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from: クマさんさん
2011/11/05 05:41:27
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人生の焼き
父は相変わらず岩のように動かない。
それはそけは見事なものだった。
テレビの前の一か所に根を生やしている。
トイレと食事の時だけゆっくりと動く。
それが終わるとまた定位置に戻る。
何が面白く、何を楽しみに生きているのだろうか。
認知症になっていないだけ救いであるが、
今や生きる気力すら感じられない。
いつもテレビを観ながらいつの間にか眠っている。
何を想い、何を考えているのだろうか。
しかし、そこにはいずれ私が行く道なのだ。
「生・老・病・死」それは全ての人に平等に与えられる。
運命であり、必然である。
その艱難辛苦の人生の中で、
発見したことだけがその人の人生の答えなのだ。
言葉は、生まれながらにしてその人その人には与えられているのかもしれない。
それは、仏の慈悲により与えられた言葉だ。
しかし、我執が強く、「俺が、俺が。」と言っている間は、
この言葉には、絶対に出会えない。
俺がの迷いで心全体が曇っているからだ。
私は、俺がを無くしたら、ずいぶん楽な生き方となった。
対人で、無理なことはしなくなったからだった。
「負けていい。」「従っていい。」
俺がを折ると、本当に腹が立たない日々となった。
それは、私を痛めつけ、苦しめてくれた人のおかげさまなのだった。
老いや、病や、死に向かうことは、まさに人に俺がを忘れさせる機会なのではないだろうか。
自分の力ではどうすることもできないことだられーけである。
何一つ本当は自分の力で出来ないのだ。
私は、来年の夏には55歳になる。
私は、血圧が高く薬を飲んでいる。
私は、いずれ死ななくてはならない。それは、明日なのかも知れない。
私は、高度先進医療を受けるためにガン保険を新たにした。
私は、いつかリビングニーズを使うかもしれない。
そのことは、私にも分からないのであり、
そのことを、私には止められないのだ。
このどうにもならない事実と向き合うことで、
人は己の弱さと愚かさとを実感し、救いを求める。
私ならば、きっと祈るだろうし、涙を流して諦めるだろう。
父は、何も語らない心の中で、その事実と向き合い、
やっぱり父なりの答えに至っているのかもしれない。
その答えを、今のうちに聴いておきたいのだが・・・・。
金属は「焼き」を入れると強度が増す。
新潟NHKの特番で長岡のある女性の特集をやっていた。
金属を900度の温度まで電気の熱で熱する。
そこに瞬時に冷却水をかけると強度が増すのだそうだ。
「焼きを入れる」その言葉の語源はここだったのだ。
しかし、人も同じである。
艱難辛苦。どれだけ人は、人生の中で「焼き」を入れられたことか。
「神は、その人が耐えられない試練を、決してその人には与えられない」by新約聖書
84歳の父である。
その父を襲った艱難辛苦の焼きにより、
実は、生き抜いて来ただけで尊敬に値するのである。
さて、その言葉、残したいものだ。
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