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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2011/11/17 05:35:02

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    後何回春を迎えられますか?

    久しぶりに徹夜のような日が続いた。
    さすがにこたえている。
    若い頃には何でもなかったことが、今は出来なくなっている。
    50歳を越えたら、やはり自愛が大切なのだ。

    先日、あるテレビ番組で、ユニークな男性に出会った。
    ベストセラー作家であるらしい。名前は忘れた。
    しかし、その話が実に興味深かった。
    小朝との対談だった。
    「私は、これから明日の朝までは、絶対仕事になりません。」
    それは、トーク番組で思う存分に語った後、
    恥ずかしがりの彼は、自虐的に自己嫌悪に陥っていまうと言うのだった。
    分かるなぁ、この気持ち。
    シャイであるから、壺にはまると思わず語ってしまうのだ。
    しかし、その後は・・・・。思い出すと穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。

    小朝の茶髪のキューピーヘアーを「似合わない」とさんざんけなした彼が、
    「後何回春を迎えられるか考えるんですよね。」と語りだした。
    「人生70年としたら、私に残された春は後何回か分かりますよね。」
    私もどきっとしてしまった。
    同じ仮定に立つとしたら、私には後16回の春しか残されていないのだ。
    16回の桜。16回の花見。16回の新年度。
    ということは、全てのことは、そのシーズンを通じて16回しか経験できないことなのだ。

    しかし、これは70歳という仮定の場合のことだ。
    もし、60歳でならば、全てのことは残り6回だけの人生だった。
    だから、その年に経験することは、六分の一のことなのだ。
    ただ今は、その貴重なる六分の一の秋が過ぎ去り、
    六分の一の冬に季節が向かおうとしている。

    60歳で定年だとすると、この仕事をしながら6回のシーズンを巡るだけの人生だった。
    その間、今の体力や健康のままであるはずはなく、
    先輩諸氏の歩んだ道を、私もとぼとぼと歩むことだろう。
    そして、ふっと立ち止り、わが身を振り返ると、驚くばかりに老いていたりするものだろう。

    私は、確実に老い、死に一歩一歩近づいている。
    忘れてはいけないことは、そのことであり。
    受け入れて行かねばならないことも、そのことだった。
    「私は、後何回、春を迎えることが出来るだろうか。」
    しかし、父と母にとって、先の季節は夢なのかも知れない。
    「今日を生かされていることへの感謝かな。」

    無常感を根底に置いて生きるとは、
    自分の人生で残されている春の数を数えることなのかも知れないと、
    私は名も知らぬベストセラー作家の言葉を聴いて想ったものだった。

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