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from: クマさんさん
2011/06/29 05:23:52
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懐かしい声の乱入
昨日の夜、突然電話がかかって来た。
昔一緒にビオトープなるものをやっていたHさんだ。
酔っ払いの電話だったが、懐かしい声だった。
「親父たちよ、面白くないよ」との苦言を呈した。
故郷東京に転勤した人だった。
新潟に居る時は、よく日曜日の朝に我が家に朝食を食べに来た。
私が起きて下に行くと、彼がでかい声で話しながら朝食を食べていた。
それも予告なしの乱入だった。
もう10年前になるだろうか。
私たちは新潟県学校ビオトープ連絡協議会なるものを設立した。
学校ビオトープの普及を目指し、結成された団体だった。
まさにそこは異業種交流の場で、
自然環境専門学校の校長さん、粗朶作り会社の社長さん、民間企業の環境担当、市職員に、専門学校の学生さんに、主婦等、
今思えばよく集まったものだと感動ものだ。
この会では、飲み会を最優先に考え、
月1〜2回のペースで専門学校の教室に集まり、
それぞれの企画を持ち寄り、お互いに支援しながらの実践を続けた。
その後は、9時から飲み会なのだ。
やっぱり若かったと言うことだろう。
飲んでは、環境教育やビオトープについて熱く語ったものだった。
この会では助成金をもらい、毎年のようにシンポジュウムやフォーラムを開催してきた。
その時に誕生したのが、「王瀬の長者」の演劇だった。
まさか私が演劇を始めることになろうとは・・・・。
そんな驚きの展開も、その当時はごくごく自然に進められた。
その時、五十嵐劇場のメンバーと出会い、堀川久子さんを知った。
ワークショップに参加して、この企画を話した。
演劇には全くの素人集団の私たちであるが、
このプロたちの支援と協力があればやれると信じた。
制作・脚本・演出は私。
役者はHさんを始め、味と存在感たっぷりの会員になってもらった。
そして、大助は校長先生、小助は堀川さんだった。
2000年の10月だったろうか。亀田土地改良センターのホールが初演の会場だった。
前夜のリハーサルで堀川さんの鬼気迫る踊りを観た時鳥肌が立った。
「私がやりたかったことは、これだったのだ。」
それが私の演劇事始めであった。
粗朶の社長の長者は、当日まで台詞を覚えて来なかった。
Hさんを始め登場した役者たちはアドリブで笑わせた。
その時のヒローインは、今は東区市民劇団の役者の一人となっている。
今もあの舞台が目に浮かぶ。
その光景はセピア色のスーパー8の映像で、
私の心に映し出される。
Hさんは、7月に突然新潟に来るらしい。
10月には劇団は新しくできる東区文化ホールの杮落としで「王瀬の長者 復興編」を上演する。
今劇団はその稽古の真っ最中だ。
私が書いた5作目の「王瀬の長者」の劇となる。
ビオトープとは違っているが、
「持続可能な社会」と「命のつながり」というテーマはいつも変わらず脚本を書いている。
そんな人に私を変えたのが、この学校ビオトープの仲間たちなのだ。
この出会いは何ものにも替えがたい。
そんな人生をある時代生きられたことを改めて感謝している。
それにしてもHさん。相変わらずの酔っ払いだった。
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