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from: クマさんさん
2011/09/20 06:18:44
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ちょっとは何かの足しになる
三日間飲み続ける。
この生活から脱出しようと試みるが、やっぱり駄目だった。
祭りの後は寂しいものだ。
何だかゆうつな朝を迎えている。
母は、すっかりと痩せてしまった。
まさに別人のような面影だ。
従兄弟が子どもを連れて毎年祭りに参加する。
そのために東京と上越市からやって来る。
母は、そのために大歓待する。
前日に大きな鉢一つ紅色の赤飯が出来ていた。
茶碗蒸も母の得意な料理の一つだ。
人のために奮起する。
とにかくこういう時には、全力を挙げての母だった。
その赤飯が紅色が強く、少々固めに仕上がってしまった。
茶碗蒸は、蒸す時間を間違え、これも覚めると固くなっていた。
母は、そんな料理の結果を見て、自分でも情けなく想ったようだ。
私は、今年もこうして赤飯と茶碗蒸を食べられただけで満足だった。
この年になると、来年のことは言えないのだ。
人は、年を取る。
それを何とも止めてやれないのが、残念なことである。
一番太鼓と神輿が、町内を巡る。
すると、各家の前に立って神輿を迎える人たちも、
毎年毎年、年を取っていることがよく分かった。
あるおじいちゃんは椅子に座り、神輿を迎えた。
その中には、亡くなってしまった人もいるはずだ。
大山台の特別老人ホームにも太鼓と神輿を上げる。
みんな車椅子や、ベッドの中から、私たちの神輿を拝んでいる。
枯れ果てる手前の人たちである。
よくぞその年まで生きて来た尊い人たちだ。
私たちを拝みながら涙を流していた。
私もここに来ると必ず涙が流れた。
人が生きるとは、いったいどんなことなのだろう。
母にも、私にも最期は来る。
それがいつなのか。それがどんななのかは誰にも分からない。
今日はとりあえずは生きている。
心の底から会いたくない人がいる。それも宿業なのであろう。
ただし、「今日一日だけは生きてみよう」と少しは想う。
誰かの、何かの足しには少しはなっているかもしれないからだ。
生きるとは、その程度のことでいいのではないだろうか。
昨夜、北区のミュージカルの脚本家からメールが届いた。
小潟を自費干拓した伊藤幸一郎さんの業績も物語に入れたいとのことだった。
この偉業は、歴史の中に埋もれさせてはならないものだった。
私は、「拓魂」のための資料を探し、何と自分が16年前に作っていた資料を発見した。
それをパソコンで打ち直し、彼女に送った。
私のような男でも、ちょっとは何かの足しになっているのだ。
来年の6月には北区のミュージカルのオーディションがあるはすだ。
私は、それを受けようと思っている。
そのためのオペラであり、そのための減量でもあった。
そして、来年の春祭りにも、また母の赤飯と茶碗蒸が食べてみたいものである。
人は生きていれば、ちょっとは何かの足しになるものだ。
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