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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2011/07/31 10:02:11

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    そういう人にみんなでなろう

    昨日は、あの豪雨の中で高速だった。
    まるでシャワーの中を走っているようだった。
    センターラインだけが命綱。
    本当に死にそうにビビって運転していた。
    それでもやっぱり「人権教育」の研修に上越教育大学に向かった。
    そこで学んだことは、人間の生き方そのものだった。

    淘汰しない。
    「誰も見捨てない」「誰も差別しない」「みんな同じでそこに居る」
    そんな社会だからこそ、人は安心して生きられる。
    競争社会の中にいつの間にか追い込まれ、
    結果が求められ、成果を上げられなければ切り捨てられる。
    弱者救済どころか、社会に余裕がなくなればなくなるほど、
    知らぬ間に弱者は切り捨てられる。
    誰が、いつ、どんな時に弱者になるか分からないのに、
    差別する人たちは、弱者を「淘汰」することを迷わない。
    震災復興で気づいて来たのは、
    実はこの「誰も淘汰しない」生き方なのではないだろうか。

    尊重する。
    「あなたは、あなたでいいんだ」「そのままでいいんだ」「あなたのこんなところを私は素敵だと思う」
    そう人から言われたら嬉しいし、
    それは生きて行く上では何よりもの励ましになる。
    「尊重する」ことは、見ていてくれることかもしれない。
    気にかけてくれることでもいいと思う。
    人は、それぞれがそれぞれの人生を生きている。
    それはいろいろなことがあるだろう。
    辛いことや悲しいことにもたくさん出会う。
    それでも人は生きている。
    生きていることだけで、人は人として尊いのだ。
    「人を否定する」「人を差別する」「人を見下す」「人を馬鹿にする」
    こういう哀れな人に私は何人か出会った。
    しかし、私はその人たちから否定されね馬鹿にされても、
    常不敬菩薩?のような生き方をしたいだけだ。

    傾聴する
    「静かに耳を傾ける」「ただひたすら聴く人となる」「心の奥深くで共感し、共に泣く人になる」
    自分のことばかり話すひとがいる。
    それも自慢話だったり、他人の悪口だったりする。
    私は、こういう人を絶対に嫌いだ。
    今でも何人かの人の顔が思い浮かぶ。
    話す人ではなく、聴く人なのだ。
    自分を主張する頑固さではなく、どんな人をも受け入れる柔軟さなのである。
    そして、感覚で人の悲しさと辛さとを感じ取れる感性があるならば、
    やっぱり泣いている人の傍に居て、黙って聴いてあげればいいのだ。

    優しいという言葉は、「憂い」を感ずる人の傍に「人」が居る。
    そのように、悲しみ・苦しむ人の傍に居られるひとこそ、「優しい人」なのだ。
    つまり、傾聴できる人は、優しい人なのである。

    想像する
    「彼の悲しみを想像する」「彼女の心の辛さを想像する」
    その彼や彼女の心の物語を想像する力が「愛」なのかもしれない。
    人と人とを心で繋げるためには、
    この想像力が不可欠になる。
    「豊かな感性と想像力は、豊かで温かい思いやりになる」
    想像する力を持っている人とは、
    多くを語らなくても分かりあえるから話していても嬉しいものだ。

    「差別」と「偏見」。
    そして、社会的な弱者が切り捨てられる競争社会。
    人は、そんな社会を求めてここまで文化・文明を進化させてきたのであろうか。
    最も人が大切にすべきものは、「生存(命)」と「尊厳」である。
    この二つのことが大切にされず、逆に軽んじられる社会とは、
    人が、人としての「幸福論」を語ることができなくなった社会なのだ。

    だから、「差別」と「偏見」と戦う、真の「勇気」を人はもたねばならないのである。
    しかし、その「勇気」は、既に人には生まれながらに与えられてある。

    「差別」と「偏見」で、弱者を切り捨てる人となるか。
    その社会的な弱者の叫びを聴きながらも、知らぬふりでその横を通り過ぎる人になるか。
    それとも、声を出し、行動する「勇気」の人となるか。

    人権教育とは、世の中にそんな心の勇気をもつ人を一人でも増やすことが目的なのだと、今は分かった。

    「淘汰しない」「尊重する」「傾聴する」「想像する」
    そうした生き方を出来る人が地域社会に少しでもいたら、
    その地域は変わるのだと、私はそう思った。

    そして、「ソウイウ人ニ私ハナリタイ」と、このレポートを結びたい。

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