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from: クマさんさん
2011/06/11 06:39:10
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伝えるべきものは何か
新潟日報の夕刊に、村上春樹氏のカタルーニア国際賞の授賞式でのスピーチが掲載されている。
反原発を語る素晴らしいスピーチだ。
その要旨をここに書かせてもらう。
・東日本大震災で全ての日本人は激しいショックを受けた。
・だが、われわれは精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくだろう。
・日本は唯一核爆弾を投下された国だ。
・福島第一原発は、爆弾を落とされたわけではなく、自らの手で過ちを犯した。
・理由は「効率」だ。
・地震国の日本は世界第3位の原発大国となり、原発に疑問を呈する人には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られた。
・原発推進派の「現実」とは「便宜」にすぎなかった。論理をすりかえていたのだ。
・すり替えを許してきた日本人の倫理と規範の敗北である。われわれは自ら告発しなければならない。
・日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが広島、長崎の犠牲者に対する集合的責任の取り方となったはずだ。
・新しい倫理や規範と、新しい言葉を連結させなくてはならない。
・夢を見ることを恐れてはならない。
「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかれてはならない。
われわれは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならない。
今回、私が書いた「王瀬の長者」復興編のテーマは、まさにこのことだった。
ここでも何度も述べたように、私たち被爆国の日本人は、核に対しては初めから「ノー」と言うべきだった。
しかし、エネルギー問題が経済の発展に大きな課題となった時、
半永久的に使用可能と言われたプルトニュームの再利用に電力会社と国は向かった。
また、そこには計り知れない大きな利権が眠っていた。
建設用地は、過疎地や閑散とした荒地だった。
多額の補助金により、その土地の人たちには「夢」を見させた。
では、その原発に疑問を呈する人は、村八分なのだ。
目の前の「夢」をぶち壊す不届き者なのだった。
推進派はメジャーで、反対派はマイナーとなる。
それが「効率」と「便宜」というまやかしの言葉から生まれた力関係となった。
そのすり替えを行い、甚大な被害を出し、未だに終息の目途すらたたず、
放射能で汚染された土地からは、住民は追い出され、
「夢」を見せられたいた人々もやっと「現実」に目覚め、
慙愧の想いで、故郷に帰れる日を想い願っている。
実は、そんな「夢」ばかり描いていた人々が「夢想家」なのであり、
常に一貫して「反原発」を訴え続けて来た科学者や地域住民こそが、
自然と共に生きることを選んだ人間の叡智だったのではないだろうか。
世の中から「長者」はいなくならない。
そして、長者にすり寄り、上手い汁を吸おうとする人たちもいなくならない。
また、疑問を持ちつつも、お世話になっている長者に逆らうことができない哀れな人たちもいる。
そして、そんな状況の中でのごくごく少数の人は、
「真実」と「信念」とをもって長者と対峙するのだ。
これは人間の歴史が物語る事実なのだと私は想う。
そして、最後はどうなるか。
偉大にして敬虔な大自然が、長者を断罪するのだった。
このことも人間の歴史が物語る事実なのだと私は想う。
その怖れを知る人間こそ、この大自然に生き続ける叡智をもった人間なのだ。
「ヨクハナク ケッシテイカラズ イツモシズカニワラッテイル」
長者にならないこと。
長者の仲間にならないこと。
長者から世話にならないこと。
大自然に対する畏敬の念を持ち、自然との共生の道を歩くこと。
そして、弱き人たちを孤立させるのではなく、連帯させること。
弱さと弱さでつながって、みんなが幸せになれる世の中をみんなの手で作ること。
その真実は、宮沢賢治さんが「雨ニモマケズ」で語っていることそのものなのだ。
この詩は、賢治さんの「ヘブンズ・ストーリー」だと私は信じている。
「世の中の全ての人が幸福にならない限り、私の幸福は来ない」
そう語り、そう生き抜いた賢治さん。
病床で自分の死を感じながら、必死に手帳に書き留めたこの「雨ニモマケズ」
劇の最後は、この詩の群読で終わりたい。
確かに賢治さんも、「非現実的な夢想家」だったかもしれない。
しかし、歴史の中で残った人は、長者たちではなく、賢治さんなのだ。
これが今回の劇のテーマだ。
東区市民劇団の人たちに、そんなクマの想いを伝えたい。
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