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from: クマさんさん
2011/06/09 04:58:23
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とおとおさめて
3時50分に目が覚めた。
それから起き出し、4時からテレビでニュースを観ていた。
こうしてパソコンに向かっても、眠くて仕方ない。
頭がいつもぼーっとしている状態だ。
昼が長いこの季節、毎年のことと諦めている。
これが我が家のサマータイムかとも考え直し、
こんな朝型の生活を続けている。
昨日の「親父たちよ」で、カウンターが0に戻った。
またまた原点からの開始である。
6年目に入っていた。
長男が中学2?の反抗期に入ってから、この掲示板を立ち上げた。
同時に「やろう会」も立ち上げ、今に至っている。
発言回数は1741回。
アクセス数は1365449となっていた。
Tさんからのメールでそのことに初めて気づいた。
何かを続けること。千回を超えること。
三日坊主の私には、実に珍しい快挙だと想う。
しかし、何故ここまで続いたのかと考えた。
すると、この掲示板は一方通行のものではなく、
私の言葉を受け取り、肯き、支えてくれる人たちが存在しているから続いたのだと改めて想った。
在る意味、私はこの掲示板に想いや悩みを書くことで、
カウンセリングを受けていたのかもしれなかった。
日記は、独りで書き、独りで読むものだ。
掲示板は、開かれていて、アクセスしようとすれば誰でも読める。
そんな状況の中で、私は本音で語り、弱さを語った。
「弱くていいんだ」「駄目でいいんだ」と言いながら、
自分自身を慰め、癒してきた。
そして発見したことは、「人は弱さではつながれる」ということだった。
それから気付いたことは、「人はかかわりの中で変われる」ということだった。
相手の立場に立って考える。
相手の想いや苦しみを共有する。
ということは、自分が居ないということだった。
まず、相手なのだ。
まず、黙って聴くなのだ。
そうしたかかわり方の中で、私は私を少しずつ変えることができた気がする。
基本的なスタンスは6年間変わってはいないが、
物の見方、感じ方が、ゆるく、いい加減で、こだわりがなくなった気がする。
「こうでならなければならない」
「これができなければ絶対駄目だ」
そんな上から目線は無くなってしまった。
「まあ、いいか」
「これもありだよね」
そんなま逆の堕落した生き方を生きているために、
きちんとやりたい人たちからは、攻撃の雨あられを受けている。
でも、私は絶対にそっち側には行かない。
その呪縛や固定概念から脱却できた時から、
心の自由を得ることができたからだ。
その代わり、本当に私を敵のようにして痛めつける人たちと出会った、出会った。
彼や彼女は、私を攻撃するが、
本当は、私のいい加減な生き方が羨ましかったのかもしれないと、
今は、想ったりもする。
良寛さんの歌にあるように、とおとおさめて、また一に戻る。
本日の掲示板は、また千回に向けての第一歩になることを祈っている。
いつもいつもありがとうございます。
クマは、生きている間は、親父たちよを書き続けます。
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