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from: クマさんさん
2011/03/25 06:28:08
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絆がドラマを生む
いまどんどん雪が降っている。
もう春が近いと言うのに、これが新潟の気候なんだ。
東北地方の天気はどうなのだろう。
未だに原発は放射能を出し続けているのだろうか。
作業員3名の方の被曝が報じられた。
水道水の放射能汚染もある。
これは日本の話だとは想われないニュースばかりだ。
放射能が当たり前になってしまった社会とは、何か恐ろしい社会ではないだろうか。
この雪の中に、大量の放射能が混じっていないことを祈っている。
昨夜、久しぶりにドラマを観た。
三谷幸喜作「家族の歴史」だ。
主人公の長女の年代が、母と同じなので、母にも観るように言った。
母はいつもはとっくに寝ている時刻なのに、
炬燵の中から顔だけ出して、最期まで観たようだ。
「よかったよ」と感想を言っていた。
それは、自分が歩んで来た時代そのものであり、
昭和を生きた人の歴史そのものだった。
太平洋戦争が母たちの青春時代だった。
東京にいる叔母たちのために、物資を運んだ話をよく聞いた。
敗戦のどん底でも、日本人は逞しく生きていた。
一人一人が生きるために必死な時代。
こんなことでへこたれては生きてはいけないという気概と強さが日本人にはあった。
ダンスホールは、父がよく通ったそうだ。
そんな父をホールの前で待っていたこともあるそうだ。
父と母との結婚は、昭和31年だ。
そう言えば結婚した日を私は知らない。
最初は母の実家での居候。
それから父は実家を出て、分家として家を借りた。
その翌年の8月に私が生まれた。
本当にまだまだ日本中が貧しさの中で生きていた時代だった。
その後、戦後の目覚ましい経済的な復興は、奇跡のように行われた。
確かに、我が家に電気冷蔵庫が入り、電気洗濯機が入り、
そして、テレビが入って来た。
いつのまにか隣りの家ではカラーテレビを観る時代がやって来た。
「黄金バット」のカラー版を今でも覚えている。
何故、今この時に「家族の時代」を再放送するのか。
それは、そこに家族と共に逞しく行き抜いて来た日本人の原点があるからだと私は想った。
私の家庭もいろいろな困難な状況にぶち当たり、途方に暮れたことは何度もあった。
あんなことも、こんなこともこの小さな家族を襲って来た。
「どうして家だけが」と、そんな嘆きも何度もあった。
しかし、こうしてこの春の雪の下、ひっそりと生きていけるのは、
この家族が一緒に生きていてくれたからではないだろうか。
独りぼっちではなく、父も母も居てくれた。
今は、妻も長男も次男も居てくれる。
そんなお互いに寄せる想いが、生きる力となり、生きる励みとなっている。
「家族の歴史」とは、「家族の時代」であり、
今こそ持続可能な日本を再び創り上げるために、
「家族の絆」こそ大切にすべき時代になったのだと、
作者が語っているような気がした。
私は舞台の脚本を書く一人として、三谷さんの信奉者である。
そして、私の脚本の先生は倉本聡さんである。
二人のドラマには、私の大好きな人間らしい人が出ている。
そして、根底にはヒューマンがあり、温かな涙があった。
そして、何よりもドラマにはその時代に生きる人たちに、
伝えるべきメッセージが存在していた。
85歳の母が、炬燵の中で「よかったよ」と言えるドラマだからこそ、
この大震災と原発問題の最中に放映されたのだと想っている。
願わくば今回の東区市民劇団「王瀬の長者」特別編が、
観客にとっての感動の舞台であったらありがたいと想っている。
私たちは、ドラマのようには生きられない。
しかし、家族と言う絆の中で、
一人一人がドラマを創りながら生きることは可能なのだ。
今、日本中のあちらこちらで、そんな熱い涙のドラマが生まれているはずだ。
「その絆は、決して断ってはいけない天の掟なのだ。」by「王瀬の長者」徹造
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