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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012/02/15 05:46:13

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    何もしないことの大切さ

    何もしないことも大事なことかなとも思う。
    ゆっくりと、のんびりと生きることは、怠け者なのだろうか。
    あうれもやれ、これもやれと、いろいろだろうが、
    何もやらずにぼんやりと生きることも、大切な生き方なのではないだろうか。

    夕食の後に炬燵に入る。
    父と母とは歌番組を観ている。
    次男はその横で腹筋を鍛えている。
    ゆっくりと時間は流れる。
    ぼんやりと、なにすることなくテレビを観ている。
    しかし、何だかこんな時間が貴重な時間のように思われた。

    仕事のために3時半に起きてパソコンに向かった。
    早起きは得意な方だ。
    だから、仕事があると夜中に起きてキーボードを打っていた。
    あの頃は、とにかくあれもこれもの時代だった。
    新しいことを提案するためには、
    それなりの信念と覚悟と準備の時間が必要だった。
    命を削り、寿命を縮めていたのかもしれなかったと、今は思う。

    「下山の思想」である。
    どうも人は、ゆっくりと、のんびりと、無理をしない人のことを批判的に見てはいないだろうか。
    やる気がない人だとか、使い物にならない人だとか、
    あくせくあくせく働いて、忙しそうにしている人はから見たら、
    その人は、そう写るかも知れない。
    しかし、がみがみ、ばりばりだけが、事を進めるものではないと、
    ゆっくり、のんびりの人はよく分かっていたりする。

    逆なのだ。
    ゆっくり、のんびりの人は、全体のことをよく分かっていたりする。
    一人一人のことをよく見ているから、人を伸ばす人になることもある。
    その人のおかげで人は安心感をもち、
    自分も自分なりに進もうと努力することもある。
    誰もがみがみ、ばりばりと価値観を押し付けられたり、批判されたりしたくはないのである。

    若い頃は、この下山の思想を理解できなかった。
    山は登るものであり、難度が高くより速いスピードで登れることをよしとしていたからだ。
    だから、中高年の登山者を後ろからどんどん抜きながらあえいで登っていた。
    確かにそれも登山だった。
    しかし、今はどんな低山であろうとも自然の中で茫洋と憩う時間こそ登山だと感じている。

    私はそれでいいと思っている。
    聖書にマリアとマルタの例えが記されてある。
    昔は、何故イエスがイエスの話だけを傍に居て聴くマリアを尊び、
    イエスや家族のために家事で忙しいマルタを批判したのか分からなかった。
    しかし、今はイエスの言葉が理解できる気がするのだ。

    人生には、本当に価値があることは単純で、限られているのではないだろうか。
    忙しい。忙しいと言って走り回っている人は、心を亡くしている人なのだ。
    何もしないことの大切さを、今はしみじみと味わっている。
    それにしても、3時半なのである。ああっ。

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