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from: クマさんさん
2012/01/31 06:07:36
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大雪警報の日
大雪警報が発令されている。
この雪はいつまで続くのかと天を見上げて嘆いていることと思う。
雪下ろしをしなくては、家が倒壊してしまう危険がある。
4mの積雪の山間集落では、高齢者の一人暮らしが多く、
その作業がままならないのが現実のようだ。
屋根に上がれなくなったら、業者を頼むしかない。
何とも切ない話だと思う。
人は、雪を降らすことを止めることはできない。
降り続けば降り続いたまま、その雪の中で生活して行かねばならない。
自然とはそういうもので、決して人がコントロールできないものだ。
だから、嘆くことも多いが、その雪を諦め、その雪の中でも生きられる道を選ぶ。
五木寛之さんの「下山の思想」を読んでいる。
50歳を過ぎた頃から、50代には50代の生き方があると悟った私。
それではどのように生きたらよいのか考えた。
以前、五木さんは「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つの時期に人生を分けた本を出していた。
私は、その時、私自身が「林住期」に入ったことを知った。
里を捨て、市井の生活から少し離れた林に住まい、
しがらみを捨てて、身も心も軽く自由に生きる時期と感じた。
それは「降りてゆく生き方」でもあった。
そのことに気づいた時に、
この世の中の欲のようなものは私から少しずつ消えて行った。
それは、いろいろと人の心を支配し、惑わせる欲望とは反対の生き方だった。
そして、その生き方が、この林住期に入った私にはふさわしいと思えるようになった。
天はそんな転換期に、大いなる試練を私に与えた。
きっとあの時、私は自分で自分を墓に葬ったのかもしれない。
「居ても居なくてもいい人は、居てもいいのだ」
そんな軽さで、そんな弱さで、そんなちっぽけさで生きようと考えた。
そしたら、やっぱり心がすっと楽になった。
ただし、これも日々の修行であるから、
弱気になったり、心が萎えたり、辛かったりのこともある。
それでもその林の中で静かに暮らすことにより、
初めて悟れる境地もあるのだと信じている。
今年の夏で55歳になる。
見事に立派な「おじん」である。
もし私が20代だったら、今の私を見てどう感ずるだろうなぁと興味がある。
私は、時間を止めることはできない。
私たちは自分の意志でコントロールできないことだらけの中で生きている。
母の体重を増やして健康な体に戻してやることも、
脳梗塞で思うように動かせなくなった父の体を奇跡の回復をさせることも、
次男を学問に専念させることも、
この大雪をやますことも、
考えてみたら、自分でコントロールなんぞ出来ないものだらけなのだ。
欲望とは、そんなものを対象にコントロールしようと願ってやまず、
自分がそれを手に入れるまで飢え渇く修羅の姿だ。
嘆くより生きろ。
嘆くより諦めろ。
今日一日だけは生きてみよう。
そして、今日を楽しもう。
その境地で生きられることを願いつつ、修行しているのが今の私だ。
この境地に徹せられたら、後はつらつらと遊びの中で生きられる。
どうせ人は最期は死ぬのだ。
大雪の日もあるが、諦めて、今日を生きる。
ひと降りごとに、確実に春が近づいているのだから。
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