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from: クマさんさん
2011/09/27 05:50:48
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日々弱る
先日、マイクロレコーダーとビデオカメラを購入した。
今更のような気もするが、
この日々のことを記録に残すためだ。
朝、母が起きて来て台所に立っている。
実は、昨年の今頃、母は胃癌の手術を受けた。
その手術の結果次第では、
余命を宣告されると不安な気持ちで家族控室で待っていた。
父と叔母たちと一緒にその時を待っていることの何と長い時間だったろうか。
手術は成功し、私は切り取られた胃と共に、
リンパ節に出来た大きな癌の塊を見せられた。
それから一年たった。
体重は半分近くまで落ちてしまい。
すっかりと痩せている母である。
「今、こうして生きていることは奇跡なのだ」と、母も信じていた。
父は、先週の台風の中ひげを剃りに床屋へ行く途中、
何と強風にあおられ、道路で前のめりに転び、大けがだった。
手は傷だけらで、左目の横を切り、目の周りにはクマができている。
ちょうどディーサービスの車が通りかかり、
親切にも父を家まで連れて来てくれたのだ。
「助けてもらわなかったら、どうなるか分からなかった。」
こうして一日が始まる。
母は、台所に立ち、父はもそもそと起きて来る。
職場に家から電話があると、何だかとても不安になってしまう。
今日一日、どうなるかは誰も分からないということだ。
人は、本当は分からないことだらけなのである。
心臓の弱い母。脳梗塞5回の父。
私だって昨日はとにかく疲労が抜けず、体がだるくて仕方ない一日だった。
今日一日は、生きられる。
私は、台所のテーブルにマイクロレコーダーを置き、スイッチを入れる。
ビデオはリビングに置き、毎日数分だけ録画している。
父は、黙ったまま座り、ただ俯いて一日を過ごす。
体力が落ちた母は、座敷で寝ることが多くなった。
「お父ちゃんを、置いて行けない。」それが母の口癖だ。
私はこの年になり、弱り始めている自分を感ずる。
無理のきかない体に確かになっていた。
しかし、父と母とは、やはり「死」を感じて生きているはずである。
どうその最期と向き合い、何を対話し、どんな答えを出しているのか。
このささやかな家族の記録は、続けようと想っている。
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