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from: クマさんさん
2011/06/23 06:13:35
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ライフを守る
喉元過ぎれば、熱さを忘れる。
人は、忘れる動物だと聞いたことがある。
あれだけ連日報道されていた東日本大震災関連のニュースが静かになってしまった。
被災地の復興や、被災者の現状についてのレポートも少なくなった。
未だに日本中から集まった義援金が分配すらされていないと言う。
新潟に避難している人たちの生活は守られているのだろうか。
原発関連のニュースも同じだ。
3か月たっても未だに終息への第一歩も踏み出せない現状だ。
放射線量の測定器を人々が手に入れ、地域の放射線量を測定すると、
驚くべき数値が出ているそうだ。
水素爆発で撒き散らされた放射能物質は、ジェット気流に乗って、
世界中に拡散されたそうである。
子どもたちは屋内での活動を余儀なくされ、
放射能による内部被曝を避けるために、遠い県外への転校する子が後を絶たない。
親の気持ちとしては、当たり前のことだと想う。
もし、玄海原発や福井の原発が爆発したら、
日本人は逃げる場所すら失ってしまうのだ。
放射能で汚染された国土で、生きるか。
それともこの国を捨てて海外へ移住するかだろう。
それでも、今日も原発は稼働している。
さてさて、どうすればこの危険な現状を止めることができるのだろうか。
しかし、日本人の常として、いつしか時がたてばそのことを忘れ去ってしまうのだろうか。
南相馬市で今も認知症の妻と二人で暮らす老教授のレポートを読んだ。
地域住民は、強制的に避難させられた。
その避難先で多くの病人や老人が亡くなっている。
そして、避難先の放射線量はその土地より数倍も多かったりする。
彼は、ライフラインがまだ残るその住みなれた土地に住み続けることを選択した。
しかし、既に多くの住人が避難し、生活に必要な機能を果たせなくなっている。
生活必需品や食糧を買う商店もなく、公的な機関も移転している。
まさに陸の孤島に暮らす人となった。
避難所ではないから支援を受けることができず、
孤立無援の中で二人で寄り添うように生きている。
「ライフ」には、「生命」という意味と、「人生」という意味がある。
原発は、平安に暮らしていた多くの人の「人生」を奪った。
老教授は、そう語っている。
そして、この原発を推進し、賛成し、反対派を黙らせて来た人たちは、
この局面に立って、立場や主張を翻し、被害者の一人となっている情けなさ。
責任は、推進した人にある。
せめて「人生」を奪われ、「生命」すら奪われた人たちに対して、
推進した人たちは、心の痛みをもつべきなのではないだろうか。
人は、忘れなければ生きてはいけない動物かもしれない。
私は、忘れてしまいたいことが多すぎる人間だ。
しかし、この東日本大震災と原発のことは、
決して月日の流れの中で風化させてはいけない事実なのだと私は想う。
今こそ、市民レベルの連携と活動で「ライフ」を守る時代が来たのだ。
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