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from: クマさんさん
2011/09/19 09:11:18
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一番太鼓
祭りが終わった。
ダイハードな二日間だった。
さすがに昨日は疲れ切ってしまい、なおらいにも参加できなかった。
法被を脱いで横になったら、そのまま眠ってしまったらしい。
この祭りに参加してから、14年くらいになるだろうか。
大学1年生の長男が、まだまだ可愛かった小1の頃からだ。
その当時は私も40歳と若かったものだ。
土曜日の末広の町内巡りに、その長男が来てくれた。
当時の友人たちがこの祭りに参加している。
太鼓が好きで好きでたまらなかった彼である。
反抗期はまったく祭りには寄りつかなかったので、
小6以来の太鼓である。
法被を急遽Sさんからお借りした。
一番太鼓を私は押しながら、彼の太鼓を叩く姿を間近に見た。
大きくなったものだと感じた。
そして、その太鼓の音色は当時そのままだった。
彼は、小学生で一人だけ一番太鼓に抜擢されていた。
彼が叩くと、「うまいねぇ」と言って、お年寄りの酔っ払いが来ることもあった。
太鼓が大好きで、太鼓の音を聴くとじっとしていられなかった。
ある太鼓集団にも所属して、りゅうとぴあでも披露した。
その太鼓との出会いが、彼の人生を豊かにしてくれた。
私は、最初は彼の付き添いとして太鼓の横を歩くだけの父親だった。
その内に顔見知りの親父さんに、「太鼓を押せて」と、一番太鼓を任された。
秋祭りでは太鼓の練習の期間がある。
夜なので練習場まで私は長男と小さな次男を連れて行くことにした。
その内に「太鼓教えてくんねかね」と、子どもたちの練習の手ほどきをすることになった。
私は、太鼓は叩けない。
でも、歴代の名手の音を聴いているので、その良しあしはよく分かる。
文字通り、手取り足取りで一人一人を教えて来た。
どれだけの子どもたちに太鼓を教えたことだろう。
その子たちが、既に就職したり、学生になったりしている。
こうして祭りで再会すると懐かしい。
私にとっては小学生の頃のやんちゃで可愛い面影が思い出されるが、
彼らからすると、「クマさん、年取ったね」と感ずるのだろうなぁと思う。
一番太鼓が、ずしりと重く感じられた。
台車の中にスピーカーとアンプが入っているために、
とにかく重い太鼓なのだ。
それを前屈みに踏ん張って5〜6キロは押して行く。
途中、叩き手が少ない時には、私も太鼓を叩く。
酒に酔い、人に酔い、祭りに酔っていながらの太鼓の音は最高なのだ。
酔っ払いのテンションが上がり、ふと我に帰ったらぐったりと疲れていた。
市場で総踊りを見ながら休んでいると、
つくづく年を感じてしまった。
「俺、これで帰らしてもらうわ」と言うと、「駄目駄目」と笑われた。
気が付いたら、いつの間にか一番太鼓が動いていた。
長男が私の代わりに太鼓を押していた。
そして、長男の仲間たちが交代で太鼓を叩いて盛り上げていた。
「そうか。俺が居なくても太鼓は動くなぁ。」
宮昇りの後、帰り道では4番太鼓の1年生の所に行った。
なかなか筋がいい男の子で、将来の太鼓の担い手になるだろう子である。
懸命に覚えようと、両手で撥を挙げて叩いている姿に、
あの頃の長男の様子がだぶって見えた。
「ここから始まったんだなあ」と、私は彼に太鼓を教えながら彼と一緒に歩いていた。
「上手くなったなあ。」「右手をもう少し強くしよう。」
時には、酔っ払いが彼に代わって太鼓を叩く。
ふと前を見ると、一番太鼓を押す長男の後姿が遠くに見えた。
一番太鼓は、やっぱり私が居なくても動いているのだ。
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