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from: クマさんさん
2011/11/22 05:40:31
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マイノリティーであり続けよ
マイノリティーであること。
昨日、ある人からそんな話を聴くことが出来た。
世の中のマイノリティーの人たちは、
ある意味世の中より差別を受けて来た人たちでもある。
しかし、差別を受けた側が悪いのではなく、
本来は差別する世の中が悪いのだ。
人は、違う存在を排除しようとするらしい。
弱者に対しては、同情と共感よりも、偏見を持つらしい。
そんな自分の中の差別と偏見の眼差しを知っているから、
その対象とならぬように、何だか人は努力しているようだ。
「人と違う自分にはならない。」と。
しかし、違わない自分になるために、
自分を捨てていることを忘れている。
みんなと同じであろうとするために、
みんなの中に埋没して、自分は何者なのかを失って生きていることもある。
人の言いなり。親の言いなり。上司の言いなり。世の中の言いなり。
そんな若者を現代の学校は量産しているような気がする。
暴れなければ、目立たなければ、この線路さえ踏み外さなければ、等など。
私が若かった40年近く前の若者は、
ある意味人と違った自分を目立たせようともがいていたいような気がする。
アウトローとは、ちょっときざな表現だが、
団塊の世代を代表する学生運動と、
ベトナム戦争以降のヒッピー等の反体制・反社会的なアンチヒーローが私の憧れだった。
「イージーライダー」を知っているだろうか。
あのポスターは、中学時代の私の部屋の壁紙だった。
ドロップアウトであり、アンダーグラウンドであった。
主流の世の中のうねりに飲みこまれることなく、
どうやったら独自の生き方が出来るのか悶絶していた時代が、高校時代だった。
その頃、坂本龍馬に出会い、ATGの映画に出会った。
脱藩だ。新潟を出でよ。東京だ。「ここがロドスだ。ここで跳べ。」寺山修司だ。
私は、映画の脚本家になる夢を抱えて、日大の芸術学部脚本科を受験した。
下駄ばきでずた袋。ブックバンドってどんなしろものか覚えているかな?
今も変な男だが、そんな私から見て、昔の私は相当変な男だった。
群れられなかった。人とうまく話せなかった。
対人恐怖症でもあった。
マイノリティーだったと思う。
そこが自分の落ち着く場所だったからだ。
酒ばかりは、確かに仲間たちと飲み歩いた。
渋谷の永楽街があり、カウンターだけの小さな居酒屋があった。
年寄り夫婦が旨いおでんを出していた。
そこの看板娘のお時さんが、私のアイドルだった。
この店、階段を上がると狭い座敷があった。
ここで学生の仲間とよく宴会をした。
そして、渋谷ハチ公前で全員でカレッジソングを大合唱した。
それでも、私はやっぱり世の中になじめず、マイノリティーだった。
私は、想う。
独りでいることは、恥ずかしいことではないのだと。
孤独であることは、自分を見失わず、自分であり続けることなのだと。
人とは違う自分になるためには、マイノリティーという蛹の時期が必要なのだ。
手あかに染まった世の中というラベルをはがして、
そこに自分というラベルを張る為には、
それはそれは難儀な孤独な切々たる苦しみが必要なようである。
ある意味、マイノリティーであるから、
私は、この掲示板を書き続けていられるらしいのだ。
「人の真似をするな。」
「群れるな。」
「パイオニアたれ。」
「独りでつっ立て。」
いいんだてば。そんな同志がきっとどこかで生きて居るから。
その仲間と出会った時が、マイノリティーの革命の時なのだ。
祝160万人達成 感謝・感謝・感謝
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