サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマさんさん
2011/06/16 05:43:58
icon
全ては移ろう。止めることはできないのだ。
パソコンのディスクトップに、
次男が中学の入学式の朝に撮った写真を張り付けてある。
そこには、3年前の父と母とが一緒に写っている。
父は眠そうな顔をして、母はまだ病気をする前だからふっくらとしていた。
この写真を撮っている私は、休職中である。
次男はその朝、どんな気持ちでこの場に立っていたのだろうか。
月日は流れ去る。
それを止めることは誰にもできない。
私はこの写真を見るたびに、次男には申し訳なく思ってしまう。
「何もしてやれなかったなぁ」という、すまなさをいつも彼には感ずる。
そんな次男は、今は高校一年生で、サッカー部では1年生からレギュラーとなった。
帰って来るのは8時過ぎ。
彼は、彼なりの道をくねくねとしながらも、まっすぐに生きている。
母が、昨日叔母たち5名と東京の叔母の見舞いに行って来た。
全部で6名の叔母たちの年を合計すると480才は越えていた。
昨年胃癌が見つかり、10月に手術をした。
それから奇跡の回復を遂げたが、体重はかっての半分となってしまった。
今も少しずつ痩せ続けている。
あの写真から比べたら別人のようなのだ。
それでも、老人介護施設に何年も入院している叔母に逢いたくて、
こうして480歳の団体は、東京に向かうのだった。
月日は流れる。
それを止めることは誰にもできないのだ。
「気丈な人」そんな気概が母たちの世代にはあるような気がする。
家族を守り通してここまで老いた母だった。
「何もしてあげられなかった」という苦い後悔は、長男としてもっている。
ただ、こうして一緒に暮らしていることだけを親孝行と勝手に想っていたりする。
そうした無常の中に生きているという切ない自覚こそ、
私たちに本来大事にすべき大切なものは何だったかを気付かせてくれるようである。
「色即是空」であるが、「空即是色」でもあるのだ。
その儚い色にしがみつくのではなく、
サヨナラと手を振りながら、愛しみ続けることが、
無常の命を生きる生き方なのではないかと、
年を取って想えるようになった。
泣いても無駄なのだ。
しがみついても離れて行くのだ。
後悔しても戻らないのだ。
「今を生きる。それだけが真実だ。」
「即今是吾」これしかないのだ。
一昨日、トニー賞を受賞したプロードウェーのミュージカル「レント」を観た。
こんなミュージカルを新潟発で創りたい。
それは、私にとっての新たな夢となった。
全てが移り変わる中で、生きた証を残してみたい。
それは「迷い」なのかと、少しは想いつつも。
コメント: 全0件