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from: クマさんさん
2011/04/23 06:31:10
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命てんでんこを伝えよう
テレメンタリーで、「命てんでんこ」というドキュメンタリーをやっていた。
田畑さんという86歳のお婆さんの物語だった。
彼女は明治にこの田老町を襲った三陸津波の目撃者であった。
その津波に愛する母の命を奪われた。
どれだけこの故郷の海に向かって「馬鹿野郎」と叫んだことかと、語っていた。
何百年に一度は、10m以上の津波が襲う町だった。
そのために田老には高さ10mの防潮堤が作られた。
それは、平成の万里の長城だった。
町の人たちは、この堤が出来たことで安心していた。
以前起きたチリ地震の津波をこの堤は防いでくれたからだった。
しかし、彼女は明治の大津波の語り部となり、
自作の紙芝居を使って、この大津波の恐ろしさを子どもたちに知らせ続けてきた。
それは、彼女自身の命を救った、祖父から教わった言葉を伝えなければならないと思ったからだ。
「命てんでんこ」
それは、「命は銘銘のものだから、自分で自分の命を守れ」という非情な教えだった。
時速130㎞以上のスピードで、全ての物を破壊尽くし、
運び去って行くその津波のパワーに勝てるものは存在しないのだ。
それは、津波に襲われた町の光景を思い出すだけで十分だった。
人間は、この大自然の猛威に対しては無力なのだ。
だから、この非情な教えが言い伝えられているのだと私は思った。
「お婆ちゃんが家にいる。」
「まだ遊びに行った子どもが帰って来ない。」
「大切な預金通帳と印鑑を取りに行かないと。」
「まだ大丈夫。位牌だけでも持って行こう。」
その瞬間、山に登るか、町にとどまるかで、命の明暗ははっきり別れた。
しかし、この「命てんでんこ」を津波の町の人たちに忘れさせてしまったのは、
人間が作った「安全神話」なのではないだろうか。
「あの堤があれば、絶対大丈夫らて。」
「だって、町のしょが言ってたねっけ。」
「これがありばどんげ津波が来ても、この町だけは守られるて。」
「津波何か心配すんな。」
さて、この万里の長城ができたおかげで、心に油断が生まれたとしたら、
田畑さんが紙芝居を使って語り続けて来たメッセージは、
何も役に立たないものとなってしまうだろうと、私は残念だ。
大自然と立ち向かっても絶対に勝てないのが人間なのだ。
天気一つ思い通りに出来ないのだから、
もっともっと謙虚に自然から学び、
自然と共に生きた先人たちの知恵の言葉に学びたいものだと、私は思った。
想像を絶するものが、大自然だ。
そして、大自然は、非情なものだ。
15mの防潮堤を作るから安心です。
非常用の電源車と消防車を高台に配置するから安全です。
冷却用の水を確保するプールを作るから安全です。
そう言っている本人たちが、安全だと信じていないことを、
あたかもこれで絶対大丈夫だと勝手な安全神話を撒き散らし、
地域住民の人たちを信じさせ、油断させる。
この企業の手口は、いつまでも変わらない。
そんなことに膨大な無駄金を使うよりも、
事故をまだ起こしていない内に、廃炉に向けた一歩を踏み出すべきなのだ。
この原発がなくなりますから、絶対に安全です。
安全とは、それしかないだろうと思う。
大自然の猛威は非情にも無くなることはない。
それは歴史が証明している事実だ。
そして、それは全て想定外なのだ。
まだそのことが分からないのだろうか。
「命てんでんこ」だけが、大自然の事実なのだ。
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