村の住民の生命と健康と安全と財産とを守るために、
    即刻原発の停止を命じて、せめては安全基準を見直し、
    徹底的な追究を行うべきではないだろうか。

    福島の次に、新潟となるだろう。
    「想定」と「絶対」が存在しないことが証明された現在、
    新潟の危険性は、当然「想定」されることで、「絶対」に存在しないわけではないのだ。
    目先の利益だけで、住民の生活を危険に晒すことは、憲法違反ではないだろうか。

    まず、命と生活とを守れる行政でありたいものりだ。
    私は、原発のない新潟県であって欲しいと心から祈り、願っている。

    一度受けてダメージは、なかなか回復できないものだ。
    本日も私の体はぼろぼろだ。

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