サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマさんさん
2011/06/17 06:01:51
icon
6月16日のこと
16日に皆既月食があると聞いて喜んでいたのに。
16日の4時頃であったそうだ。
ということは、その時刻を調べている段階ではすでに月食は終了していたということだ。
いつものように、いつものことで、間が抜けた話だ。
昨日は新潟地震の日だった。
私は、あの日あの時には、小学1年生だった。
不思議なことで、あの恐ろしい体験は鮮明に記憶されている。
給食が終わり、ランドセルに教科書を入れてお帰りの支度をしている時だった。
突然天地がひっくり返るほどの大地震が襲った。
村田先生の必死な声で机の下に避難した。
不気味な静寂だった。
女の子が「お母さん、お母さん」と言って泣いていた。
私も二度と母に会えないのではないかと、とても心細くなってしまった。
「みんなグラウンドに逃げましょう」
私たちは非情口から避難した。
するとプールの水が大揺れに揺れ、プロサイドが濡れていた。
グラウンドに出て驚いた。
これはこの世の終わりなのか、怪獣映画の一場面なのか。
桃山小学校だった私は、学校のすぐ裏にあるS石油のタンクが大炎上し、黒煙を上げていることに気づいた。
学校の周りの家からは、悲鳴が聴こえ、助けを求める声も響いた。
ただならぬことが起こったと、幼いながらに感じたものだ。
すると一人の女の子がランドセルを教室に忘れて来たと泣きだした。
その途端、洟垂れ小僧のI君が、走りだし教室に向かったのだ。
慌てて先生は彼を止めたが、彼はそれでも言うことをきかずに教室に向かおうと暴れていた。
あのI君が・・・・。
その瞬間、彼は私にとってのヒーローとなった。
しかし、それからどうなるのか、私には皆目見当がつかなかった。
父はどうしているのだろう。母は無事なのだろうか。家は倒れていないだろうか。
情報が入らないことの恐怖を感じた。
そんな時だった、真黒の顔で父が私のことを自転車で迎えに来てくれた。
あの瞬間は、確かに父は私のヒーローだった。
父から、みんな無事だと聞かされた。
私は、父の自転車の後ろに座り、自宅に向かった。
町は、災害の後の大混乱の最中だった。
それから、私たち家族は物見山のF中学校の体育館に避難した。
津波の到来で、山ノ下は浸水の被害にあっていたからだ。
全ての機能は停止し、生活の術を失った私たちは、
自衛隊の炊き出しのお握りを食べた。
祖母と叔父は仏壇を守ると言って避難しなかった。
そしたら、山ノ下が大火事になっているというデマまで飛んだ。
学校どころの騒ぎではなかった。
家族と一緒の避難所暮らしだった。
物見山から炎上するタンクに、ヘリコプターが消火剤を投入している様子を見ていた。
ここから先の生活がどうなるのか、皆目見当がつかなかった。
すさまじい体験だった。
しかし、そのおかげで東日本大震災の被災者の気持ちが少し分かる気がする。
あんな目には二度と会いたくないと想っていても、
どうなるか分からないのが大自然なのだ。
だから、私にとって大地震はいつも想定内だ。
あの経験から、大地震は来ないなんて嘘は絶対につけないと思う。
次の皆既月食は12月10日21:45〜23:05だそうだ。
この時刻ならば忘れることもないだろう。
ただし新潟の冬の天気だ。
期待しつつ待つこととする。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件