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from: クマさんさん
2011/04/30 06:26:09
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出て来い。わーけもん。
昨夜、フィギアスケートの世界大会を妻と観ていた。
その時、気づいた。
次男が友達の家に泊まりに行ったということは、
今夜は二人だけなのだと。
私も妻も、少々酒を飲み、眠かったために、
うつらうつらとしてテレビを観ていた。
「ほら、まよちゃんらよ。起きれ。」
二人には11時過ぎは、睡魔との闘いの時刻なのだ。
その時、気づいた。
そうか。いつか必ず二人だけでここで生きる日が来るのだと。
父も母もいなくなり、長男も次男も就職して自立したら、
この家には、私と妻とだけが残される。
その時、二人は何の話をするのだろうか。
その時、二人はちゃんと夫婦として向き合い、助け合って生活しているのだろうか。
「その日は来る」
二人でいることの幸せと、少しの不安とをスケートを観ながら感じていた。
テレメンタリーで大阪の工業地帯に建つある集合住宅のドキュメンタリーを放送していた。
高齢者率48%・独居老人率24%・老人の孤独死1115人?
30年前には高度経済成長で活気のあるアパートが、
今は寂れて、老人の住む町になってしまった。
そして、階段だけのアパートでは、
高い階の老人が引きこもりになってしまうこともよく分かった。
冷たい扉の向こうで誰がどんな生活をしているのか全く分からない。
その老人たちを食事を作り、ボランティアで助けていることたちも60代だ。
一日14時間もテレビを観て過ごすこともあるというお爺さんがいた。
奥さんは三年前に亡くなった。
亡くなるまでの三年間は認知症の奥さんの介護の日々だったそうだ。
子どもはいない。
たった一つの楽しみの銭湯通いだったが、
その銭湯の主夫妻が高齢と病気のため、突然閉店となってしまった。
途方に暮れるお爺さんの横顔が寂しかった。
コミュニティーの再生と言われる。
それは、「助け合い・支え合える関係づくり」の再生だと思う。
その時、やはり基本になる単位は夫婦や家族である。
その小さな絆の中でまず支え合い、助け合える関係を築いて行くことなのだ。
しかし、コミュニティーとして安心・安全に住める町づくりのためには、
その人と人とをつなぎ、紡ぐための努力が求められている。
それが地域におけるコーディネーターの役割なのだ。
まず、知らない者同士が顔を合わせる仕組みが必要だ。
次に、出会った人同士を知り合わせるつなぎ手が求められる。
あそこに行けば、誰かに会える。
あそこに行けば、誰かと話せる。
人が気軽に自由に出入りできる「あそこ」が欲しい。
また、黙っていても友達にはなれないので、
共に何かの活動を行ったり、何か習いごとができるとつながることが早くなる。
そんな講師や指導者がいてくれることはありがたい。
そんなウェルカムの「あそこ」を各地域はもつべきなのだ。
しかし、企業戦士で日夜労働に明け暮れし、
子育てに奮闘努力の日々からは、
そんなコミュニティーのことなんぞ考えるゆとりも余裕も無かったと思う。
そして、いつの間にか80代の独居老人となってしまった。
それが現状のはずだ。
そう考えると、山ノ下には「あそこ」があり、
いつか年寄り予備軍の若い者が、
せっせと次の時代の人たちのために畑を耕し、種を捲いてくれている。
私もコンサートを通じて、少しばかりの貢献をしているつもりだ。
つまり、コミュニティーの再生のためには、
そのコミュニティーを再生する必要感と切実感とを感じている40代〜50代の若者がどれだけ町にいるのか。
それにかかっているのだと、この番組を観て気付いた。
出て来い。わーけモン。一緒にやろてば。おもっしぇれ。
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