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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012/02/12 07:18:53

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    太古からのDNA

    昨日は久しぶりのお日さまだった。
    そんな中でトンネルを走った。
    ここにはどんな大雪でも走ろうとするランナーたちが集まって来る。
    私のようなジョギングの中高年も多いが、
    疾走して行く若者たちの姿も多い。
    トンネルが出来たことで、走りの文化が現われた。

    人は、太古の昔から狩猟のために走り続けていた。
    走らなければ、それも休まずに走り続けなければ獲物を獲れなかったからだ。
    山野や平原を人は走って獲物である動物たちを追い掛けた。
    それは、今日を生き、明日を生きるためだった。
    だから、そのDNAが走ることの喜びを産むという人もいる。

    何事も長続きしない三日坊主の私だが、
    ことこの走ることに関しては、中学時代から続けている運動だった。
    初めのコースは、我が家から藤見歩道橋までの往復3キロ弱のコースだった。
    山に夢中になって登っている頃は、朝晩の2回走ったものだった。
    走ることは、ダイエットであったり、基礎体力をつけることであったり、
    心肺能力を高めるための手段であったが、
    いつしか、走ることそのものが目的となってしまっていた。

    この雪で何がストレスかと言うと、毎朝ジョギングができないことと、
    お地蔵様にお参りができないことである。
    走った後のあの爽快感が無いために、日々不完全燃焼のような状態だ。
    そんなにしてまでも走らなくても・・・と、人は思うだろう。
    ところが、この走りフリークになると、これは一つの病気のようなものなのだ。

    最近は音楽を聴きながら走っている。
    いろいろと考え、悩みながら走ることもある。
    しかし、走っている内に心が空っぽになり、無心になっていく。
    走り始めは少々難儀だが、しばらくして体が温まると調子が出て来る。
    スピードに乗った走りができると、それだけで快感を感ずる。
    風を切って走るまでには行かないが、風と空と雲とお日さまとを感じて走る。
    自然の中に自分が溶けて行くような一体感は走った人にしか分からないだろう。

    自分に帰る瞬間とでも言うのだろうか。
    原点に帰ることでリセットされ、生きるための立ち位置を確認できる。
    それは、うだうだと続く日常を、走るスイッチで一新することができるからだ。
    土日は、いつも10㎞のLSDに出かけていた。
    今頃は、日和山の山頂に立ち、未だ目覚めぬ新潟の町を俯瞰している頃だった。

    達成感と、爽快感と、生きていることの実感と希望とを、
    私は走ることから教えられた。
    人とは、本来は走っていたり、歩いていたり、行動する人なのではないだろうか。
    立ち止って考えるよりも、
    走りながら考えた方が希望的な結論を導くことが多い気がする。

    それは明日を生きるための太古からつながるDNAが発揮されるからかもしれない。
    「やめることを考える」より、「どう続けて行ったらよいか考える」ために、
    どんな大雪でもやっぱり私はトンネルを走ろうと思っている。

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