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from: クマさんさん
2011/06/15 05:30:29
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「かさこ地蔵」考
ひょんなことから「かさこ地蔵」の脚本を書くことになった。
この劇には、どうも私は因縁があるようだ。
実は、私が生まれて初めて劇らしい劇の脚本を書いたのは、
この「かさこ地蔵」なのだ。
書きながら、改めてこの作品の真価が分かった気がした。
仲の良い年寄り夫婦が山奥の家に住んでいる。
優しい爺様は、正月を迎えるために雪深い中を、
傘を売りに町の市場まで下りて行く。
大晦日の市場は人でごったがえして大賑わいなのだが、
爺様の傘は一つも売れなかった。
世の中の冷たい風に心痛めて、爺様はとぼとぼと山に帰った。
その途中に雪を被った地蔵様が立っていた。
爺様は、この地蔵様たちが可哀そうになり、
地蔵様に積もった雪を払い、売れなかった傘を被せた。
ところが、傘が足りないのだ。
爺様は、自分の傘をぬいで、地蔵様に被せた。
次の地蔵様には、自分が着ていた蓑をかけてやった。
そして、最後の地蔵様には・・・。
さてさて、やっとたどり着いた我が家では、
婆様がとてもとても心配して爺様の帰りを待っていた。
傘が売れず、何も土産を買って来ることのできなかった爺様は、
婆様に謝った。
すると婆様は言った。
「私は、お爺さんがいてくださるだけて幸せですよ」と。
そんな大晦日の夜中、二人が床に入った頃、
雪深い森閑とした森に、子どもたちの声が響いた。
「爺様の家はどこだ。」「婆様の家はどこだ。」
地蔵様たちがたくさんの餅や魚や正月の食べ物をもって山に登って来たのだった。
驚いた爺様と婆様は、その地蔵様たちの優しさに涙し、
そっと手を合わせるのだった。
そんなお話を書きながら、私は涙してしまった。
東日本大震災の被災された人たちの苦しみはまだまだ続いている。
世の中を「無縁社会」と呼び、孤立し孤独に生きる人たちの苦しみもまだまだ続く。
社会的な弱者は疎外され、悲しい想いで生きている人たちも多いはずだ。
しかし、その人たちのことが見えない生活を送っていることも事実だった。
自分のことが精いっぱいで、自分の傍にある悲しみや苦しみ、孤独の痛みを感じられない。
人が道に倒れていても、知らぬ顔で素通りできる世の中なのだ。
爺様は、地蔵様の心の声を聴く感性があった。
それは、爺様が貧しい人であり、悲しみの人であり、優しい人だからだ。
爺様は、自分の傘や蓑までも地蔵様にあげてしまった。
しかし、その無欲の中に、本来の人間の幸福は存在している。
きっと爺様は、雪の山道を満ち足りた温かな気持ちで歩いたのだと私は想う。
「与えることこそ幸せになる道なんだ」
やっぱり「かさこ地蔵」は、いいお話だった。
「王瀬の長者」もそうだったが、
昔から語り伝えられているお話しには、確かに真実という原石が輝いていた。
それを再び発掘して、世に出すことも演劇の役割なのだと、
こうして機会を与えてもらったことを感謝しつつ、
物語の重さと深さに心打たれたクマだった。
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